クリアな詭弁の世界に淘汰 | ナノ


その世界は、一日がずっと夜だった。けれど暗闇というにはあまりに明るく、暖かい。精霊術によって町中に灯っている明かりにぼんやりと焦点を合わせて、コトは慣れない眩さに目を細めた。


「う、わ」


珍しく感嘆の声を上げたコトに、ジュードはくすりと笑った。今まで真昼だった景色が、道を進む中で吸い込まれるように光を失い、一気に夜に変わる。少し先に見える町の灯りが、まるでイルミネーションのようで美しかった。


「コト、イル・ファンは初めて?」
「え?うん…そうね」
「この夜域が見たいから観光に来る、って人もいるんだよ。こんなふうに霊勢の変化が見れるのは、この町くらいなんじゃないかな」
「私も初めて見たよー!」
「とってもきれい…です!」


コト以上に興奮しているレイアとエリーゼに、二人は頷きながら笑った。他愛もない会話だ。けれど、コトの記憶の隅で、違和感、というには少し違う感覚を覚えた。あまりに些細なことで、一体何にそう感じたのか自分でさえ分からないような。曖昧な返答に、ジュードは何の疑問も抱いていないようだった。たとえ何かを疑われても、説明も弁明もできないのだが。

たどり着いたイル・ファン。町の奥にはリーゼ・マクシアで最も発展している医学校がある、昼を知らない町だ。ミラとジュード、そしてアルヴィンが初めて出会った町でもあると聞いた。
だが、今は懐かしの地に想いを馳せることも叶わない。

ドロッセルの助力により怪我の完治したワイバーンでイル・ファン近くの平野に降り立ち、異変に気付いたのはそのすぐ後だった。
町にア・ジュールのスパイが潜入した。静かな町に不釣り合いな騒々しさに、ジュードたちは事の重大さに焦りを露わにした。
スパイが乗り込んだ、町の外れの研究所。クルスニクの槍を壊そうというこちらの思惑を知ってのことか、それともミラの降伏を仰げなかったことによる武力行使か。どちらにせよ、クルスニクの槍をア・ジュール軍…ガイアス王の手に渡らせるわけにはいかない。

虱潰しに研究所の全ての部屋を当たっていく。それを何度か繰り返したのち、ジュードたちは研究所に入ってから初めて、ア・ジュール、ラ・シュガル軍ともに違う人間の姿を見つける。その姿にはコトも微かに覚えがあった。


「村長さん!」


真っ先にエリーゼとティポが駆け出す。そうだ、少し顔を見たことがある。彼女は、エリーゼが軟禁されていたハ・ミル村の村長だ。床に倒れた状態の彼女の身体を起こそうと手を伸ばすエリーゼ。しかし、彼女の身体はまるで何かに怯えるようにぶるぶると震えている。村長さん、というエリーゼの問いかけに答えることなく、彼女は譫言のように呟いた。
皆が氷づけにされてしまう、と。まるでエリーゼのことなんて見えていないようで、身体を激しく震わせながら、彼女はそこにあるはずのない何かに必死に許しを乞う。明らかに正気とは言えない。目の焦点すら合っていない彼女にエリーゼは必死に呼び掛けるが、彼女は酷く苦しげな呻き声を上げたのを最後に、一切の動きを止めた。その命が途絶えたことを悟って、エリーゼは頼りなく首を左右に振った。しかし、それを悼む暇もなく、村長の身体がまるで蒸発するようにたちまち消えてなくなってしまう。身体のマナを全て抜かれ、形を保てなくなってしまったのだ。その死に様は、エリーゼにはあまりに酷だ。知っている人間の死に直面すること自体に、幼い少女はまだ慣れていない。
コトは床に座り込んだエリーゼの手を掴んで、ゆっくり引き上げる。ぎゅう、ととても子供とは思えない力で握り返されて、コトの胸にも小さな鉛が沈んだようだった。
村長の亡くなり方は、まだジュードがイル・ファンで学生だった頃に世話になっていた、ハウスという教授とよく似ているとジュードは言った。それならば、彼女の命を奪ったのは以前と同じ人物か、それとも同じ方法を知る人物、あるいは組織であることに間違いないだろう。しかし、今はそれよりも研究所内に見あたらなかった槍のことが気がかりだ。「もしかしたら監視システムに手掛かりが残っているかも」というジュードの機転により、施設内の監視モニターを起動させた。
しかし、再生された映像には既にクルスニクの槍は映っていなかった。ならば、騒ぎが起こるより早くどこかに運び出されたのでは、と新たな可能性が弾き出される。それともう一つ。その記録にはア・ジュール軍の人間の姿が映し出されていた。どこか不自然な振る舞いをする赤い服の少女。ジュードとミラはその少女に見覚えがあった。しかしそれ以上に、コトの心には再び影がさした。
兎にも角にも、その少女を探し出さねば進展はないと悟り、ジュードたちは施設を出てモニターに写された少女を探し再び町に駆け出した。

その身なりの派手さからか、少女はすぐに見つけることができた。研究所から離れた大通り。少し走れば町の外に出れる距離だ。この騒ぎに転じて逃走をはかるつもりだったのか、少女は追いかけてきたジュードたちを見ると鬱陶しそうに表情を歪めた。
無影のアグリア。彼女もまた、ア・ジュール王に仕える四象刃の一人だ。当然コトとの面識はあったが、彼女は四象刃の中では断然に話した回数は少ない。コトがカン・バルクの城に住むようになってから、彼女はコトを疎み、時には存在しないかのように扱ってきた。そんな彼女の瞳に、コトが映った。恨みのような、疎ましさのような濁った感情の籠もった瞳に。おい女。アグリアに指をさされ、コトは短く息を吐いた。アグリアはいつも自分をそう呼んでいたし、彼女がこれから何を言うかも容易にわかってしまう。


「聞いたぜ。テメー世話になっておきながらジャオを裏切ったんだろ?」
「アグリア、」
「気安く呼ぶんじゃねーよ!だから言ったんだ、こんな得体の知れないやつを置くなって。そこの奴をやるついでだ、テメーも同じ目に合わせてやるよ!」
「恨みたっぷりなところ悪いが、聞きたいことがある」
「ばーか。答えるわけねえだろ」
「あなた…」


恨み言の述べるアグリアの瞳は、今から憎い敵を八つ裂きにできる喜びで満ち溢れた。楽しくて仕方ない。そんな感じだ。いつだって好戦的なアグリアに戦わない選択肢はないか。しかし、コトが諦めから武器を構える動きに移るさなか、後方のローエンは遠い過去の記憶を思い出したかのように小さく呟いた。


「もしや、トラヴィス家のナディア様ではありませんか?」
「…なっ」


トラヴィス家。コトは聞いたことのない家名だった。しかし、その名でアグリアは明らかな戸惑いの色を見せた。その反応に確信を得たローエンは、やはりと呟きながらも、自らが納得のできていないような難しい表情になる。トラヴィス家とは本来、六家にあたる家名の一つだという。六家という名にはコトにも僅かながらに覚えがあった。ラ・シュガルの六家がア・ジュールの王に仕えるなど、本来なら有り得ないことだ。だが、アグリア自身はまるでその名を恥じるかのように叫び、己はあくまでア・ジュール王ガイアスに仕える四象刃の一人、無影のアグリアだと主張した。


「はっ、くせーんだよ!」


それは、アグリアからレイアに向けられた言葉だった。仲間を想うことが、何かのために戦う心が、アグリアを苛立たせる。綺麗事で片付く世界なんてない。その言葉には同意できるものが多い。けれど、綺麗事を唱える者とそうでない者、それだけで世界は大きく変わる。アグリアが失ってしまったものを、レイアは持っている。そのことがアグリアには異臭のように感じてしまうのだろう。
誰が何と言っても、挑発的なアグリアの態度は変わらない。経緯はどうあれ、ローエンの一言が結果的にアグリアを更に駆り立てた。もはや戦いが避けられる状況ではない。苦い思いをかみ殺しながら、ミラやジュードに続いて武器を構えたコトに、アグリアはまるで勝ち誇ったように笑ってみせた。

ほら。信念なんて所詮その程度のものだ。

まるでそう言われたようで、僅かに指先が震えた。


「くせーんだよ、おまえらぁああっ!」


その叫声と共に、アグリアは後ろに控えた部下と同時に身の丈ほどもある大きな剣を振りかざした。


「おらぁ!害虫!テメー陛下を裏切ってタダで済むと思うなよ!」
「っ、私は!私の生きたい場所に居るだけ!」
「はっ!生きる意味もねー奴が、ざけんな!」
「!」


ガキィ!鈍い音が響く。真っ先にコトを狙って攻撃を仕掛けてきたアグリア。応戦しようにも、控えの兵が予想を超える数のため誰も反応が出来なかった。「コト!」ジュードが叫ぶのと同時にアグリアの後ろに周り込み、拳を叩き込む。しかし、身軽な彼女は素早く左に跳び退きダメージは与えられない。


「コト、大丈夫!?」
「…平気!ジュードはエリーゼを!」
「わかった!」


コトの動きに何の鈍りもないのを確認すると、ジュードは後方に構えるエリーゼの詠唱の援護に回る。

生きる意味もない。
そんなはずは、ないのに。その一言だけが、頭の中を支配していく。まるで、以前誰かに言われたみたいに。
誰かに…………誰、に?


「コト!合わせるぞ!」
「!わかったっ」
「はあぁっ!」
『フレアトーネード!!』


ミラの発した炎がコトのチェーンと共に踊り、螺旋を描きながらアグリアに襲いかかった。避けることが出来ず攻撃が直に浴びたアグリアは、剣を弾かれ同時に身体が大きく吹き飛ばされたが。たとえ扱い慣れた炎の攻撃とはいえ、正面から直撃すればダメージは大きい。寸前で受け身だけを取って倒れたアグリアに、息をする間も与えずミラが駆け出しその細い首もとに剣を突き立てた。


「生憎、剣は不得手でな。うっかり手が滑らないよう、良く考えて答えた方が良い」


良く言ったものだ。少なくともコトが出会ってから、ミラの剣術に不得手などと感じさせるものはなかった。脅し、なんて心理的な戦略も出来るとは。ジュードたちから見たミラの成長は劇的なものだろう。

ミラからの質問はただ一つ。クルスニクの槍の在処。アグリアによれば、それは研究所の地下通路からオルダ宮に運ばれたようだ。かつてラ・シュガル王ナハティガルに仕えていたローエンすら知らない通路だという。しかし、オルダ宮に通じる道は既に潰されてしまっているらしく、クルスニクの槍に辿り着くには最早正面からオルダ宮に乗り込む他ない。ミラが考え込む仕草を見せた瞬間、アグリアは地面を転がるように滑って剣から逃れた。随分と滑稽な姿だが、策としては間違いない。安全圏まで逃げると、アグリアはミラたちを指差しながら吼える。


「マクスウェル、あんたもいつか害虫女とまとめてぐちゃぐちゃにしてやるからね!それとブス!これだけは言っておいてやる。お前がいくら努力しよーが、報われることなんてないんだよ!」
「どうしてそんなことあなたに…!」


ブス、と失礼極まりない呼び名で暴言を吐かれ、レイアが顔を真っ赤にさせて反論を述べる。しかし、全て言い切る前にアグリアはコトたちの前から逃げ出してしまった。必要な情報は全て聞き出した。追い掛けるのは時間の無駄だと分かりきっているが、レイアはどうにも煮え切らない思いを隠せずにいる。
オルダ宮に移動させられたクルスニクの槍。必要としているのはナハティガルと見て間違いないだろう。そこは敵の本陣だ。無防備に殴り込みに行くわけにもいかない。しかし、時間がないのも事実だ。ミラたちは危険を承知で、オルダ宮に乗り込むことで意見を合致した。

目的地に辿り着くまで、厳しい戦いを強いられることになる。そう意気込んで向かったものの、予想に反してオルダ宮の警備は手薄だった。町の中であれだけの騒ぎがあったというのに。それを好機とも取れるが、さすがに違和感は拭いきれない。
違和感の正体にいち早く気付いたのはローエンだった。ラ・シュガル軍はすでにア・ジュールとの戦いに備え、戦の要であるガンダラ要塞へと兵を立ち上げたと見るのが妥当だという。


「ですが、宮殿内にはナハティガルと、以前も傍に仕えていたジランドが居るでしょう。油断は禁物です」


ナハティガル。ジランド。どちらもこのラ・シュガル国にとって重要な人物だ。それを敵にすることが、いかに危険なものか。
胸騒ぎが、した。戦いにおける不安でも焦りでもなく。コトは己の身体の奥で疼く何かを感じた。


(何かを、思い出しそう…?)


確証はない。けれど、そう感じたのは紛れもない事実だった。
行きたくない。心が、そう叫んでいた。

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