クリアな詭弁の世界に淘汰 | ナノ


氷の刃に討たれたナハティガルをそのまま残していくことに後ろ髪を引かれる思いを噛み締めながら、ローエンの指示でオルダ宮を進む。しかし、その通りにたどり着いた場所には、探し求めていたクルスニクの槍はなかった。ナハティガルのあの尋常でない力は、クルスニクの槍から部分的に転用したマナを用いたものだとナハティガル本人が語っていた以上、そのためにこの場所に置かれていたのは確実。しかし、それが跡形もなく消えているとなれば…研究所の時と同様、誰かが持ち出したと考えるのが妥当だろうか。
槍が見当たらない以上、あまりオルダ宮に留まるべきではないと考えたミラたちは直ちに宮殿を後にした。

オルダ宮の外に出て、一同は事態の変動を目の当たりにすることになった。すぐに出くわしたラ・シュガル兵がローエンを指揮者イルベルトだと気付き、伝令であったア・ジュール軍の進攻を知らせてきたのだ。
遂に、戦争が始まってしまった。しかも、ア・ジュールが五万もの大軍を引き連れ戦場に選んだのはファイザバード沼野だという。四大精霊がクルスニクの槍に捕らわれている今、霊勢の変化が訪れないあの地は両軍にとって通常より危険を伴うことは明白。攻略することはほぼ不可能なはず。加えて、ラ・シュガルの軍勢はほぼ全てがガンダラ要塞、近辺の海上に集中しているはず。しかし、それを指摘してもラ・シュガル兵は既にジランドが新兵器のファイザバード沼野への移送を行っているという。この開戦の伝令も、彼によるものだという。
ジランド。ナハティガルの隣に立っているばかりだったあの男が、一体何故?突如浮上した新たな存在に、ミラたちは勘ぐる。兎にも角にも、クルスニクの槍の行き場は分かった。壊滅的な戦況を打破するだけの兵器と言われれば、それ以外は考えつかない。クルスニクの槍はファイザバード沼野に運ばれたと見てまず間違いはないだろう。
ジランドの思惑。ナハティガルを亡くした今、彼の手の内と陰謀とは。それも確かめるために、ミラたちはファイザバード沼野へ向かった。

ラ・シュガル軍の作戦本部はファイザバード沼野の南部に設立されていた。彼らもイル・ファンの時と同様、ローエンの姿を見ると疑う素振りもなくジュードたちは中へ通された。やはり、指揮者イルベルトの存在はラ・シュガルにとって大きなものだ。彼が居ることで、この八方塞がりな状況も何とかできるかもしれない。
ラ・シュガル軍には、クルスニクの槍のことは伝えられず、独自に進攻している新兵器としか伝令が回っていないようだった。ジランドが槍を使おうと企んでいることは確実だが、自軍にさえ知らせないことに疑問が生じる。
持ち出されることのなかったはずの鍵は、今もニ・アケリアにいるはずのイバルにミラが直々に手渡してある。ならば彼は命を張ってでも鍵を守り抜くだろう。しかし新たに感知された鍵の可能性、加えてニ・アケリア近くのハ・ミル村に既に進攻があった事実がある。クルスニクの槍が持ち出されたことにより、ジランドが何らかの方法で鍵を所有している可能性は十分に考えられる。イバルから鍵を奪った。あるいは新たな鍵を生み出した、か。ミラたちはクルスニクの槍の使用を阻止するために、今までより危険な状況に立たされることになってしまった。


「ア・ジュール軍はどのようにして沼野を進攻しているのでしょうか?」


ここで心強いのは、戦場に慣れた指揮者イルベルトだ。敵陣と自軍の戦況を把握し、二手も三手も先を予測し指示を出す。この場での作戦は彼に任せておけば問題はないだろう。
ふと、コトは作戦本部の簡易小屋内にアルヴィンの姿がないことに気付いた。皆がローエンの話に集中している間に、またどこかに行ってしまったのだろうか。素性を明かさない彼の行動は、これまでも皆を混乱に招いていた。それが味方としてであれ、もし再び裏切るための算段だったとしても、放っておくことはあまり良くない。コトは一言、外の空気を吸ってくるとジュードに断りを入れ小屋を後にした。


(……あれだ)


キン、と甲高い音が脳内に響くのと共に、視界が僅かに霞んだ。コトは思わず片手で頭を抱え、少し背を曲げて俯く。痛みは感じない。ただ、脳内に響く、誰かの声。誰だ。知らない。否。知っている。私はそれを知っている。その声を。その男を。その姿を。その言葉を。その意思を。その、名を。


(あれが、アルフレド・ヴィント・スヴェント…俺の────、だ)


……………………、え?


「コト?」


突然の呼びかけに、コトははっとして顔を上げる。一瞬だけ揺れた視界はすぐクリアになり、その先には不思議そうな表情をする、アルヴィンの姿があった。コトは見知った姿だというのに、何故か安堵することができず目を何度も瞬かせる。その様子に違和感を覚えたのか、アルヴィンは訝しげな表情をしたままコトの近寄り、肩にそっと手を置いた。どうした?と優しい声色の彼に、頭に浮かんだ名で呟いた。


「…アルフレド」
「…?ああ…どうした?」
「…っ、アルヴィンこそ、勝手に出て行ってどうしたの?」
「ん?まあ、ちょっと外の状況を確認しに」


訝しむようなアルヴィンに、コトはとっさに誤魔化しの言葉を連ねた。少し不自然なようでもあったが、思ったより怪しまれてはいないようだ。
アルフレドは、彼の生まれた時につけられた、本来の名前だ。以前、シャン・ドゥで彼の母親、レティシャの家に入った際に聞いていた。だから、アルヴィンもコトがその名を口にしたところで、違和感はあっても不審には思わない。
けれど、コトは違った。気付いてしまったのだ。否、『思い出して』しまった。彼の母から聞くより前に、コトはその名前を知っていた。

そうだ。私は。コト・フォルテッドは…………。


「アルヴィン?コト?」


どきりと、心臓が跳ねた。アルヴィンも驚いたのか、とっさにコトの肩から手を離す。振り向けば、ジュードが先ほどのアルヴィンのように訝しむ目で二人を見つめていた。続いて小屋から出てきたエリーゼは、複雑そうな表情でアルヴィンを睨み付けた。


「アルヴィン…またコトにウソついたんですか?」
「おいおい、勘弁してくれよエリーゼ」
「白々しいぞー、アルヴィン!」


エリーゼは、アルヴィンを全く信用していなかった。否、違う。裏切られないように、初めから疑うことにしたのか。その小さな腕に抱えられたティポは、威嚇するようにアルヴィンに叫ぶ。見れば、アルヴィンはいつものように困った表情をしながらも口元は笑っていて。今度ばかりはジュードも黙って様子を窺っている。


「…大丈夫、エリーゼ。私が見張ってたけど、何もおかしなことはしてなかったから」
「、…」
「本当…ですか?」
「うん、本当」


背中の向こうで、アルヴィンが息を呑んだのが分かった。自分でもらしくないとは思う。アルヴィンを庇ったり信用したり、それはいつも、ジュードたちの役割だったから。けれど、そう言わないといけないような気がしたのだ。同情でも、ましてや信頼でもない。言うなれば、そう…罪悪感、のような。諦めたような顔をする彼を、庇わないと後悔する気がして。とっさに出た言い訳だった。


「しかしアルヴィンさん。今の状況で一人で動かれると、さすがに疑われますよ」
「アルヴィン、今は勝手に僕たちから離れないでよ」


念を押すローエンとジュードに、アルヴィンは軽く手を振って了承した。嘘ばっかり。本当は言うことを聞くつもりなんてないくせに。信用なんかできない。けれど、それよりもっと信用できないもの、は。


(わたし、だ)


ローエンたちの策では、増霊極を使い自分たち周辺の霊勢を無理やり変化させ、戦火の中を突っ切ってクルスニクの槍を追う、というものだった。随分と荒々しい作戦だが、それでなくてはクルスニクの槍が使われてしまうまでに間に合わないかもしれない。危険な手段だが、やらないわけにはいかない。
増霊極を使って戦地に降りたものの、霊勢のせいか視界は靄がかかっていて随分と悪い。引き返して安全な道を、というアルヴィンの提案に、迷わずジュードが首を左右に振る。まるで先導するようにミラが先に立ち、腰の剣を抜いた。


「恐れるな。今最も恐れるべきは、人間と精霊の命が脅かされることだ」


凛々しく、美しく、まさしく精霊の主と呼ぶに相応しいミラの背中に、皆の不安はすうっと消えていく。ここまでの影響力のある者が、この世界にどれだけ存在するだろうか。一国の王に身を委ねるより、確かな希望がまるで目に見えるようだった。一歩、全員が同時に踏み出した。


「クルスニクの槍を破壊する!」


戦況は過酷なものだった。ア・ジュール軍勢はおろか、ラ・シュガルさえもジランドの命によりローエンたちを狙うようになったのだ。しかし、止まることは許されない。臆せず進むこと、それがミラの意志だったからだ。次々に迫り来る脅威に真っ向から迎え撃つ。たとえそれが、本来味方であるはずのラ・シュガルの兵だとしても。ジランドの手段の荒さから、彼は何かを急いでいるようにも思えた。嫌な予感がする、と言うジュードに頷き、先を急ぐ。


「道を開くわ!手を貸してローエン!」
「承知!」
『グランドアビリオン!!』
「良くやったコト、ローエン!」
「先を急ごう!」


コトの目まぐるしい斬撃と、それを後押しするローエンの地の精霊術。辺り一帯の地形に衝撃を与え、向かってきた兵を一度に吹き飛ばす。術後の硬直時間のフォローに、ミラとジュードが二人を追い抜かし先へ進む。前は先陣を切る二人に任せておけば問題ない。コトとローエンは援護術に集中するレイアとエリーゼの側についた。中枢は戦いに慣れたアルヴィンに繋いでもらう。


「っまだ来るの!?でも僕が…!」
「おい、無理しすぎじゃねえか!?下がってろ!」
「できないよ!」


ジュードは、ミラの使命と自分の意志の間で揺れている。フォローはするから、ミラは前だけ見てほしいと叫ぶジュード。焦りからか決意の強さからか、先へ行って敵をなぎ倒していく彼の背中に、ずっと張り詰めていたミラを覆う雰囲気が少なからず和らいだ。


「…ありがとう、私は心強い友を得た」


他の誰とも違う、ジュードとミラの間に存在する特別な信頼関係。今までなら、コトもそれを微笑ましく見れていたことだろう。


「コト、回復します!」
「まだ大丈夫よ!」
「でも、さっきから動きが鈍いよ!」
「おいお嬢様、無茶すんなよ!」
「無茶じゃないわ、だって…」
「…?」


これが、私。


「誇り高き神風よ…空をも切り裂き舞い飛沫け!アイン・ソフ・アカーシャ!!!!」


一気に吹き抜けた風。それを纏い駆ける刃は誰にも止められない。残像が映るほどのスピードで操られた鎖は空高く上がり、コトの指先一つの動きにさえ忠実に従う。まるで生き物のように蠢く鎖が、風の力を纏いながら大地を揺らし、暴発しながら辺り一帯を巻き込んで砂煙を巻き上げた。


「すごい…コト…」
「い、今のうちに行っちゃおうよ!」
「ああ…その方が良さそうだ」
「…………」


コトの一撃で、辺りの敵は一掃された。形さえも残さず、風に切り裂かれたのだ。それを残酷だと、彼らは思ったかもしれない。ただ、誰もそれを口にはしない。恐ろしいと、感じてもおかしくないだけのことをしたというのに。あれだけの技を放っておきながら、息一つ乱さないコトに何も感じないはずがないのに。再び走り出した皆に続こうと一歩踏み出した時、不意に腕を取られて足が止まると同時に自然と顔がそちらを向く。ついさっきの、諦めた顔と良く似ていた。複雑そうな表情のアルヴィンが、しっかりとコトの右手首を掴んでいた。気まずそうに薄く開かれた唇は一度思い直したように再び閉ざされて。その仕草と表情だけで、彼が何に勘づいたのか、わかってしまった。


「…ごめんなさい」
「、おまえ…じゃあ」
「私に、あなたを殴る資格なんてなかった」
「っコト!」
「行きましょう」


するりと、かわすようにアルヴィンの手からすり抜け、コトは先行くジュードたちを追った。最後に残されたアルヴィンが、自分に残された最後の可能性に、人知れず唇を噛み締めたことをコトは知らない。


「…っ」


胸が苦しい。戦い通したからでも、傷を負ったからでもない。
ずっと、ずっと違和感はあったのだ。胸の奥でくすぶる重りのような。頭に響く警告音。靄がかかったまま晴れない記憶の先。


"ここがイル・ファン。例の槍は、この町に保管されている"


どこかで見たことがあった気がした。間違いではなかった。


"この場所以外に、おまえが生きる意味はない"


誰かに言われた気がした。その声も、確かに知っていた。


"これが完成すれば、大精霊と変わらぬ力を手中に収められる"


氷の刃。それはずっと、あの人が求めていたもの。


"アルフレド・ヴィント・スヴェント…俺の甥のガキだ"


思い出した。この戦場を駆け抜ける間、ずっと頭の中で鳴り響いていた音が消えていって、変わりに失ったはずのものが戻ってきた。それと同時に、すぐ近くにあったはずの温もりがなくなっていくようで。優しさに、希望に、信念に触れることを恐ろしいと感じた。けれど、それはコトの中で変化が起きたわけではない。もともと、その胸の内に秘めていた感情に過ぎないのだ。

思い出した。全て。

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