クリアな詭弁の世界に淘汰 | ナノ


「……はぁ…」
「…………」


先ほどから、時折聞こえるため息に誰もが口を噤んだ。たとえ何かを話していても、ため息が吐かれた瞬間にそれは途絶えてしまう。普段ならばそんな雰囲気の悪さをさり気なく悟る、その本人が今は会話にも参加せず雪道を進みながらどこか遠くを見ているのだから周りも気が気ではない。行きの時のように寒いというのも一つの要因にはなっているのだろうが、今はそんなことよりも強く心を揺らしているものがあるのが見て分かる。意を決したように、ジュードが「あの、」と声をかけて、初めてコトは前に顔を向けた。


「プレザたちと戦うの、そこまで後悔するなら…なんで僕たちの方についたの?」
「さっき言ったままの意味よ」


落ち込もうが苦い思いをしようが、自分が思ったままに従う。それがコトだった。しかし、さっきのままの意味と断言するものの、こうも落ち込まれては心配性なジュードとしては気にしてしまうのが性。寒さも加わって、やはりコトの顔色はすこぶる悪い。すると、不意にエリーゼが下に垂れていたコトの手に触れる。あまりの冷たさに眉を顰めるも、そのまま自分に目を向けたコトを見上げた。


「コトが来てくれて…わたしは嬉しい、です」
「…ありがとう、エリーゼ」


素直なエリーゼの言葉と幼いなりの気遣いに、コトの表情も少し和らぐ。確かにプレザたち四象刃と戦ってしまったことに精神的なダメージを負ったけれど、ジュードたちとの旅路を選んだのは他でもないコト自身なのだ。あまり落ち込んでいては、自らの選択に示しがつかない。「ありがとう。もう大丈夫よ」普段と違わぬ笑顔でコトが言うと、それまで心配そうにしていたジュードやエリーゼたちも安心したように口元をほころばせた。
それでも、拭いきれないやるせなさは消えない。行き道とは違う、欠けた一人の存在は誰も口にしなかったものの、確かに重荷としてジュードたちにのしかかっているのだ。食えない男だ。それでも、彼が敵に加勢してしまった事実に、戸惑いが全くないわけではない。特に、誰より最初に彼を信じると決めていたジュードにとっては衝撃的なことだったに違いない。
それでも、次に会うときには彼と剣を交えなければならないのかも知れない。


「…アルヴィン…………」


と、思ったのに。


「よぉ、コト嬢。さっきから無視してくれちゃって、ひでーじゃねーの」


道端の山賊よろしく、言い掛かりをつけながら肩に腕を回してくるこの男を、視界に入れたくもないと思うコトの気持ちを悟らない者がどこにいようか。
あまりにも再会が早すぎる。カン・バルクまで逃げるように戻ってきたジュードたちが、今後どう行動するべきかと相談している中に突然割って入ってきたのが、このアルヴィンだ。裏切ったはずの彼の言い分は、自分が敢えて裏切ったように見せかけ、四象刃に間違った情報を信じ込ませ無事ジュードたちを逃がすためだった。というものだった。もちろん、彼ほどの戦力を割かれることは大変な痛手でもあり、協力してくれるということ自体は多いに助かる。しかし、彼は既に仲間たちの信頼を一度、足蹴にしているようなものだ。アルヴィンの話を聞いても、納得のいかない者がほとんどだったろうに、アルヴィンは相変わらず良く回る口でジュードを言いくるめてしまった。「もう嘘はつかない」それを約束に。

そんなことがあったにも関わらず…既にこの有り様だ。コトは首もとのがっちりとした男の腕を睨んだ。それでも無駄だと思い知り、助けを求めるように視線を逸らした先には、不運にもジュードの姿。同じような困った顔をしたままの彼にまさか助けを乞うなんてできるはずもない。


「なあ、殴られたのもすんげーショックだったんだけど?」
「っ」
「お…?」


わざとらしく耳元で息を吹き込むように話してくるアルヴィンのいやらしい仕草で、不覚にも鳥肌のたつ身体が震えた。なんだこのセクハラ親父。実年齢を考えると確実にダメージを与えるであろうその言葉を投げかけてやろうとすれば、それより早くアルヴィンの腕の感触が身体から離れていく。おかしい。ねちっこいこの男の嫌がらせがこの程度で終わるはずは。


「…わりぃね。よく考えたらコト嬢は悪くねえもんな」


あれ。正に拍子抜けとしか言いようのない身の引き方に、自分が何かしてしまったのかと思ってしまった。けれど、アルヴィンはコトから離れてすぐ、今度はジュードに絡みに行ってしまって、違和感は拭えないままになってしまった。コトのもとにも、すぐ気まずそうな顔をしたエリーゼが寄ってきて、小さな疑問はそのまま長く気にとめることもなく忘れてしまったのだが。

…まあ、正しく言うのなら、だ。アルヴィンのことより、すぐ目の前に現れたワイバーンなる未知の存在に怖じ気づいてしまっただけなのだが。


「…いや、これ?」
「おや、コトさんは高所恐怖症ですか?」
「…むしろそうじゃなくてラッキーね。高所恐怖症なら想像しただけで失神してるわ」
「大丈夫ですよ、コト。ローエンに任せていれば落ちませんから」
「あ、そうね、うん」


投げやりな返事になってしまうのは、エリーゼには申し訳ないが仕方ないことだろう。純粋な子供ならば仕方ないことだろうが、同年代のレイアまでどこか楽しんでいるようだった。
話を簡潔にまとめると、このワイバーンなる飛行竜を拝借して、この町を出るのだが。いや、これは怖じ気づいても何らおかしくはない。むしろ周りが皆平然としている方が異常なくらいだ。
…付いて来る側、間違えただろうか。若干の後悔の念に苛まれ頭を抱えていると、隣からにゅっと伸びてきた手が少し乱暴に肩を引き寄せてきた。


「怖いなら、コト嬢は俺とあっちのデカいワイバーンに乗るか?」
「…なんで」
「ワイバーンじゃねえが、魔物の扱い方は実践で勉強済みなんだよ」
「だ、だめです!」
「なんでよ、エリーゼ姫」


がぶっ。ティポがアルヴィンの腕に牙を向いた。まあ、素材はただのぬいぐるみと大差ないため痛みは感じていないだろうが、アルヴィンは自分とコトの間にエリーゼが入ってきたのもあり素直にコトから手を引いた。しかし、不満な表情のアルヴィン。そんな彼に怯むことなく「アルヴィン君の方がワイバーンより危険だからだよ!バホー!」とエリーゼの心中を代弁する。あからさまにショックを受けた振りをしてうなだれるアルヴィン。…振り、というのがミソだ。この男はこんなことでダメージを受けたりはしないだろう。そんな彼に本気で怒るエリーゼを見ていたらなんだかおかしくなってしまって、コトはアルヴィンの腕に噛みついているティポを引き抜くと、自分の腕に抱え込んだ。


「じゃあ、エリーゼは私と乗ろうか」
「あ、はい!」
「おいおい、二人じゃ危ないだろーよ」
「ふふ、だからよろしく、ね」
「あ?」
「私とエリーゼのこと、守ってね」
「……はいはい、かしこまりましたよ」


エリーゼはどこか不満が残っているようだったけれど、「コトとアルヴィン二人よりは…」と渋りながらも了承してくれた。少しは慕ってもらっているのだろうと思うと、憂鬱な空中旅行も幾分か気が楽になった。


「狡いねえ…うちのお姫様たちは」


困ったような男の呟きには、聞こえていない振りをした。

空への不安も、少しは安らいだ。はず、だったのだ。


「まっすぐ飛んでほしいです〜!」
「ちゃんと操縦しろー!」
「ティポ!落ちるから!」
「ああもうおまえらうるせえっ!!」


どきり。初めて自分に向けられた怒鳴り声に身体が震えた。まるで怒られたみたいだ。おかしい。今はそんなこと考えている場合ではないのに。
ワイバーンはアルヴィンたちの予想を遥かに超える扱いにくさだったようで、手綱を引いてもバサバサと暴れる翼は落ち着こうとしない。コトはエリーゼと、下手をすれば飛ばされてしまいそうなティポを必死に抱え込み、後ろにいるアルヴィンに身体を寄せた。つい先程の言葉を守るように、アルヴィンも不自由な腕でコトを強く引き寄せる。「おい!離すなよ!」頭上からの呼びかけに答える代わりに、エリーゼを抱きしめるのとは逆の手でワイバーンの背中にしがみついた。
ワイバーンはしばらく暴れ続けて、やがて風の抵抗のない雲の上まで出てようやく落ち着きを取り戻した。
安定した風に、そっと目を開いた一同は目の前に広がった光景に息を呑んだ。
今の状況も忘れて見惚れるほどの景色。障害物の消えた空では、太陽の光が眩く輝いていた。エリーゼが、レイアが感嘆の声を上げる。


「…空って、こんなに綺麗なのね」
「…ああ」
「アルヴィンは、見たことある?」
「いや…ここまでは初めてだな」
「…そう。お揃いね」


コトがアルヴィンを振り向いて、笑う。今正に美しいと思っていた光が、コトの輪郭を象って輝く様子に、アルヴィンは目を細めた。空に輝く太陽よりも、その方が眩く見えるなんて。そっと、大人しくなったワイバーンの手綱を片方離して、その輪郭に触れようと伸ばす。

けれど、それは彼女に触れることなく、下方からの気配に同時に感づいたコトとアルヴィンの視線が素早く動いた。
刹那、雲を裂いて現れた巨大な魔物。鳴き声とも取れるほどの轟音を上げ、魔物はジュードたちに牙を剥いた。その攻撃を寸でのところでかわすワイバーン。明らかに向けられたら敵意を持った行動に、今までの穏やかな心境は一気に覆る。降りよう!そうジュードが叫んだのを合図に、ワイバーンたちは厚い雲に飛び込み一気に下降していく。しかし、その中でも次々と襲いかかる攻撃。その一打が、運悪くジュードとミラの乗るワイバーンの片翼を打ち抜いた。悲鳴を上げ、下降から落下していくワイバーン。それを追って、残されたワイバーンも地上に向かわされる。


「あそこ!まずい、町の中よ!」


アルヴィンの胸に身体を預けながら、コトが指示した方向に向かう。その言葉通り、ワイバーンはまだ人の多い昼間の町中に墜落してしまっていた。その町並みに、コト以外は見覚えがあった。ローエンと出会った町、カラハ・シャールだ。墜落したワイバーンのそばに着地し、先に降り立ったジュード、ミラと合流しようと走る。しかし、一歩早く魔物の一撃がジュードに襲いかかる。


「っち…!」
「アルヴィン!!」


それを直前に刃で受けたのは、コトとエリーゼを置いて先にワイバーンから飛び降りていたアルヴィンだった。傭兵だというだけあって、そのいち早い判断が救いとなった。遅れて追いついたコトたちが周りを見ると、目立った怪我人はいないようだが、まだ近くに残っている住民の姿がある。それを見逃さず、ミラは町に詳しいローエン、そしてエリーゼとレイアに住民たちの避難に向かうよう指示を下す。コトは素早く、アルヴィンの隣に着く。庇うような姿勢に、アルヴィンは眉をしかめる。


「おい、コト」
「空で、」
「は?」
「ありがとう、守ってくれて。今は私が、守るから」
「…わーったよ、ほら!共鳴!」
「はいっ!」


小さな笑みを同時に零して、コトとアルヴィンは地を蹴った。空に発つまでの気まずさなど感じさせないほどスムーズに動き、寸分狂わず呼吸を合わせ共鳴術技を叩き出す。アルヴィンが土台となり、コトが上空から魔物を貫く。それと同時に、ジュードとミラの共鳴術技が獲物の四肢を薙ぎ倒した。


「呼吸が合ったな」
「うん、上手くいったね」
「どーもな、コト嬢」
「お互い様ね」


こつん、と四つの拳が合わさる。
既に魔物が息絶えた後に、無事戻ってきた救助班、そしてこの町の領主という女性、ドロッセルと合流した。どうやら、魔物が現れたことで重度の怪我を負った者はいないようだ。それでも、不可抗力とはいえ町に危害を与えてしまったことは悔やまれる。しかし、今はそれより優先すべきことがある。コトは手元で伸びきった鎖を巻き取ると、早足でアルヴィンのそばに寄った。


「アルヴィン、」
「あー…やっぱバレてたか。いけると思ったんだがねえ」
「ばか、隠さなくていいの。早く治癒術をかけてもらわないと」


ジュードを庇った際に負った傷。危機を脱し一段落ついたことで安心したせいか、徐々に痛みを我慢できなくなったらしくアルヴィンの表情が僅かに歪む。ずっと怪我を庇うように戦っていたのはアルヴィンではなくコトの方で、そのおかげで大事には至っていないようだ。
アルヴィンの怪我を伝えると、ドロッセルはジュードたちを快く受け入れ、傷を負ったワイバーンの治療にも助力してくれるといった。聞けば、同行者のローエンはつい先日まで、彼女の屋敷で執事を務めていたらしい。町の住民には申し訳ないが、落ちた場所がカラハ・シャールだったおかげで難を逃れることができた。シャール邸で、ひとまずジュードにアルヴィンの治療を頼み、少し休養させてもらうこととなった。


「……、」
「アルヴィン?痛むの?」
「いや、」
「ごめん、僕を庇ったせいで」
「おたくは気にしなさんなって。ただ…」
「うん?」


濁りのあるアルヴィンの言葉に、ジュードは治癒術を施しながら首を傾げる。しかし、アルヴィンは暫しの沈黙ののちに、「なんでもねぇわ」と笑って見せた。

違和感が、拭い切れなかった。コトと出会ったのはつい先日。だが、短い期間に何度も危険な場に居合わせていた。その間で、分かったことがある。

あまりにも、成長が早すぎる。医学生であるジュードも、つい最近まで剣の扱いもままならなかったミラも、戦いを重ねる度に実力をつけ成長していっている。しかし、コトのそれは人間の努力の成果の域を超えているように見える。
彼女は記憶がないといった。ならば、戦い方も一からジャオに教わったのか?しかし、それにしても一般的な成長の基準は逸脱している。

たとえば、だ。
コトの並々ならぬ力の付け方が、成長などではなく、それが本来の実力に戻りつつあるだけだとしたら。
おそらく自分と同じ境遇である、彼女が人並みを超えた能力の持ち主だとしたら。

もしかしたら、彼女の正体は。

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