クリアな詭弁の世界に淘汰 | ナノ


「無理」


軽く吐き出された二つの音に、ジュードは分かりやすく困った顔をした。彼の隣には、両腕をさすりながら歩くコト。ジュードが心配そうな視線を送っても、気付いてすらいないのかそちらを見ようともしない。顔は限りなく無表情に近く、活気が全く感じられない。先ほどから口を開けば「寒い」「無理」の言葉だけ。シャン・ドゥを出る前に寒いのが苦手だから迷惑をかけるかも知れない、とは本人から聞いていたものの、まさかここまで人が変わるとは。


「コト、本当に寒いの駄目なんだ」
「どうしてジュードが平気なのか理解できないくらいには苦手」
「いや、僕も寒いは寒いけど、なんかコトを見てたら…」


コトの異常なほどの寒がり方に、誰もが同じ気持ちになっていた。これだけ寒い寒いと言って震えているコトを前に、自分も寒いなどと言えなくなってしまったのだ。
シャン・ドゥからカン・バルクに行くことは、予定にはなかった。ワイバーンを借りる話をしにユルゲンスに会った時に、ワイバーンを飛ばす許可をア・ジュール王に貰わなくてはいけないと聞き、王の居る城、それがあるカン・バルクに出向かなくてはいけなくなってしまったのだ。その時は、あからさまに嫌そうな態度を取ったコトに珍しいと疑問に思ったものだが、なるほど納得がいった。


「コトさん、もう少しですよ」
「うん…ローエンにまで心配させるなんて、情けないわね」
「コト、カン・バルクに着いたら熱いお鍋食べよう!ねっ」
「コト嬢って猫舌じゃなかったか?」
「えっ、そうだっけ!?」


顔を覗いてくるレイアにこくこくと頷いて肯定する。寒がりな癖に猫舌で熱いものが食べられない、なんとも情けない話だ。しかし、今のエリーゼならともかく、アルヴィンも心配する素振りもないというのはいかがなものか。レイアからじとりと睨まれるが、本人は知らないふり。一番暖かそうな格好をしている彼が酷く憎たらしい。さすが地元というか、一緒に来たユルゲンスに至っては平然としていて羨ましいことこの上ない。もう猫舌なんて構うものか、カン・バルクについたらレイアとローエンと熱い鍋料理を囲むのだ。そう心に決めて、コトはジュードの服の袖を掴みながら足を進めた。


「つ、い、たー!」


そう高らかに声を上げたのはレイアだった。街に着いたことを誰より喜ぶべきなのはコトなのだろうが、寒さのあまりかもう随分前から喋ることすら止めてしまって、到着した今も元気はないまま。顔色は悪いを通り越して白く魚の腹のような色をしていた。気を紛らわそうとジュードとレイアがしきりに話しかけたり手をさすったりと世話をやいていたにもかかわらず、コトの体調は絶不調である。そんなコトのこともあって、ア・ジュール王への謁見についてはユルゲンスに任せ、ジュードたちは早急に宿屋へ駆け込んでいった。


「コト、着替え終わった?ストーブ借りてきたよ」
「はい、コト!あったかいミルク!」
「うん…色々させて申し訳ない…」
「なに、こんな時くらい周りを頼れば良い」
「こうして世話をやかれているコトさんを見るのも、なかなか貴重ですからね」
「からかわないで、ローエン。もう、本当に大丈夫だから」


楽しげに笑うローエンに、コトは眉を下げて反論する。普段から、コトは他人を頼ることが少ない。そのためか、手間をかけてしまったことを悪く思っているようだった。レイアなんて、きっと同じ状況になっても軽く笑う程度で済ますようなことなのに。しかし、そんな他愛ない会話が気持ちを落ち着けたのか、大丈夫という言葉通り顔色はすっかり元に戻っていた。元々、コトは肌が白い方ではない分、先ほどの状態は見ていられないほどだった。安心したのか、がた、とレイアが乱雑に椅子に座る。


「まだユルゲンスさん戻ってこないの?」


まだだ、とジュードが答えるとレイアはつまらなそうに唇をとがらせた。つまりは、暇だということか。この寒いのに元気なものだ、とコトは感心するしかない。体感温度は人によって違うというが、自分はよくここまで寒さに弱く出来たものだ。レイアは椅子から立ち上がると、部屋の隅で黙ったままのエリーゼの隣に並んだ。


「ね、エリーゼ!街の観光でもしよっか!」
「…」
「エリーゼさん、行ってきてはどうですか?」
「ねえ、エリーゼってば〜。ティポがはしゃいでくれないから、私ばっかうるさいみたいだよ」
「前からそうでしょ」


ジュードの冷静な対応に、レイアは振り向きざまにべえっと舌を出して反抗する。いつもと変わらない様子だ。しかし、エリーゼは未だ黙ったまま、レイアと目も合わそうとしない。それでもレイアは根気良く観光に誘うが、次第にエリーゼの表情が険しくなっていく。


「レイアはうるさいなー、いつもみんなの足を引っ張ってるくせに」


漸く口を開いたかと思えば、それはティポの声で。予想してもいなかった言葉にレイアは目を見開いて動きを止めた。ティポはエリーゼの気持ちを喋る、つまりそれはエリーゼの本心での言葉。エリーゼの辛辣な言葉をミラが代わりに咎め、アルヴィンも訂正するようにと促すが、それがエリーゼの癇に障ってしまったのか彼女はティポを連れてそのまま部屋を飛び出して行ってしまった。


「あいたたた…今のは効いたなあ…」
「レイアさん、」
「ほら、私は大丈夫だから、エリーゼ捜しにいこ」


レイアは周りに気を遣わせまいと明るく振る舞うが、それは周りの心配を煽るだけだ。誰もレイアが弱いなんて思っていない。人には得手不得手というものがある、ただそれだけだというのに、きっとレイア自身も気にしていたことなのだろう。しかし、レイアが気にしなくて良いと言うのなら、必要以上に掘り下げるようなことでもない。ジュードたちは軽く頷き、飛び出して行ったエリーゼを追った。
街の先、住宅が連なる道の途中に、エリーゼの背中を見つけたのはレイアだった。否、エリーゼをというよりは、その隣の威圧感にか。捜しに来たエリーゼともう一人、コトからすれば懐かしくもある人物がそこにいた。ジャオ、と口をついて出た声に、広い背中が反応を示す。しかし、コトがその先を語るより早く、レイアがエリーゼのそばに駆け寄っていった。


「エリーゼ、さっきはごめんね。ティポのことで寂しい思いしてたのにね…。ほら、私って遠慮なく言っちゃうとこあるでしょ?許してよ」
「嫌です」
「そ、そんなこと言わないでよ。ね?」
「っレイアもミラも嫌い!コトもっ…友達だと思ってたのに!」


嫌い。吐き出された言葉に、レイアはとうとう返す言葉を失った。しかし、すぐに無理をして笑顔を作ろうとするから、余計に物悲しく思えてくる。「ただ心配なだけ」そう必死に伝えようとするが、エリーゼはまるで信じようとせず首を振ることで強く否定した。


「嘘!わたしのことなんて、本当はどうでも良いくせに!もう友達やめる!」
「エリーゼ!」
「っ」


レイアの隣をすり抜けるように走り出したエリーゼ。しかし、その先に居たコトに腕を掴まれ、呆気なく止められる。珍しく、強く声を張り上げたコトにエリーゼは若干の怯えを表し、見上げる瞳にも僅かながら恐怖に似た色を孕んでいる。


「エリーゼ、レイアの気持ちも無視して、自分のことばかり言って逃げるなんて許さないわよ」
「だ、って」
「エリーゼさん」


後ろから、ローエンの声がかかる。普段とはまるで違う、明らかに怒っている様子のコトを見ていられなかったのか、エリーゼは素直に声の方を向いた。それに連なるようにコトは手の力を緩め、エリーゼを自由にする。今度は、走り出そうとはしなかった。エリーゼは、分からなかっただけだ。言葉の選び方も、感情の抑え方も知らない、まだ小さな子供だ。一つずつ諭していけば良いのだ。それが、大人の役割なのだから。


「わたし…レイアを傷付けてるなんて、思わなかった」
「それじゃあ、レイアに謝っちゃおうか?」
「でも…」
「エリーゼ。レイアの気持ち、分かったんでしょう?だったら、素直に言えば良いのよ」
「コト、…はい」


ジュードが促し、今さっきまで叱っていたコトが小さな背中を軽く押す。エリーゼは戸惑いがちにレイアに向き合い、視線を足元に落とした。小さな声で謝るエリーゼと、それを素直に受け止めるレイア。どこか姉妹のような雰囲気を思わせる二人に、口元が綻ぶ。そして、それを喜ばしく思っているのはコトたちだけではないらしく。


「娘っ子、友達を大事にな。それから、」


ちらり、とジャオの視線が自分に向いたことを察し、コトはわざとらしく目を逸らした。


「…いつでも良いが、話だけはしておいた方が良いじゃろう。皆も心配しておる」
「はい、はい」


まるで父親のようなことを言うジャオに、軽くあしらうような返事。本気かどうかもいまいち分かりかねる態度ではあったが、どうやらジャオはその程度のことを気にするような器でもないらしく、そのまま踵を返して街の奥へと消えていった。


「まったく…過保護なんだか放任なんだか」
「どちらにしても、気にかけてくれる人が居るというのは良いことですよ」


そうね、とローエンに返し、コトは組んでいた腕を解いた。始めは何の関係もない赤の他人。けれど、共に過ごし、勝手に行方を眩ませたことで心配をかけてしまった。それくらいには、彼の中にコトという人間が存在しているということ。誰かに気にかけられるというのは、嬉しいものだ。
既に見えなくなったジャオの姿を追うのを止めて正面に向き直ると、コトは腰に手を当て微笑んだ。


「仲直りも済んだことだし、そろそろ行く?」
「行く、って…どこに?」
「城」


さも当然のように答えるコトに、ジュードたちは首を傾げた。城へはユルゲンスが先に向かっているはず。確かに少し時間がかかっているようにも思えるが、だから行く、というような簡単な場所ではないことくらい、コトならば言わずとも分かっているはず。それとも、ミラのように強行突破、などと言い出すのだろうかと、ジュードは難しい顔をした。


「コト、僕たちはお城には入れないんだよ?」
「え、入れるわよ?」
「どうやって…ですか?」
「私、前はあそこに住んでたから」


ぱち、くり。ジュードの金の瞳が大きく瞬く。「あそこって?」「だから、城」と再び短い会話をしたのを最後に、ジュードはとうとう口を閉ざしてしまった。
数秒後、街にジュードとレイアの驚愕の叫び声が響き渡った。

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