クリアな詭弁の世界に淘汰 | ナノ


「もうアルクノアの仕事はしないって約束して」


分かった、とすんなり答えるアルヴィン。コトはそれに反応を見せることもなく、ふいと視線を逸らした。先ほどの話、母親を盾にされて関係が断てるわけがないのに。呼吸をするかのように自然に吐かれる嘘に、どれだけ多くの人間が騙されてきたことか。その約束を持ちかけたジュードも、特に追求もせず疑う様子もなかった。アルヴィンはアルクノアの一員というよりは、彼らに強要されて仕事をしているふうな言い方だった。必要以上に疑うような性格ではないのだ、ジュードは。
闘技大会の決勝は、予定から少し持ち越しで行われることに決まり、今が正にその時だった。しかし、聞けばその決勝戦は恒例のルールではなく、どちらかが死ぬまで続けられるという考え難いものだった。ユルゲンスによれば、それはア・ジュールの前国王により定められたルールであり、現在において適応されることがないものだという。アルヴィンは、それをアルクノアの作戦だと言った。ミラ一人の命を奪うためにあれだけの犠牲を出しておきながら、尚も続けようとするのか。それほど、ミラの存在が彼らにとっての脅威になるのかコトには理解出来なかった。精霊の主たる者が消えて、一体誰が救われるというのか。


「この下らん作戦に嵌ってやろう。奴らをおびき出す」


しかし、この精霊の主も大概、単細胞である。そう言い切ったミラに、皆が反対の声を上げる。あまりにも危険すぎる、こんな所で賭けるべき命ではないと。当然、コトも同意見だ。たとて戦闘で勝ったとしても、客席からミラを狙う輩が何人居るのかも分からない。あまりにも勝率の低い賭け。しかし、ミラに普通の打算は通用しない。そして、それに感化されつつあるジュードもまた、同様に。
ミラが大会で戦っている間に、他の皆が客席にいるアルクノアを洗い出す。それが今回の作戦だ。
昨日の事件などまるでなかったかのように、決勝戦は未だかつてない盛り上がりを見せて開催された。一人、フィールドに姿を現すミラに観客が声援を上げ、試合が開始されると唸るような歓声が沸き上がる。そんな中、相手の武器から詠唱もせずに術が放たれた。


「詠唱していない…?」
「…黒匣、だな」


近くに居たアルヴィンの口から聞いた名。あれが、黒匣。コトは目を凝らしてフィールドを見つめた。ミラから話には聞いていた、精霊を殺す兵器。それは詠唱を挟まないにもかかわらず一般的な精霊術の性能を超越している。あんなものがアルクノアの手に在り、さらには術者を選ばないなんて、正に兵器だ。選手が使っているのなら、この会場に紛れたアルクノアも似た類の武器を所持している可能性が高い。そんなものを、これだけの大衆の中で使わせるわけにはいかない。
刹那、歓声に紛れて小さな悲鳴を聴覚が捉える。高いトーン、子供のような、しかし聞き覚えのある声に振り返れば、レイアがフィールドとは違う方向へしきりに叫んでいるのが見えた。


「レイア!」
「コトっ!ティポがさらわれたの!エリーゼもそれを追って!」


瞬間、アルヴィンの視界を紫が過ぎ去った。突発的にその名を呼ぼうとしたが届かず、コトはアルヴィンに見向きもせずに駆け出した。鎖を至る所に仕掛け、それを軸に空中を渡るコトにアルヴィンが追いつけるはずもなく、程なくしてコトは闘技場を出ようと走るエリーゼの元までたどり着いた。


「エリーゼ!」
「っコト、ティポが…!」


そばに寄れば、エリーゼは今にも泣き出しそうな顔でコトを見上げる。その腕にいつも抱えられているティポは、今は居ない。コトは小さく首を縦に振り、エリーゼの頭に手を置いた。一緒に行こう、そう言えばエリーゼは涙を堪え大きく頷いた。闘技場を出る間際、レイアとアルヴィンの声を聞いた気がしたが、構っている余裕はなかった。

闘技場、そしてシャン・ドゥを出た男を追って二人は町の外へと踏み出した。シャン・ドゥに来た時とは真逆の方向にある道。確か、以前アルヴィンに連れられた先がこの道だったはず。あの時は町からは出なかった、この先に何があるから全く未開のままだ。しばらく進むと、ガサリと草を揺らす物音に足を止められる。現れたのは予想を裏切らず、数体の魔物の姿。どうやら小さな群を成しているようで、二人の周りを素早く囲ってきた。エリーゼは一歩後ずさり、コトの手をぎゅうと握った。彼女は普段から引っ込み思案ではあるが、この反応は普段と違って見えた。


「コト、わたし…ティポがいないとっ、戦えない…」
「…うん、分かった」


コトはもう一度エリーゼの頭を撫で、彼女を自分の背後に隠した。とはいっても周りを囲まれているこの状況では、後ろにも気を配る必要がある。つう、とコトの背中を冷や汗が伝う。一人で戦うのは、久しぶりだ。しかもあの時とは状況が違う。厳しい戦いなのは必然だった。まあ、負けないけど。とコトは心中で呟き、強く腕を振るった。


「螺旋牙!双々落牙!爆ぜろ、ドロップシャフト!」


ひたすら戦慄が続く中、コトは蛇のように唸る鎖を操り、次々に魔物を薙ぎ払っていく。しかし、やはり一人で複雑の敵を相手にするのは困難な上、こう間合いも取れないままでは殺傷性も落ちる。負けるつもりなど、毛頭ない。だが、己の息が上がりつつあることに気付かないほどコトは戦いに不慣れなわけでもなかった。全部が無理なら片付く分だけ終えたら逃げる、そのつもりだったのだ。しかし、一体減れば別の一体が間を埋め、隙間なくコトとエリーゼを囲っていく。遂には、共に切り抜けることではなくエリーゼだけを安全に逃がす方法を考え出した時、ピリッと静電気にも似たような感覚が背中を走った。刹那、僅かに入り混じる意識。コトは瞬時にそれを悟り、迷うまでもなく身を任せた。


「フォローして!」
「仰せのままに、ってな」
「吹き飛べ!」
『天鷹来迅!!』


刹那、周りを囲んでいた魔物が一斉に薙ぎ払われた。鋭い突風がコトを中心に円を描くように吹き荒れ、それがおさまる頃には、コトは背中越しにもう一つの存在を確認していた。ぬくもり、とは違う、背中に広がる安堵感。何だ、ずっと一人だったくせに、自分はもうこの感覚に慣れきってしまっている。


「ちょっと助かった」
「俺が必死に追いかけてきたってのにちょっとかよ、贅沢なお嬢様だな」
「ん。ありがとう、アルヴィン」
「まだ終わりじゃないけどな」


ズガァン!という低い銃声が過ぎる。それに一体の魔物が貫かれ、あえなく事切れる。ちょっと、と表現したばかりだが、今の状況でこんなに嬉しいことはない。背中を任せた状態のまま、コトも駆け出した。
二人掛かりで残っていた魔物を一掃するのに、そう時間はかからなかった。プロの傭兵と言うだけあって、援護も安定していたアルヴィンの加入はかなりの戦力になったのだ。


「おたくら、無茶して単独行動とかやめろよ」
「追いかけないとティポを見失うじゃない」
「ったく…コト嬢は良いにしても、エリーゼ姫は一人じゃ戦えないんだろ?今頃、優等生あたりが心配で泣いてるかも知れないぜ」
「そう、私は別に良いのね」
「…揚げ足取んなっつの」


魔物も居なくなり一段落ついたかと思えば、アルヴィンから似合わない小言。しかしまともに聞く気のないコトは軽く冗談で返す。すると、アルヴィンも面倒になってしまったのかそれ以上煩く言うことはなかった。コトは懐を漁りアップルグミを取り出し、軽く口に放り込む。さすがに一人で多くの魔物を相手にするのに疲れを感じたのだろう。


「…さて、邪魔が入って見失ったけど、きっとこの先よね」
「おいおい、まだ行くのかよ。ミラ様たちを待つとかないわけ?」
「ないわね。あの人がどうしてティポを攫ったのかが分からないなら、時間を与えるべきじゃないでしょう?」


ごもっともだ。アルヴィンは困ったように頭をかき混ぜた。ミラには任せると言われたが、どうやら自分には何の権限もないらしい。しかし、ここで二人を放っておいて先ほどのような事態にならないとも言えない。アルヴィンには権限もなければ、選択肢も存在しなかった。


「あ…あの人です…!」


薄暗い坑道の奥、エリーゼの声は二重に響いた。コトたちが振り返ると同時にその対象もこちらを向いた。その手には紛れもなく、ぐったりとしたティポが握られている。
アルヴィンと合流して随分経っていたが、遂に見つけた。


「ティポを返しなさい」
「…ちっ」


軽い舌打ち。しかしそれは何よりも明らかな拒否の表れだった。男の手はティポの口に深々と刺さっていて、エリーゼがティポの名を叫ぶ。案の定、武器を構えてきた男に、コトとアルヴィンも身構える。相手は二人、どちらも黒匣を所有しているようだ。コトはエリーゼの身を坑道の曲がり角の向こうへ隠させ、その手前に立ちはだかる。黒匣を向ける、ということは、殺すつもりだ。


「アルヴィン、一人ずつ行こう」
「じゃ、俺はティポの方な」
「わざわざ面倒な方を受けてくれるのね」
「俺は出来る男だからな」
「かっこつけ」


ひでーな、なんて言いつつ笑っているアルヴィン。そんな二人の態度が気に食わないのか、男たちはじりじりとこちらに間合いを詰めてくる。ジジ…、と黒匣から火花に似た輝きを捉えた瞬間、コトとアルヴィンは二手に分かれて飛び出した。黒匣が二人を追うが、重い鉄の塊のようなそれを自由に操ることは難しい。標的が絶え間なく動いているなら尚更だ。


「剛落牙!」
「ぐっ…」
「魔神剣!」
「アルヴィン!」
「おう!」
『月牙・鷹!!』


一人が怯んでいる隙に、もう一人に同時に技を打ち込む。遠くに吹き飛んだ身体は地面で跳ね上がり、沈む。


「ほらよっと」


アルヴィンがもう一人の腕を蹴り上げると、その手からティポが離れ遠くに吹き飛ぶ。それはエリーゼのそばに落ちて、彼女はそれを手にしようと曲がり角の影から身体を乗り出した。その小さな手にティポが抱かれたのを確認して、コトは再び相手に向き合った。黒匣から歪んだ輝きが発せられ、コトははっとした。背後にはエリーゼがいる。ここで黒匣の攻撃を避ければ、エリーゼに当たってしまう。コトは咄嗟に踵を返し、エリーゼの方へ駆け出した。


「エリーゼ!!」
「え…?」
「チッ…!」


コトがエリーゼを抱きかかえたのと、アルヴィンが男の懐に目掛けて突っ込んだのは同時だった。黒匣から火炎が放たれ、しかしそれはアルヴィンの大剣によって弾かれ軌道が逸れる。刹那、コトは肩に焼けるような痛みを受けた。思わず唸りを漏らし、しかし抱えたエリーゼを離さずに二人で地面に倒れ込んだ。次の瞬間、男はアルヴィンの一撃、タイトバレットを間近で受け吹き飛んだ。


「あっつ…」
「コト、血…っ!」
「ん、余裕。それよりエリーゼ、下敷きにしちゃってごめん。怪我しなかった?」


実際は右肩がジクジクと絶えず痛み続けているのだが、コトはここで弱気を吐くような性格ではない。必死に首を上下に振るエリーゼを起き上がらせ、あやすように頭を撫でる。しかし、同時に聞こえた仲間の呻き声に、コトは弾かれたように振り向いた。


「アルヴィン!!」


見れば、アルヴィンはもう一人の男に距離を置かれ、黒匣で集中的に狙われていたのだ。相手が黒匣を有しているのなら、遠距離戦は不利にしかならない。コトはすぐに駆け出し、二人の間に割って入った。アルヴィンの焦ったような声が飛ぶ。


「ばっ…!」
「っ食らえ!」
「螺旋牙!!」
「ぐあ…っ」


ぐんっ、と弧を描く鎖が男の身体を黒匣ごと吹き飛ばす。男は仰向けに吹き飛んだがすぐさま体制を立て直す。しかし、未だ武器を構えるコトとアルヴィンを見て、限界を悟ったのかそのまま踵を返して走り去っていった。わざわざ危険を侵してまで攫ったティポに全く見向きもしなかったのが気になったが、今の二人に男を追うだけの余裕も、残されていなかった。敵の前で弱っている姿は見せられないと気を張り詰め続けてはいたが、正直互いに限界は近いのだ。がしゃん、とアルヴィンの力の抜けた手から銃が零れ落ち、コトも鎖を戻す余裕もなく立ち尽くしていた。


「なに、バテた?お嬢様」
「馬鹿にしてるわね、その呼び方」
「今更だな」
「この状況だからよ。バテてるわけないじゃない、そっちこそもう限界なんじゃあない?」
「冗談言うなよ、俺様全然余裕だしねー」
「壁に寄りかかっておいてよく言うわね、もう歳なんじゃないの」
「おいおい俺そんな歳じゃねーぞ。まだまだ余裕だっつの、なんならコト嬢、肩貸してやっても良いんだぜ?」
「…そう、じゃ、お願い」
「え?あ、おい」
とん、とアルヴィンの肩に重みがかかる。今まで意地を張り合っていたにもかかわらずこの変貌振り。アルヴィンがコトの身体を起こそうとするが、彼女の右肩から広がる赤を目にしてぎょっとした。おい、と声をかけても反応は薄い。あの、エリーゼを庇った時の傷だろうか。自分なりにカバーしたつもりだったのだが、掠っただけであろう傷はじくじくと肌を裂いている。


「コト、おい」


もう一度呼べば、長い睫が儚げに揺れて、そのまま空の色をした瞳は閉ざされた。


「あー…やば、」


見ている人間が気を失った途端、身体の力が抜けていく。コトの身体を支えたまま、アルヴィンもずるずると地面に座り込んだ。視界に入らないところで、エリーゼの泣いている声が聞こえた気がしたが、それを気にとめることも出来ずアルヴィンも身体の気だるさに従い瞼を下ろした。

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