クリアな詭弁の世界に淘汰 | ナノ


「来たか、マクスウェル。…よもやあの怪我から復活しようとは」


ラ・シュガル王、ナハティガル。コトは実際にまみえるのは初めてだったが、なるほど話に聞いた通りの男だ。鋭い眼光は敵を見据えるため、もしくは民を掌握するため。傍に構えた武具からは長きに渡る歴戦の証ともいえる雄々しさを感じさせる。隣に仕えているのが、話にもあったジランドという男だろう。ナハティガルと並ぶと、彼が随分と小さく見えた。


「、っ」


無意識に、身体が震えた。背筋に寒気が走るような感覚は、ナハティガルの威圧感によるものではない。これは、その隣の…あの男の瞳と視線がかち合った瞬間に。気持ち悪い…否、怖い。コトの心は確かに、その男を拒絶していた。どういうことか、自分でも分からない。ナハティガルに比べれば、恐れる対象ではないだろうに。
ナハティガルはミラを見据えながら、ジランドに先へ行くよう命じた。行き先は、クルスニクの槍。自分が相手をしている間に、段取りに合わせて事を運ぶつもりか。敵国の兵を滅し…自国の民でさえ、支配するために。あの兵器を用いるつもりなのか。
ローエンに、かつての主、そして友であったはずの男の視線が向く。


「イルベルト。主である儂に、本気で逆らうのか」
「私の主はクレイン様、ただお一人だけです」


ローエンの決意は固い。だが、かつては共に強き国を望んだ同士である彼に、心残りがあるのも確かだった。それは、互いに変わらない。ローエンを自らの元へと望むナハティガルに、彼はゆっくりと否定の意を述べた。


「あの頃、あなたの内に見せた王の器すっかり陰り見せてしまった」


その言葉に、ナハティガルは答えない。王に相応しき者は自分一人。己の征する世界のためならば、民の苦痛も他国の犠牲もいとわない。
ナハティガル王のことを、コトは話に聞く機会しかなかった。しかし、彼は以前ローエンに聞いたものとは全くの別人としか思えない。多くを、すべてを望むあまり、ナハティガル王は変わってしまった。それが正義と、世界を救う手立てだと、そう思ってしまった男の、成れの果てだ。誰かの意思を自分のために費やさせるなんて、人間が述べるにはあまりに醜い話だというのに。それどころか、リーゼ・マクシアの全ての精霊さえも支配してみせようと、その男は言う。精霊との共存を望み、支え合う未来を思い描くジュードには、それは酷く汚いもののように見えただろう。


「人も精霊も、あなたなんかに支配されたりしない!」
「小僧が…マクスウェルとつるんですっかりつけあがりおって」
「僕のことはなんとでも言ってもいい…でも、ローエンがどれだけあなたのことで悩んだのかも理解してあげられないの!?」


ジュードは、まだ信じたいのだろう。遠い日、ローエンと共に和平の国を誓った彼を。民を想い、国のために生きる、王と呼ぶにふさわしかった、かつてのナハティガル。
しかし、彼は無情にもその大きな身体いっぱいに両手を広げ、高らかに叫んだ。民が王のために悩むことなど当然。民に安穏と生きる権利はない、王のために命を費やすことこそが、民である者への使命なのだと。
彼は、もはや言葉では変わらない。力を持ってしても、命を危険に晒しても貫き通すだけの意志…歪んだ信念がある。ミラがその淡い瞳を閉ざし、再び開くと共にまた違う強い意志を宿した剣を抜く。隣に並び、同じ意志を持った仲間たちも武器を手に取った。


「私は、あなたを同じ道を歩む友だと思っていましたが…どうやら、もう引き返す道はないのですね」


ローエンの希望。


「お前みたいに考えられたら、どんだけ楽だろうな。だけどよ、正直つきあってらんねーわ。裸の王様さんよ」


アルヴィンの失望。


「こんな人が自分たちの王様だなんて、信じらんない!絶対、変わってもらうから!」


レイアの焦燥。


「ジュードやミラ…みんな……友達を…守ります!」
「やるぞー!敵討ちだー!」


エリーゼの苦渋。


「あなたの野望も終わりだ!ううん、ここで終わりにしなきゃ!」


ジュードの決意。


「覚悟しろ、ナハティガル!」


ミラの使命。


「……」


ならば、私は?
私は何のために、ここにいる。
ここは、私の居場所なのだろうか。


「見せてやる、リーゼ・マクシアを統一する力を!」


それでも、目の前の男は敵なのだ。
戦う理由があるとすれば、それしかない。


「はああっ!」
「ふんっ!」
「コンディムネイション!」
「ぬるいわっ!!」
「ジュード!」
「うん、合わせるよっ!」
『魔王地顎陣!!』
「来い、コト嬢!」
「はいっ!」
『オールザウェイ!!』
「ぐっ…!!」


剣が擦れる音。炎と煙の異臭。鼓膜をつんざくような弾丸がはじける轟音。全員でたたみかけているにも関わらず、ナハティガルの身体は全く揺らがない。レイアが後方から精霊術で味方の守りを固め、エリーゼが怪我を回復させる間にローエンが激しい精霊術を叩き込む。しかし、それだけの力を持ってしても、ナハティガルは強い。まるで戦いのために生まれたかのように微塵も動じない風格。その身体に見合った大きさの剣。一太刀でも浴びれば、ただでは済まない。大剣を、一振り。瞬間的に生まれる衝撃波に、全員が押される。


「諦めないよ!」
「ウェイクアップ、わたし!」
「ティポ!」
「食らえーっ!」
「小賢しいわッ!!」


入り混じる叫声と怒号。頭の奥がビリビリと震えるようで、普通ならばその状況下に置かれただけで足が竦んでしまいそうなほど緊迫した空気。世界を征する者と、世界に生きる者の相容れない戦い。敗北は、そのまま死を意味する。それでも、そうと分かっていてもコトは重い身体を動かすことさえ億劫に感じた。倒さないと、いけないのに。

…違う。わたしの生きる意味は、ここにはない。


「コトっ!」
「っ!直牙弾!!」
「ふんっ!!」


気付けば目の前に迫っていた大きな影。それを遠ざけるように鎖を放つが、ナハティガルは容易くそれを弾き返してしまう。一歩、後ろに跳び退きコトは弾かれた鎖を操るのと逆の手で数本のナイフを構える。


「ラックステップ!チックタック!散れ!双刃連撃!!」
「ぐ…っ!」
「コト、構えろ!」
「合わせるわ、ミラ!」
「はああっ!」
『グラックリヴォルバー!!!』
「ぐあっ!マクスウェル…!!」
「貴様の野望もこれまでだ!ナハティガル!!」
「抜かせ!!」


体勢を立て直される前にとミラが駆ける。しかし、ナハティガルが再び剣を構えるのにはとても間に合わなかった。振り下ろされた大剣はまっすぐにミラだけに向かう。それを避けるために大きく跳び退いたミラを横目に、ナハティガルはにやりと口元に弧を描いた。まずい。とっさに、コトはミラの名を叫んだ。


「見せてやろう!!天上天下唯我独尊!デモンズランス!!!!」


高く掲げた剣に尋常ではない量のマナが収束する。それを地に突き立て、ナハティガルの叫びと共に放出された大量のマナが辺り一帯で暴発する。激しい爆発。全員食らえば最悪の事態は免れない。


「…なに…っ」


ナハティガルの困惑した声色。それもそのはず。拡散された膨大なマナは、一点に集中して集まったコトたちに大きなダメージを与えない。まるでミラの壁になるように、全員がその前に連なっていた。


「ミラ!」


傷付いた拳を構えたジュードが、後方に呼びかける。仲間の影を飛び越えて、剣を振りかざしたミラがまっすぐナハティガルに向かう。その切っ先は、ただ一点だけを狙って。


「ディストールノヴァ!!」
「ぐぬぅっ!!ぐ、まだだ!!」
「否、」
「何っ!?」


ミラが左に退き、ジュードたちが道を開ける。その先に構えていたのは。


「決めろ、ローエン!」
「…終わらせましょう、ナハティガル」
「イルベルト、貴様っ!」
「フェローチェ、荒々しく!グラツィオーソ、優雅に!」


そっと、ローエンの瞳が閉ざされる。まるで、その瞬間を惜しむように。


「―……グランドフィナーレ!」


膨大なマナを源に炸裂した水の術は、今まで以上に激しくナハティガルを打った。がきん、と鈍い音を上げて、初めて彼の手から離れた剣が床に落ちる。その場に膝をついたナハティガルは、尚もミラやローエンを強い瞳で睨み付ける。未だクルスニクの槍を求め続ける彼に、ミラは光を纏った剣の切っ先を向けた。


「人の分を超えた力は世界を滅ぼす。それはおまえも同様だ」
「ぐ…」
「ミラ、待って!その人は、ローエンの友達だから…だから、」


ローエンに、と。今にも泣き出しそうな表情で、ティポを抱きしめながらエリーゼは言った。かつての友に決断をさせるのは、非情なことかもしれない。それでも、何もせず後悔してしまうよりは。ローエンは戦いのさなかの厳しい表情を消し、穏やかに笑いながらエリーゼに頷いた。ナハティガルに一歩、歩み寄って、ローエンはまるで友だった頃を思わせる声色で話し始めた。


「ナハティガル…この国には、民を導く王が必要です。私もあなたを同じなのです。背負うべき責任から目を背けた」
「……まさかイルベルト、貴様…」
「私とあなたで、もう一度ラ・シュガルの未来を…」
「貴様は、儂の生み出した業まで背負って…」
「構いません」


きっと、彼はずっと孤独だったのだろう。ローエンの想いと意志に触れて、ナハティガルは少しだけ肩の力を抜いたように見えた。心なしか、表情さえも和らいでいるようだった。
きっと、彼らは分かり合うことができる。もう一度、互いの手を取って国を見つめることが。この戦いが、そのための一歩になる。
その、はずだった。


「っ!ナハティガル!!」


空気の中でマナが震える感覚。気付いた時には遅かった。手を取り合う、直前に。どこからか降り注いだ氷の刃が、ナハティガルの身体を貫く。ナハティガルが低く呻き、赤い液体が無惨に飛び散る。誰もが息を呑み、エリーゼとレイアが予測しなかった事態に短い叫び声を上げる。氷の、精霊術。それが放たれた方向に目をやれば、既に去り際だった術者らしき影だけが捉えられた。


「あれは…」
「…まさか狙いは!」
「クルスニクの槍…!?」


事態は騒然とせざるを得なかった。突然の襲撃。討たれた仲間の友。既に事切れたナハティガルから、ローエンはゆっくり離れた。死して尚も玉座に構えるその姿こそ、王であった彼のすべてを表しているようにさえ見えた。
死を悼む時間さえ、許されなかった。ナハティガルを殺した誰かが、クルスニクの槍を狙っていることは明白。血にまみれた玉座に君臨する彼を、そのまま置いて行くことがローエンにとってどんなに辛いことか。それでも、彼は大丈夫だと言う。すべて、ナハティガルと想い描いた未来のために。少しでも心を通わせた友人のために。
悲しくても、立ち止まることはできない。


「……氷…」
「コト、なに?」
「…ううん、急ごう」


コトは、信じられないでいた。目の前でナハティガルが貫かれたことより、新たにクルスニクの槍が狙われていることより。
ナハティガルを討った術が、氷の刃だったことに。


(氷の、精霊)


私は、『あれ』を知っている。

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