短編 | ナノ


私はきっと、飽き飽きしていたのだ。守られることに。マリアと、慈愛に満ちた美しい名をつけられた監獄に捕らわれ続けることに。私は変化を求めていた。しかしそれは、私の生きるマリアの懐において絶対的な悪とされた。外の世界を乞うのは愚か者の成すこと。空を夢見るのは命を粗末にする馬鹿な真似。私は彼らの言うことも、十分に理解できた。五年前、最愛の父が何の形もなく、忽然とその姿をこの世から消した時に少なからず感じたことだったからだ。調査兵団の父を持った私は、物心ついた頃からその日を覚悟していたつもりで、本当は何も理解できていなかったのだ。当然だろう。私と母に知らされたのは勇敢なる父の「死」という現実のみだったのだから。遺体の一部も、遺品の一つさえも残らなかった。私はその時、私を抱き締めて泣き崩れる母を無視してでも、父の死を知らせに来た大人たちに訊くべきだったのだ。父はどうやって死んでいったのかを。私の中で父はこの上ないほどに美化されていった。私たち家族の生活のために、この世界の全ての人類のために剣を振るうその人を、美しいと思ったのだ。仕事が忙しく滅多に会えない人でも、私の中で父の存在は絶対だったのだろう。同時に、壁の外への憧れも、誰にも口外することなく日に日に増していくばかりであった。

それがいかに恐ろしいことか、初めて己の愚かさに気付いたのは、父が死んで五年後のことだった。
私は気絶しそうなほどの異臭と騒音、恐怖の中でその光景に目を奪われた。巨人に食われる。その意味を、私は生まれて初めて知ったのだ。自分の母親、その姿を使って。

ウォール・マリアが突破された。誰もが有り得ないと思い、その危機感さえ失われつつあったその日、私たち人類を守る壁は無残にも破壊された。
鳴り止まない警報と地響き。人類の絶望がすぐそこまで影を這わせていた。混乱に包まれる中、母は私の手に引いてがむしゃらに走り続けた。衣服も、金も、昔父から貰った宝物のペンダントも置いて、私と母は身二つだけで逃げた。
けれど、巨人の脅威は圧倒的なものだった。その足で家々を潰し、大きな手で人々を掴みまるで甘い菓子でも放るように食らう。その時の奴らの恍惚に満ちた表情を、狂気を私は永遠に忘れられないだろう。
母は捕まった。巨人に見つかった瞬間、私を突き飛ばしたその隙に。簡単に掬い上げられ、抵抗とばかりに振りかざした細い手足をもがれ、肉塊となり果てた瞬間にその大きな口へと消えていった。私は息を呑んだ。皮肉にも絶叫にならなかったことで、私は巨人の意識から免れることに成功した。別の餌を見つけたのか、巨人は母の血をまとわりつかせた顔を他へ逸らした。
その隙に私は逃げた。無我夢中で、ただ逃げ続けた。父が死んでから母が良く言っていた、もしものことがあったらあそこへ逃げるのだ、と教えてくれた場所へ。

そこにはもう大勢の人がいた。助かりたい、食われたくない、その一心で町に住む人全てが逃げてきたのだ。子供の小さな身体なんて押し潰されてしまいそうなほどの人数。けれど、ここにいる何百、何千という人間は全て、彼ら巨人にとって等しく餌でしかない。


「おい、きみ!」
「!」


久しぶりにまともな言語を聞いた気がする。壁が崩れてから、聞こえていたのは醜い咆哮と断末魔ばかりだったから。この人混みから偶然にも私を見つけた男は、子供ならば誰もが一度は憧れた服を纏っていた。その人に両肩を掴まれ、家族の人はと尋ねられて、私はまだ己に突きつけられた現実を受け入れられないまま首を左右に振った。途端に苦い顔になった男は、人混みを掻き分け私をいち早く船へと先導する。子供を優先的に乗せているのだろうか、乗り込んだ船には私のように大人がついていない子供の姿が多くあった。パパ、ママと嗚咽を零している子供に何があったか、訊くまでもなく己の体験から優に想像できてしまう。程なくして、町に多くの人を残し船は出航した。船着き場に残された人々の叫声を耳にしながら、こんなことなら私が残っていれば良かったと思った。だって、私にはもうないから。家族の温もりも、無事を分かち合う人も、憧れた空への想いも。私にはもう何もないのに、この命だけ持っていてどうすれば良いのか。たとえこの船で逃げおおせたとしても、先に待つのは孤独という地獄なのに。


「……し、……る…」
「…………?」


船の手すりにもたれて、死に逝くであろう人々が小さくなっていくのを見ていた私の隣に、別の手が置かれる。同時に聞こえた、一瞬獣とも思える唸り声に視線を傾けた。


「……!!」


息を、呑まずにはいられなかった。私と同い年くらいの少年が、手の甲に筋が浮くほど手すりを握り締め、獲物を狩るような痛々しくも鋭い眼光で眼前の悲劇を見据えていたのだ。ひゅう、と喉に酸素が抜けるのが分かって、久しぶりに呼吸をしたような気さえした。その少年は私に凝視されていることにも気付かず、憎悪と狂気に満ちた瞳でひたすら己の敵に唸りを上げた。


「駆逐、してやる…」
「あいつら…この世から…!」
「一匹残らず!!」


目の前の憧憬に、眩暈した。
美しいと思った。その少年の憎悪そのものを。そこで、私は初めて涙したのだ。
見つけた。私はその瞬間、自分はこの少年のために生きるのだと本能的に悟った。名前も生い立ちも知らない彼に、自分の人生を捧げる決意をした。多くの命が散る惨劇の中、父の無念を晴らすためでも、母の仇を討つためでもなく、この少年の生きる道のために、この身を使うと決めた。

それから三年。私と彼は見知らぬどこかの子供ではなく、共に戦陣に想い馳せる同志となっていた。
彼の名前がエレン・イェーガーだと知ったのは、少し前のことだった。彼は訓練兵に志願して早々、技術対人共に荒波の目立つ素行で有名人となったが、私はその波には入らずただひたすらエレンを見守った。あの日、私が彼に心を奪われたあの時に彼のそばに居た二人の子供の姿もそこにあった。初めての対人訓練の際、私は容赦なくエレンを投げ倒した。私はエレンの剣となり盾となり、そして翼となるために一切の努力を怠らなかった。彼が私をちゃんと一人の人間として認識したのは、おそらくその時だ。彼の瞳に、私が映ったのだ。
その時、私は自分から溢れかえる衝動を抑えきれなかった。エレンが、あの時と同じ色の目で、私を見据えたのだ。そう思った途端、私は我慢ならなくなって尻餅をついていたエレンの正面に崩れるように膝をついた。


「私を、あなたの刃にして」


きょとん、と目を丸くするエレンに、私は構わず迫った。あなたの、あなただけの刃に。あなたのために剣を振るい、あなたのためにこの身を呈し、この場に来るために違うところに捧げてしまった心臓の代わりに、この手と足はあなたのためだけに捧げる。まくし立てるように言う私の言葉に、エレンは一秒毎に目を見開き頬を染め上げていった。熱烈な愛の告白と取ったのかもしれないが、私のこの誓いは自分への盟約なのだ。けれどエレンがそう捉えるのなら私はそれで良い。ついに後退るエレンに跨がるように接近していった私は、狼狽えるエレンに両肩を掴まれて漸く止まった。その距離は今までが信じられないくらいに近く、もはや密着しているようにさえ思える。目の前で年相応らしく顔を赤くするエレンに、私はまた胸を踊らせた。


「ちょ、っえ…待った、何…っ」
「エレン、私は死ぬまであなたのそばにいたいの」
「はぁ…っ!?」
「私はそのためにここに来て、そのために生きてる。エレンに会うために、あの日から生きてこれた。私にはエレン、あなたしかいない」
「っわ、わかった!わかったから!近い、って!」


ひぃいい、と茹で蛸になりながら必死に私を制するエレン。わかった…わかったとは、つまり私のこの身を受け入れてくれたということなのだろうか。あまりの嬉しさに感極まって涙を流せば、エレンは途端に肩を跳ね上げて慌て出す。まさか泣かせるとは思わなかったのだろうが、私もまさか泣くとは思わなかった。ぐすぐすと彼の上に跨がって泣き続けていると、エレンは空中でぎこちなくさまよわせた手で私の頭を引き寄せて抱き締めてくれた。正直なところ、それだけで死んでしまいそうだったが、エレンのために身を捧げると決めた以上エレンの許可なく死ぬことはできないと判断して思いとどまった。周りからの罵倒や歓声、拍手なんて私には聞こえなかった。エレンの呼吸と心臓の音だけで、私の世界は満ち足りた。

その後、当然のように大目玉を食らった私たちは仲良く夜まで走らされたが、私の心は綿毛のように軽かった。くたくたになっても、隣を見上げれば彼がいる。それだけが今私にある真実だ。
それからはとんとん拍子に事が進み、始めは流された雰囲気が拭い切れなかったエレンだったが、私の熱烈な愛情が堪えたのか遂には折れ、私の盟約に代わるかのごとく今度は彼から愛の告白を受け、私たちは名実共に恋人同士にまで昇格した。初め彼だけの戦士になるつもりだった私にはそれだけが予想外のことで、けれど彼に愛される心地よさに勝るものなどなく、私はそれに身を委ねた。

けれど、エレンは知らない。たとえ愛を誓い合う仲になったとしても、私はあの日の憧憬を一秒たりとも忘れたことなどないと。狂乱に満ちたあの瞳を、殺意を。私は今も求め、そのために生き続けている。
いつか、彼に仇為すものが現れたなら。

私は彼以外の全てを殺してでも彼の刃で在り続けるだろう。





***

シリーズとして考えていたのですが短編として出来上がってしまい。もっと勉強したらシリーズ化するかもしれないです。
時系列と台詞正しいか本当に心配です。
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