短編 | ナノ


エレンは可愛い。それはもう無垢な天使のように。けれどそこには無自覚故のあくどさ、さながら小悪魔と称するに値するほどの魔性の魅力を秘めているに違いない。可愛くて、格好良くて、天使であり、小悪魔であり。あざとい。あざとかわいい。まず顔が可愛い。女の子より大きい瞳、手入れをした面影すらもない眉筋が逆に瞳の美しさを引き立てている。そのくせ顔に似合わず身長は十五歳の子どもにしては高く、体つきもとても逞しい。そのギャップがまた良い。もう私どうしようエレンが魔性すぎて人類の希望を捨て去ってしまいそうですごめんなさい巨人に喰われたパパとママ。娘は今、愛に生きます。

と言ったらジャンに本気で引かれた。


「物語を面白くするには多少の脚色は必要なんだよジャン君」
「全ッ然、面白くねーよ!おまえマジで気色悪いからやめろよなそういうの!」
「む、君は脚色無しのありのままのエレン愛を聞きたいと申すか。まったく、欲張るなぁ…」
「言ってねぇええええ」


誰かこいつ何とかしろよ!とジャンが視線で周りに訴えるが、あまり関わり合いになりたくないのだろう。食堂の全員が一斉にジャンから視線を逸らした。裏切り者!と内心うろたえるジャンだったが、おそらくこの104期生が全員で掛かったところで彼女のエレン愛なるものは止まるはずがないのだ。
だいたいそんなに好きなら本人に言えば良いだろ、と思うのだが、それを言うと彼女は目をかっぴらいて「馬鹿やろうそんな気色悪い真似したらエレンに嫌われちゃうだろ!?」と殴りかかってきそうな勢いで怒鳴られた経験がある。彼女自身に気色悪い自覚があったという驚くべき事実が発覚した瞬間である。
しかしジャンは考えあぐねていた。彼女のこの奇行もとい好意が、どういう意味合いを持ってエレンに向いているのか。遠目からエレンを見つめる様子は恋をしている少女のようにも見えるし、しかし頻繁に見せる変態紛いな発言からはまるで愛玩動物でも愛でているようでもある。普段の発言からは考えにくいが、彼女がエレンに恋愛感情を抱いているとしたら…………それはジャンにとっては非常に面白くない話だ。
聞きたくもない喧嘩ばかりの同期への変態発言を聞いたり、毎回毎回ツッコミを入れたりからかったり。そんなふうに構ってしまう理由を、彼女は知らない。他の男の話なんてどこも面白くない。彼女と話すのは体力がいるし、意味が分からないことばかり言ってくるし。しかも彼女は興奮すると口と同時で手足が出るという厄介者である。普通なら関わらない。関わってきても相手になんかしない。けれどジャンは、その鬱陶しい少女がどこか別の人間のところで、いつものように嬉しそうに話す姿を見るのは堪えられないのだ。自分も大概どうかしている、と自負しながら、あわよくば彼女の恋愛なのか愛玩なのか分からないエレンへの気持ちを、完全に動物的な兄弟的なそれにしてしまおうとさえ思っていた。
だって、そうしたら、恋愛感情の部分は自分が貰えるかもしれない。エレンの次に長い時間一緒に居るのは、間違いなく自分なのだから。


「おいこら聞いてんのかっ!」
「いっ!?ってめぇ何いきなり足踏んでんだよクソ女!」
「あんたが聞きたいって言うから私がわざわざエレンとの馴れ初めを語ってあげてたのに上の空だからだっつの!」
「だから俺は聞きたくねぇんだよ馬鹿!」


この鈍感クソ女!と高らかに叫べたらどれだけ良いか。ジャンの聞きたくないという発言を悪く取った彼女はギャーギャーと騒ぎ立てるが、それはどちらかと言えば「俺以外の男の話なんて聞きたくない」という意味なのを、彼女以外の食堂の全員が悟ったことだろう。
どうしてこうも伝わらないのだろう。当の本人はぶつぶつと文句を垂れながらぼすぼすとジャンの腹を殴っているし。鍛えた体に軽く拳を入れたくらいでは痛くもないのだが、いかんせん彼女は一から十まで面倒くさい性格をしている。ジャンは深く息をつくと、未だ腹を殴ってくる手首を片手で掴んで制止させた。


「わーった、わーった。飯食ったら聞いてやるから」
「ん?」
「部屋は他の奴ら居るし…人気のないとこ探すか」
「私は別にジャンたちの部屋でもいいけど」
「一緒の部屋の奴らが哀れで聞かせらんねぇよ、馬鹿」


嘘だ二人きりになりたいだけだ、と周りからの気まずい視線がジャンに突き刺さるが、ジャンは全く気にする様子もなく少しだけ上機嫌を露わにしていた。案外良いコンビなのだから早く幸せになれば良いのに、と思う者は少なくはないのだが、いかんせん彼女の方は生粋のエレン中毒者でそう簡単にはいかないのが痛いところ。今はとりあえずこのままの関係を持続することが、ジャンにとっての最善なのだろう。


「ほら、さっさと食うぞ」
「あ、うん」


するり。手首を掴んでいたジャンの指先が、さり気なく手のひらに移る。

ガタンッ!
突然響いた荒々しい音にジャンは「うおっ」と声を上げて手を離した。何だ何だと音の方を見やれば、今まで話題の中心に居たのに一言も喋らなかった、エレン張本人が椅子から立ち上がり射抜くように鋭い目でジャンを睨みつけている。エレンは食べかけの食事をそのままに、大股で二人の元に来ると、間に割って入るようにそれまでジャンが掴んでいた小さな手を取った。エレンはジャンを睨んでいて分からなかっただろうが、その瞬間の彼女の間抜け面をジャンはしばらく忘れられないだろうと思った。


「…おれ」
「あ?」
「すっげー待ってたんだけど」


ジャンを見上げながら、エレンはぽつりぽつりと零す。エレンに手を握られたことで混乱している彼女には分からなかったかもしれないが、ジャンには赤く染まるエレンの耳がしっかりと見えていた。


「お、おれのこと好きって言うなら、ジャンじゃなくて俺に言えよっ」
「え」
「俺だってずっと好きだったんだから!」


ぎゅうう、と痛いくらいに握りしめられた手。ぽかんと口を開けた少女の白い肌が、次第にピンク色に染まっていく。そんな二人を見ながら、ジャンは頭の中で「あーマジかぁ」と呟いた。いやに冷静だったのは、驚かなかったからではなく、ジャンがエレンの隠していた想いに気が付いていたからだ。もちろん、エレンもジャンの下心を知っているだろう。彼女が「ねぇジャン聞いてよエレンがね、」と笑ってこちらに来る後ろ姿を、ずっと射るように見つめていた存在。喧嘩紛いな取っ組み合いをして密着している時、内緒話をするみたいに耳に唇を寄せてきた時、まるで失恋したみたいに情けない顔をして見て見ぬ振りをしていたエレン。まったく、好きだ好きだと喚きながらその相手のあんな痛々しい視線に気付かないのだから、この女は兵士なんてまるで向いていないのだろう。エレンはエレンで、そんな馬鹿な女がいずれは自分に告白してくるだろうなんて高を括っているから、今になって慌てる羽目になるのだ。

取られたくなんかないくせにがっつけないガキ。まるで俺みたいじゃねえかよ。


「いっ!?」
「あだっ!」


ゴン!スコンッ!幾分か小さい二人の頭に拳と手刀を入れる。可愛さ余って憎さ百倍。それでも惚れた弱みで彼女の分はいくらか軽くなってしまった。涙目で見上げてくる馬鹿二人。これがため息を吐かずにいられようか。


「おまえらマジで面倒くせえ。痴話喧嘩なら俺抜きでやれよな」


食べかけの食器が乗ったトレーを持ち上げて、二人のそばから離れた。面倒くさいは確かに面倒くさい。それにこれ以上、勝率ゼロになった戦場に突っ立っていられるほど無謀ではない。他に空いた席を見つけ座ってすぐ、微妙な苦笑を浮かべたコニーが隣にやってきてジャンは小さく舌を打った。

青春なんざ糞くらえ。
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