クリアな詭弁の世界に淘汰 | ナノ


「ウソは嫌だからね」


かつん、と冷たい床を蹴る音が響くのに合わせて、記憶に真新しいジュードの言葉が頭の中で反響した。ふと思い浮かんだそれは、複数の足音だけが響く静寂に酷く浮きだっている。続くように、「おまえたちが信じてくれているのを知っている」と言ったアルヴィンの声も。否定とも肯定とも取れない曖昧さに、コトは確かな疑問を抱いた。しかし問い詰めるような真似はしなかった。性に合わないのだ。
コトの言う通りに城の前まで赴いた一同。コトの話ではすぐに城に入れるだろうとのことだったが、ちょうど良くそこで帰ってきたユルゲンスと居合わせた。彼から聞けば、なんとア・ジュール王の方からジュードたちに会いたいと申し入れされたという。当然、始めから王への謁見を希望していたこちらが断る理由などなくその申し出を受けることにしたが、予定と違う展開に若干の不安が募る。ミラたちが指名手配犯だということと関わっているのか、警戒は必要になる。唯一、城の門を潜る際に兵士から何の咎めもなく、むしろ「おかえり」などと小声で挨拶をされていたコトだけは飄々としていたが。どうやら城で生活をしていたというのは事実らしいということが、そこで初めて証明された。


「コト、王様ってどんな人なの?」
「知らない」
「え?」


冷たい石畳を踏み鳴らしながら、コトはレイアの問いに短く答えた。しかしレイアはその返答に首を傾げる。この城で暮らしていたというのに、コトはそれを治める人物を知らないと言った。本人曰わく、見たことがないとのことだが、それはそれで不思議な話だとも思った。おそらく家のないコトは匿われていたのだろうが、その性格からして与えられる衣食住に見合うだけの働きをしていたのだろうけれど、それでも会うことも出来ないくらい、ア・ジュール王は多忙なのだろうか。しかしそれは簡単な推測で、コト自身があまり気にしていない以上は考えるだけ無駄というもの。
そうしているうちに、謁見の間は目の前まで迫っていた。重苦しく冷たい印象を与える扉に怯みそうになるのは、仕方のないことだろう。ここでもジュードたちは警備の兵に足止めを食らったが、やはりコトにだけは顔見知りのような態度だった。兵士に事情を説明し、その際にティポを預けるエリーゼの様子に違和感を覚えつつも、コトを先頭に一同は謁見の間に踏み入った。広い空間の奥に鎮座する玉座、その物々しい雰囲気に佇んでいたのはア・ジュール王ではなく、ついさっき対話したばかりのジャオだった。四象刃、王直属に配備される、四人の兵士の呼称だ。ジャオもその一人だという。ちょっと待った、そんなのは初耳だと文句でも言いたい気分のコトではあったが、そういうわけにもいかず大人しく口を噤んだ。やがて、その場全体を威圧感が占めた。遅れながらに謁見の間に現れた二つの影。黒を主に焔を思わせる装飾の施された鎧。同じ色を宿した、切れ長の鋭い目。肩の下まである黒髪を揺らしながら玉座に腰を下ろすその姿を見て、コトはひくりと口角を上げた。いや、そんな、まさか。
ごめん、レイア。と、コトは心中で謝罪を告げた。なるほど知らないとは言ったが、本当に知らないだけだったとは。コトはその姿に間違いなく見覚えがあった。見覚えどころか、まさかア・ジュール王などと思わず話したことも、ある。嗚呼、急に頭が混乱してきた。否、考えるのが面倒くさくなってきた。行き倒れた自分を救ってくれた一人が、ア・ジュールの王で、そもそもジャオや彼と共に現れたウィンガルが王にそこまで近い存在だなんて思ってもみなかった。ア・ジュール王、ガイアスもコトが知る限りは必要以上に他人とのコミュニケーションを取るタイプではない。誰も話してくれなかったのだ。故に知らなかった、これは自分に非はないだろう、たとえ結果的に嘘をついた形になったとしてもだ。幸か否か、ガイアスもコトを構う様子はない。さて、一体何を考えているのか。まるで部外者のように他人ごとよろしく会話を聞いているだけのコトには何の咎めもなく、話は着々と進んでいくものだから楽なことこの上ない。


「お前たちをここに呼んだ理由を、単刀直入に話そう。マクスウェル、ラ・シュガルの研究所から鍵を奪ったな。それをこちらへ渡せ」


何が引き金を引いたか、ガイアスの雰囲気が一層物々しくなる。しかし、ミラは臆することもなく「断る」とはっきり切り捨てる。ガイアスの言う鍵、それは人間に扱えるものではない。世界を破壊へと導くであろう強大な力。故にマクスウェルである自分が人間に明け渡すわけにはいかない、と。


「どれだけ高尚な道とやらを説いたところで、人は変わらない。二千年以上、見てきた」


それが、ミラの記憶にある真実、か。物悲しいものだ。
ミラの意志は決して変わらない。しかし、それはガイアスも同じこと。同時に、手段は総じて戦略である。


「では、あなたに鍵の在処を聞くとしよう」


ウインガルの鋭い視線からミラから逸れたかと思えば、コトの背後でひとつの足音が鳴る。自分の隣を横切っていくそれが誰なのか、分からなかったわけではないが。止める気にもなれず浅い息を吐いた。ああ、きっと聞こえただろう。


「アルヴィン、嘘…だよね?」
「ひどいです!」
「悪いね、これも仕事ってやつなのよ」


きっとアルヴィンを信じていた、否、信じていたかったのだろう。見るからにショックを受けているジュードとエリーゼ。しかしこればっかりはフォローのしようもない。他の誰でもなく、アルヴィン自身の意思で行われた裏切りだ。
鍵がミラから巫子のイバルの手に託されたことも、アルヴィンによってあえなく知られてしまった。わざわざ自ら遠ざけたというのに、これでは何の意味も成さない。話し合いに至ってはもう疾うに決裂している。そうなれば、待つのは対峙の道。知らなかったとはいえ関係のある二組に挟まれて、どうしたものかと思考を巡らせていた時だった。慌てた様子の人影がもう一つ、飛び込んできた。現れた女はガイアス、そしてアルヴィンの姿を見ると動揺したように動きを止める。


「アル…?どうしてあなたが」
「よ、久しぶり」
「…コトまで…一体、」
「こっちが聞きたいくらいだわ、プレザ。ねえ、ガイアス?」
「えっ、コトってやっぱり王様の知り合い…!?」


なんということか、こちらの風向きまで怪しくなってきた。プレザにも随分と世話になっていて、この場全員の顔を見知っている。知らない振りも出来ないだろう。しかし、ガイアスはコトの呼びかけに応じる様子もなく、プレザの方向を促す。弾かれたようにガイアスに向き直ったプレザは、衝撃的な言葉を発した。ハ・ミルの村が、ラ・シュガル軍に侵攻され制圧された。その上、村には四大精霊のものと思われる痕跡も多々発見されているというのだ。それがガイアス、そしてミラたちにも混乱をもたらす。


「馬鹿な…四大が動けば感知できるはず。…まさか、新たな鍵が生み出されたのか!」


ミラの発言に、ざわめきが拡大する。こうなっては、ミラの奪った鍵など何の意味も持たない。ガイアスからラ・シュガルへの宣戦布告への確かな意思表示を感じた。しかし、コトが止める間もなく彼は城の奥へと姿を消し、残されたウィンガルがその前に立ちはだかる。


「コト。おまえも、もう過ぎた遊びは十分だろう」
「ウィンガル…」
「そうよ、これから戦いになる。あなたの力も必要になるの」


ウィンガル、プレザの二人の諭すような言葉に、思考が一気に冷え切る。ジャオを見れば、話さないものの同じことを訴えかけているのは明らかだった。背後で、エリーゼが小さくコトを呼ぶ。しかし、振り返らなかった。


「…そうね」
「コト!?」


後ろからレイアの声が上がる。先ほどのアルヴィンのように、靴を鳴らし前へ歩めば、やはりジュードとエリーゼが信じられないというようにうろたえる。しかし、コトが離れるなりジュードたちはア・ジュールの兵に囲まれてしまう。アルヴィンの立つ位置まで歩み足を止めると、にやりと口角を上げる彼の顔がすぐ近くで見えた。


「こんなところお仲間がいたのか、嬉しいねえ」
「そんな、嘘でしょコトっ!」
「まさか、あなたまで…」
「……」
「…?」


敵に囲まれたレイアたち、そしてすぐそばに居るアルヴィンが声をかける。しかし、コトの反応はない。当然それを疑問に思いアルヴィンが少し屈んで顔を覗き込んだ、瞬間。


「…っ」


ばちん。騒がしくなった空間に、やけに大きく響いた乾いた音。物理的な力で顔を背けさせられたアルヴィンは情けなく口を開き、自分が殴られたと自覚すると途端にじんじんと痛み出す頬に手を当てておそるおそるコトに視線を向けた。自分を殴ったであろう手はまだ宙にあり、見上げてくる笑顔がまるで責めているようでアルヴィンは思わず怯んだ。


「な、にすんだよ」
「…同情する必要もなかったみたい」
「はあ?」
「これはジュードとエリーゼの分よ」


言うなり、コトはくるりと踵を返してアルヴィンを視界から追い出した。一歩、歩き出したその背中を、無意識に引き止めそうになってアルヴィンは慌てて上げかけた手を元に戻した。「コト!」代わるように、その名を呼んだのはプレザだった。コトは呼びかけに応じたのか足を止め、四象刃のうち三人を振り向いた。


「ごめんなさい。私、ミラたちのこと結構気に入ってるの」
「私たちと戦うってこと?」
「それも嫌だなあ。私はプレザたちも好きだもの」
「っなら!」


強い言葉、しかしコトは首を振り、もう話すこともないというように微笑みを浮かべた。ふわり、揺れる紫を連れてジュードたちのもとへと走り出す。瞬間、先ほど兵に預けていたティポがエリーゼの指示で勢い良く飛び出してきた。予想外の事態に混乱する兵士たちを、すかさずローエンとミラが押しのける。


「コト!」
「ただいま」
「もう、心配したんだから!」


彼らに合流すれば、ジュードとレイアが出迎えてくれる。両側から差し出された手を取って、ミラたちと共に城を駆け抜けた。


「やっぱり、アルヴィンは嘘つきです」


城内の敵を振り切った外に出ると、息も絶え絶えになっているエリーゼが呟いた。先ほどは逃げることにばかり気を取られていたが、皆思うところは同じだろう。年齢層の若い三人はショックを隠しきれていない。しかし、立ち止まったままになるわけにもいかず、後ろ髪を引かれるような感覚を患わせながらジュードたちは再び走り出した。


「駄目、開かない!」


城を抜ける門。それを潜れば外まで後少しだというのに、肝心の門は精霊術によってロックをかけられてしまい力ずくでも開けることが出来ない。ロックを解除するには門の周りに配置された制御石にマナを注ぎ復帰させなければいけないと聞き、皆がそれぞれ制御石の前に立つ。こんな時、マナを操れないコトは酷く非力だ。ローエン、ミラ、と順番に制御石の解除を済ませていく中、最後に残ったレイアだけが様子が皆と違った。プレッシャーからか、上手くマナを送り込めないでいた。制御石は近いタイミングで同量のマナを与えなければ反応しない。加えて、城から続々と応援が現れジュードたちに迫る。それが余計にレイアを焦らせていく。


「急がないと、もうみんなの足を引っ張りたくないのに…っなんでできないのよ…!」
「レイア、気を楽にしろ」
「ミラ、でも私…」
「おまえが皆より劣っているなんてことはないんだ」
「そうよ。それに、失敗したらまたやれば良いじゃない」
「そ、そんな時間ないよ!」
「あんなの、私一人で全部相手するわ。だから、気負わなくて良いよ」
「ミラ、コト…うん!」


もしも失敗したとしても、追っ手は全て止める。それが、今彼らの役に立てる唯一の力だ。しかし、そんな心配は不要だったらしい。レイアとミラの手を翳した部分から強い光が放たれ、鈍い音を立てて制御石が起動した。今までびくともしなかった門が開き、レイアは歓喜の声を上げる。あとは街を抜けるだけだ。しかし、そう簡単にもいかないらしい。制御石に手間取っていた間に手を回したのだろうか、街の入口付近にプレザとウィンガルの二人が待ち構えていたのだ。


「私、戦いたくないって言ったばかりよ」
「コトがそちら側にいるのなら、避けられないのは分かるでしょう?」
「そうね。恨むならアルヴィンかしら」
「そうして頂戴」


会話を交わしつつも、互いに武器を構える。避けられないのなら道は一つ、勝つしかない。まさかこんな形で恩を仇で返す羽目になるとは思ってもみなかった。コトはプレザのレンズ越しの瞳に、微かに燃えたぎる炎を感じた。

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