クリアな詭弁の世界に淘汰 | ナノ


翌日、アルヴィンの態度は普段と何ら変わらず。気にしていないというよりかは、まるでなかったことのように扱われているらしい。昨夜あんな修羅場紛いなことをしたというのに、切り替えの早いこと。彼も、もちろんコト自身も。ただ、頭の片隅で彼の言葉が引っかかっている、あくまでその程度なのだ。初めて会った時にも言った、一度なくしたものに固執するつもりはないという言葉、それは偽りではなく、揺るぎない。ただ、どこか逃げ道を探しているようではあると、それは自覚していたが。


「どうかしたのか、コト?」


ぱち、と瞬きをする。目線を上げると目の前には煌めく暖色の瞳。至近距離でミラに見つめられていたというのに、声をかけられるまでまるで気付かなかった。そういえば、闘技大会が始まるまで別行動を取ることになって、ミラたちに着いてきたのを思い出す。それほど考え込んでいたという自覚はなかったのだが、この状況が事実を物語っている。


「ごめん、何でもないの」
「あ、イスラさん!」


そうか、と言おうとしたのだろうか。口を開いたミラだったが、次の言葉を音として発する前にレイアの声に遮られた。声の方を見れば、そこには肩までの黒髪を揺らす女性の姿。彼女には見覚えがあった。この町に来てすぐにあった落石事故。その際にレイアの怪我の治療をしてくれた医者だ。もっとも、その時にはアルヴィンはちょうど皆から離れていたため、彼は彼女の存在を知らないだろう。ちら、と後ろにいるアルヴィンに視線を送ったが、これといった反応はなかった。


「怪我の具合は良いみたいね」
「はい、イスラさんのおかげです」


一度助けてもらったからか、レイアはひどくイスラに懐いているようだった。彼女は看護士だと聞いていたし、同じ女性で医者を務めている彼女に憧れを抱いているのかも知れない。ふと、イスラはレイアから視線を外しミラ、コトへと移す。それは流れるように、一緒に居たアルヴィンにも自然と向けられ、イスラは彼の顔を見ると僅かに表情を崩した。互いに知らない相手だと思い込んでいた側からすればそれは不思議なことで、レイアは率直に尋ねる。


「あ、いえ…」
「良いよ、イスラ先生」


イスラは何故か視線を逸らし言いよどんだが、アルヴィンの言葉によって弾かれたように顔を上げる。その反応で、何かしら関係性があるのは明らかだった。


「先生には母親を看てもらってるんだ」


アルヴィンによると、シャン・ドゥにいる母親はとても身体が弱く病気がちだという。傭兵であるアルヴィンは町を離れる期間が長く面倒を見ることが出来ないから、彼の代わりに医者であるイスラに治療も兼ねて世話を任せているようだ。なるほど、母親がこの町に。ということは、昨日のあんな時間に外に居たのは、もしかしたらその母親に会いに行っていたのかも知れない。「今日は珍しく自分のことを話すな」そう言うミラを、アルヴィンは軽く視線を逸らしてはぐらかす。


「ただ、故郷に帰してやりてえんだよ」
「お母さんの故郷って遠いの?」
「…めちゃくちゃな」


遠く、まるで空の彼方でも追うように見つめ、アルヴィンは呟いた。ああ、また少しの違和感。昨日の彼と、いつもの彼と、今この瞬間の彼。一体どれが本当の姿なのだろう。何に怯え、何を隠しているのだろうか。不意に、アルヴィンはコトが無意識のうちに送っていた視線に気づき振り返り、僅かに瞬きをした。見ていたのを気づかれた、けれど視線を外すつもりにはなれなかった。


「…お母様、重い病なの?」
「……」
「、ごめんなさい。私が口出すことじゃあなかった」


すぐに質問を誤ったことを自覚した。わざわざ医者が訪ねて面倒を看るような病気が、軽いわけがない。他人の、それもついこの間知り合ったような人間が簡単に首を突っ込んで良いことではない、普段なら考えなくても分かることなのに。ああ、やはり昨日からおかしい。自分と、アルヴィンの行動ばかり気にしている。とうとうアルヴィンを見ていられなくなって顔を背けるが、直後に肩にぽんと手のひらが置かれた。固いグローブの感触、相手は一人しか居なかった。


「良いよ、心配してくれたってことだろ」
「…どうかな」
「一時の縁、なんて言っちゃうお嬢様が関係ない人間を気にするから、ちょっと驚いたんだよ」
「関係…なくはないでしょう。アルヴィンのお母様なんだから」


ぽかん。一瞬、不意をつかれたように目を丸くしたアルヴィン。しかし、しばらくして小さく「俺のこと口説いてる?」なんて言うものだから、今度こそ顔を背けて肩に触れるその手からも離れた。つれないだのと言うアルヴィンの言葉には、反応しなかった。この男のこういう軽い面は苦手かも知れない。昨夜の射抜くようなあの鋭い視線が鮮明に思い出せる今は、特に。その後も、大会の話やユルゲンスとイスラが婚約者だったという話で盛り上がっていたが、コトはまた昨夜を思い出し会話に集中することが出来なかった。

気が紛れたせいだ。思ったように身体と思考が動いてくれなかったのは。


「コト、ちょっと」
「うん?」


所変わって、食堂。不意にジュードに呼ばれ、手招きされるままコトは彼のそばに寄った。ふわり、グローブ越しの手が頬に触れ、やがて温かさに包まれる。仄かな輝きに身を委ねると、ほんの僅かな時間でジュードの手は離れていった。視線を合わせると、満足そうに微笑む彼。


「頬、切れてたよ」
「それくらい良いのに、精霊術って疲れるんでしょう?」
「少しはね。でも駄目だよ、女の子がそんなこと言っちゃあ」
「女の子扱い、してくれるんだ」
「…も、もう…コトもすぐそういう言い方するんだから」
「うん、ごめんね」


誰と並べられているかは、明白だ。からかうとすぐに顔を赤くするジュードは、同世代のコトからしても可愛さを感じさせるものだった。しかし、今し方治療した頬の傷はコトがジュードのサポートをした時に付いたものだと気付いているのか、ジュードはそれ以上のことを言おうとしなかった。なるほど優等生、とコトはアルヴィンが付けた愛称に一人納得する。
闘技大会、というのはなかなかハードなものだと、ジュードたちは当日になって思い知った。まさか相手の多くが魔物とは知らず、いざ本番となって驚かされたものだ。しかし、旅をしてきた一同に予想外なんて付き物で、そのまま大会を勝ち進んであっという間に決勝戦、というわけだ。決勝自体は翌日に行われるらしく、ジュードたちは食堂で早めの夕食をとることになった。しかし、皆がいざ食べようという時にそれは起こる。


「食事には手を付けるな!!」


声を張り上げたミラ。皆が反射的に食事から顔を話し彼女を凝視する。アルヴィンはスプーンで掬ったカレーをそのままに、視線だけでミラの方を向いた。すると、背後でガシャンという何かが割れる音。振り返れば、同じ食堂にいた大会参加者が地面に伏せって、その傍らにバラバラに割れた食器が散らばっていた。それに続くように一人、また一人と倒れていく。ジュードとレイアはすかさず彼らに近付き、容態を診る。もがき苦しむ者も、次々に動かなくなっていく。コトはとっさに、隣にいたエリーゼを引き寄せ、その光景を見てしまわないよう目を塞いだ。水溶性の毒、ローエンはそう分析した。食堂の料理すべてに、その毒が仕込まれていたのか。ぞわり、背筋を氷が滑ったような悪寒が走った。腕の中のエリーゼが僅かに震えている。こんな、小さな子供にまで。ガタッ、突然何かを揺らすような音が聞こえて顔を上げる。


「アルヴィン?」


そう呼びかけたはずだった。しかし彼はそれに反応することもなく、弾かれたように食堂を飛び出して行ってしまった。ミラが呼び止めようとしたが、やはり聞く耳ももたず。その異常とも取れる行動に余計に混乱が増す。一人欠けた状態で、ジュードたちは危険を避けるように宿屋へと引き返すことになった。

アルクノア。その単語が強く印象に残った。宿屋に戻ってから、ミラの話に出た組織の名だ。今回の毒、そして昨日の落石事故も、その連中に仕組まれていた。そして、その狙いはミラ一人だということも聞いた。そのために、あれだけ多くの犠牲が出ることも厭わなかったのだと。それを聞いて、胸焼けににたような感覚を覚える。気持ち悪いとさえ思った。汚い、大人だからこそ思い付くやり方に嫌悪感を抱く。


「コト…大丈夫ですか?」


先ほどまで自分の腕にうずくまっていたエリーゼも、今は落ち着いているのに。コトはいつまでも胸を掻き乱されるようなその感覚に悩まされたまま。大丈夫よ、と返した表情がいかに頼りなかったか、更に心配そうにするエリーゼを見れば嫌でも分かってしまう。情けないな、と心中で嘲笑。彼らと出会ってから、これまでに感じることのなかった感情を植え付けられているようで。それは決して心地良いものではない。

だから、あまりにタイミングの悪過ぎる自分の首を絞めてやりたくなる。早朝に、部屋を出て行くミラを見付けなければ良かったと心から思った。
冴える空気に溺れて窒素しそうだ。

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