クリアな詭弁の世界に淘汰 | ナノ


人は願いを胸に抱き、叶えばと空を見上げる。
精霊と人が暮らすこのリーゼ・マクシアでは、皆がそうして暮らす。
人の願いは精霊によって現実のものとなり、精霊の命は人の願いによって守られる。
故に、精霊の主マクスウェルは、全ての存在を守るものとなりえる。世に、それを脅かす悪など存在しない。
あるとすれば…それは。


「人の、心…か」
「どこかの偉人の言葉かい?」
「…ええ。いつだったか、見かけた本で」


こちらからは背中しか見えないところで、男は「そうか」と呟く。女は揺れる荷台から空を見上げ、いつの間にか覚えてしまった言葉を思い浮かべた。すると、不意に吹き抜けた風が髪をさらい、片手でそれを押させた。いつの間にか、馬車はラコルム海停のすぐ近くまで来ていたようだ。道中よりずいぶんと賑やかな様子に女は微笑み、頬に張り付いた髪を後ろへ避ける。


「さあ、もうすぐ目的地だ。思ったよりずっと早く着けたな、これもお嬢ちゃんが魔物退治を買って出てくれたおかげだ。ありがとうよ」
「いいえ、どうせ宛てのない旅でしたから。私こそ、雇ってもらった上にここまで連れてきてもらえて、助かりました」


旅の商人だという彼から、魔物退治とラコルム海停までの護衛という依頼を受けたのは先日の話だ。特に苦戦するようなこともなく、新しい地に連れてきてもらえたのだから、ずいぶん都合の良い仕事だったと思う。何せ、決まった目的地もなく土地勘もないままの旅だったのだから。


「よし、到着だ。それじゃ、約束の報酬だな」
「ありがとうございます」


馬車から降りて、報酬を受け取ってしまえばそこで雇い主との縁は切れる。数日を共に過ごしたとしてもそれは変わらない。


「ああ、そういえば名前を聞いてなかったな。覚えていたら、うちの物も安くしとくよ。何ていうんだい?」


商人の男の言葉に、女は長い金髪を揺らしながら振り向き微笑んだ。


「はい、私は…」





クリアな詭弁の世界に淘汰





「…え、また?」


間の抜けたジュードの声に、ミラは首を上下に振った。核心に触れない二人の言葉に、後から加わった他の四人は不思議そうな顔をする。


「なになに、どうしたの?」


それに一番最初に口を挟んできたのは、好奇心旺盛なレイアだ。しかし尋ねてきたのは彼女だが他の皆も同じく疑問に思ってはいた。仲間の反応に、ジュードは「ああ…」と呟いて後ろに向き直った。


「私の偽物がいるらしい」
「…ミラ、直球すぎるよ」
「偽物…?」
「ああ、そういや前もいたなあ」


順を追って説明しようというジュードの心遣いも虚しく、それは唯一話題を共有していたミラによって打ち砕かれた。偽物…とは随時極端な話だ。しかし、その極端な単語に覚えがあったのか、アルヴィンとエリーゼは納得したように頷いた。しかし、ミラと出会ってまだ日が浅いレイアとローエンには、それが何の話なのか理解できていない。ジュードは今度こそ、ミラに先を超されないよう口を開いた。


「ローエンに会う少し前くらいから、ミラに良く似た人の話を聞くようになったんだ」
「良く似たも何も、行く先々に現れては『ミラ』って名乗ってんだろ?容姿も良く似てるらしいし、故意的にやってるとしか思えねえだろ」
「また、いたんですか?ミラの…偽物の人?」
「うむ。今回は、私を見るなり『昨日はありがとう、おかげで無事に店が開けた』と言われ握手を求められたよ」
「昨日も何も、私たちついさっきこの海停に着いたばっかじゃん」
「だから、偽物なんだろ」


おお、なるほど。とレイアはアルヴィンを指差した。ついさっきラコルム海停に着いたばかりだというなら、二人が出会ったのもついさっきということになるのだが、レイアには遠慮とうう常識は存在しないようで。
ミラの偽物、もとい良く似ている人物の話を聞くようになったのは、エリーゼと出会った少し後くらいからだった。時折、街や海停で見知らぬ人に呼び止められては、皆がミラに助けられたと言う。しかし、ミラにそんな人助けをした記憶はなく、逆に声をかけて来る方もジュードやアルヴィン、エリーゼには見覚えがないという。旅を始めてから、その三人の内の誰かはミラと行動を共にしていたため、それがミラではないということもすぐにわかった。


「ル・ロンドに居る間は、さすがに話聞かなかったけどね…」
「おたくらも始めは黙認してたけど、さすがに回数が重なりすぎじゃないか?」
「ああ。それに、今回は運良く近くに居るようだ」
「確認、するんですか…?」
「あまり無闇に関わるのは危険では…」
「仕方あるまい。他でもない、私の名を語っているのだ」


心配をするローエンに対し、ミラはそう即答して腰に手を当てる。どうやら、彼女の中でその「偽物」を探すことは既に確定しているらしい。こうなってしまっては、強情なミラのこと、訂正はないのだろうと誰もが悟った。
結局、偽物を探しつつ次の目的地に向かうという形で話は落ち着いた。目的地であるファイザバード沼野に向けてジュードたちは海停を出た。しかし、たった一歩で全員が足を止めることになる。視界に入り込む輝く金の髪。柔らかなそれは風に靡き、凛と張った背中がちらつく。ああ、似ている。直感からそう感じた。それはジュードだけではなく、見れば全員が彼女に視線を向けていた。一歩、ミラが踏み出せば素早く察知した彼女がジュードたちを振り向いた。
長い金髪、鋭い視線。確かによく似ている。明らかに違うのは、彼女の瞳がミラとは異なる空色だということ。


「おまえか、私の名を語っているのは」
「私の…?ああ、あなた…」


まさか、こんなに早く出会うことになるなんて誰が思っただろうか。予想よりはるかに早い巡り合わせにジュードは困惑するしかなかった。しかし、こちらよりも出会うことを想定できなかったはずの彼女はやけに落ち付いている。それが余計に気持ちをざわつかせるのだ。彼女は一度ミラから視線を外すと、後ろのジュードを一瞥し、そして隣にいたエリーゼを見やった。


「会えて良かった。エリーゼ」
「え…?」


不意に微笑んだ瞳と口元。その視線が捉えたのも、呼ばれた名も目の前に居るはずのミラではなかった。その後ろ、ジュードの隣に並ぶエリーゼは、予想外に名前を呼ばれ目をぱちぱちと瞬かせる。それもそうだ、その場にいる誰もが、その状況を理解できていないのだから。自分の呼びかけに何も返さないエリーゼを見て、彼女はくすりと笑う。


「これでも、分からない?」
「、あ…!」


ばさり、風に逆らって金が揺れる。彼女が自らの髪を鷲掴みにしたかと思えば、少し引っ張っただけで落ちるそれ。皆がぎょっとしてその光景を見つめる中、現れたのはそれまでとは真逆の印象を与える紫の髪。それはまっすぐ背中まで伝い、彼女は手ぐしで乱れた髪を整えると、再びエリーゼに向けて首を傾げた。その顔を見た途端、エリーゼは声を上げ彼女を指差す。


「エリーゼ…知り合い?」
「違うよージュード君!この人、あのおっきーおじさんの友達だよー!」


ふるふると首を左右に揺らすだけのエリーゼ。その代わりにと、いつものようにティポが喋り出す。大きいおじさん、それはハ・ミル村でジュードたちと出会うまでエリーゼが行動を共にしていたジャオという男のことだ。ジャオの監禁から逃れてきたエリーゼにとって、彼の仲間だというだけで警戒の対象になる。後ずさるエリーゼを背中に隠すように、ジュードは拳を構えた。あからさまな臨戦態勢に、女は目を丸くして両手を顔を位置まで上げた。


「待って、いきなりそれは酷いんじゃない」
「…おまえは、エリーゼを連れ戻しに来たのか?」
「だから、話はちゃんと聞いてもらわないと」
「…ジュード」


ミラが諭すようにジュードの名を呼ぶ。さすがにミラに言われてまで貫き通す意地でもなかったのか、ジュードは大人しく拳を下ろした。さあ話せ、という視線が一点に集中して、彼女はため息混じりに口を開いた。


「結論から言えば、私はエリーゼを連れ戻しに来たわけじゃあない」
「でも、エリーゼを探してたんでしょ?」
「ジャオとは関係ないもの。私はもうジャオの行方も知らないわ」


ならばどうしてエリーゼを、と声が上がる。何故、何故と一つ一つに理由を求められると答えようがなくなってしまうのか、女は困ったように笑う。順を追って説明するから、と言われジュードたちは漸く口を噤んだ。


「ジャオと出会ったのは、私が行き倒れていたのを拾われたからよ。そのすぐ後に、ハ・ミルでエリーゼに会ったの。行き場がなかった私はしばらくジャオのところで仕事を貰って生活していたわ」
「行き場がないというのは、どういうことでしょう」
「私、ジャオに出会う以前の記憶がないのよ」
「記憶喪失…?」


鸚鵡返しで尋ねるジュードに頷くと、女は特に気にした様子もなく再びミラに向き合う。先ほどまで良くにていると思ったが、こうして並んでいる二人を改めて見ると、言うほどではないと分かる。多くの人が彼女たちを見間違えたのは、未だ女の手に掴まれている金髪のかつらの効果だったのだろう。


「…しかし、それでは余計におまえへの疑いは深まるぞ。記憶喪失だという確かな証拠もなく、おまえのその話からは今もジャオと行動を共にしていると考えるのが自然だ」
「…ああ、確かに」


まるで今気付いたとでも言うように、女は頷いた。その反応にジュードやエリーゼは呆れるばかり。


「ジャオとの関係はもうないわ。助けられた恩は彼からの仕事をこなすことで十分に返したつもりだし」
「じゃあ、なんでエリーゼを探していたの?」
「単純なことよ。気になったから。以前はジャオに連れられていた女の子が、ある日急に姿を消したら驚くでしょう?しばらくして、あなたたちが連れて行ったことが分かったの。どうせジャオのもとを離れたら行く宛もないんだし」
「だから、わざわざミラ様の変装をしてまで探してたってわけか」


知っているのは、自分たちの容姿と、ミラの名前だけだったと彼女は言った。なるほど、それでミラの振りをしていたというわけか。行く先々で自分の偽物が居ると聞けば、それで存在を認知させることができるから。


「おまえの事情は、とりあえず分かった。だがエリーゼを見つけた今、おまえはどうするのだ?」
「そうね、とりあえず彼女が無事なことは分かったし…また宛のない旅かしら」
「ジャオっておっさんのところに戻るとか、記憶を取り戻すとか、何もないわけ?」
「彼に対して心残りになることは全部果たしてきた。一度失ったものに固執するつもりもないかな」


酷く淡白な切り返しに、アルヴィンはそれ以上返す言葉が浮かばなかった。記憶とは、人が生きて歩んできた道筋のようなもの。振り向いた時、そこに誰の足跡もないというのはどういう気分なのだろうかと、アルヴィンは純粋に思った。


「それに、私に何も残らなかったわけじゃあないから」
「…覚えてることがある、ってこと?」
「コト・フォルテッド、十六歳」
「…それだけ?」


それだけ、とコトは微笑んだ。
今の皆の心情は、きっと同じだろう。怪しい。それこそ、どこかの傭兵さえも超える怪しさだった。ただし、雰囲気というか一目で見た様子では彼には劣るだろう。それでも、彼女の意図も行動の奇怪さは十分警戒すべきものだろう。そう、誰もが思っていた。はずなのだ。


「…ねえ、ミラ」
「……また、いつものお人好しか?」


はあ、とミラが息を吐く声。ミラがあからさまにため息を吐くなんて珍しい行動を取ったというのに、ジュードは訂正することもなく軽くつっかえながらも肯定の言葉を零した。視線を後ろに向ければ、皆がジュードをじっと見ていた。アルヴィン、ローエンの二人は特別な反応を見せることもなく、きっとジュードの言いたいことを分かって何も言わないでいてくれているのだろう。レイアは、呆れたと言うように両手を挙げて、苦笑しながら首を傾げる。最後に、隣でジュードの服の裾を掴んでいるエリーゼ。彼女はジュードを見上げほんの少し視線を伏せると、すぐにまっすぐ目を合わせる。それがエリーゼなりの返事なのだと理解すると、ジュードは彼女の低い頭を優しく撫でた。


「…一緒に、行けないかな」
「まったく…そう言うと思ったよ」
「ずっとってわけじゃないよ。ただ、彼女はエリーゼを心配して来たんだし、せめて行く宛が決まるまで…」


心配って、どんな解釈だよ。アルヴィンはそう口に出しかけたが、ここでそんな言葉を述べたところでジュードの意見は変わらない。天性のお人好しに付き合うのも、なかなか神経を使うものだ。実際、彼女がエリーゼを心配していたのか、記憶喪失でジャオの世話になっていただけなのか、本当のことは分からないというのに。


「君がエリーゼのことと同じように責任を持って、そうしたいと言うのなら私は止めないよ。あとはコトの意思に任せよう」
「私も良いよー」
「まあ、見たところ土地勘なんてまったくなさそうだしな」


快く受け入れるレイアと、しょうがないといった雰囲気のアルヴィン。ジュードは二人に笑いかけると、改めてコトに向き直った。「今まで私を疑っていたのに、安請け合いして良いの?」ジュードが口を開く前に、コトは苦笑いを浮かべながら尋ねた。


「君こそ、こっちから誘ってるのに自分で不利なことを言ってる。僕たちを騙すつもりならそんなことしないよね」
「信用させるための罠かも」
「止めてよ。そんなこと言うのアルヴィンだけで十分だから」
「おいおい優等生、それ酷くねえか」


そう文句を言いながらも、アルヴィンの口元は弧を描く。どうやらそう言われることにも慣れてしまったようだ。無論、ジュードもそれを分かっているからこそ、そんな冗談を口にしたのだが。二人のやり取りを眺めつつ、コトはジュードに寄り添うエリーゼに視線を移す。かちりと視線がかち合い、エリーゼはジュードの影に隠れるように後ずさった。まだ、コトを信じきれていない。けれど拒絶しているふうでもなく、どちらかといえば様子を窺っているようだった。緊張感にも警戒心にも欠ける彼らに、薄く笑う。


「それじゃあ、しばらくお世話になろうかな」
「うん。僕はジュード・マティス」
「ミラ・マクスウェルだ」
「私レイア!レイア・ロランド!」
「ローエン、とお呼び下さい」
「エリーゼ・ルタス…です」
「ぼくはティポだよー!エリーの友達〜」
「俺、アルヴィンな。よろしく、綺麗なお嬢さん」
「…一度じゃ覚えきれないなぁ」
「ツッコミなしかよ」


ボケたつもりだったんだ、とジュード。てっきり何かしらの反応が返ってくると予測していたアルヴィンは、期待が外れたことでつまらなさそうに唇をとがらせる。けれどそうやって拗ねたところで、コトからの反応はない。勝手にちょっかいを出して無視されたアルヴィンをフォローする者も、ここにはいない。


「ま、綺麗ってのは本音だけどな」
「それはどうも」
「つれないねえ…にしても、ジュード君は本当に美人を釣るのが上手なようで。羨ましい限りだわ」
「もう…アルヴィンってば」


呆れるジュードとからかうアルヴィンを余所に、コトは一人一人の名前を復唱する。
また少し賑やかになるであろう仲間を見つめ、ミラはその澄んだ瞳を細めて笑った。

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