短編 | ナノ


大丈夫よ。

それは私にとって唯一無二の魔法だった。

どんなに空が広くても、どんなに地を駆けたとしても、私にとって、私たち人類にとってそこは鳥籠に過ぎない。皆はまだ、それに気付かないだけ。この世界は眩い光に溢れていて、その光が鳥籠まで届かないことを忘れてしまっているに過ぎない。
私たちは鳥籠を守る錠であり、同時にそれを開け放つ鍵だ。私は私の意思以外に錠を砕かせはしない。いつか、この手で鍵穴に触れるその日まで。たとえ、私が人間であることを忘れられてしまおうと。私が私を忘れてしまっても。

私は、大丈夫よ。


「何してやがる!!」


がつん、と直接殴るように耳をつんざく怒号に、勝手に瞼が震えた。瞬きをした刹那、パッと私の視界は色を取り戻し、止まっていたかのように緩やかな時間がせわしなく動き出した。真っ先に鼻についた、身の毛も弥立つほどの異臭。血と、肉が焼ける臭い。それに不釣り合いなほど、見上げた空は澄み切っていて、まるで飛んでいるみたいに近くに感じた。
ゆっくり、視界に射した影。それから、私を楽しげに覗き込む、私たちの天敵の顔。嗚呼、飛んでいるみたいというのはあながち間違いでもないらしい。私は意識するまでもなく、両手に握ったままだった刃を手放した。ふと、今さっきの怒声の主の姿を思い浮かべる。今、彼はどんな顔をしているのだろうか。そう考えていると、思い浮かべた声がまた強く私の名を叫んだ。私はそれがおかしくて仕方なかった。いつも平静でいてふてぶてしくて、人を脚で遣うような彼が、そんな切羽詰まった声を上げられるとは知らなかった。

大丈夫よ。
気付けば私はまた、私の魔法を口に出していた。


「テメェっ!何が大丈夫だ!!」


怒るわりには、距離が遠いな。嗚呼そういえば、目の前のこれの他にも三体、居たような気がする。もしかしたら、今必死にこちらに来ようとしているのかもしれない。

私は大丈夫よ。私はこの世界に踏み出してから、兵器になったから。心を乱さず、声を荒げず、ひたすら人類の敵を排除するだけの。
誰もが私を兵器と呼んだ。表情を変えない私を、完璧に事を成す私を。私は人類の兵器で有り続けた。
でも、彼らは気づかなかったのだ。機械はいずれ壊れるものだと。
目の前で食い散らかされていく仲間の残骸。崩落していく世界と希望。その中に黙って立つ私を、彼らはまた兵器と呼んだ。だから私は、私の知る命が一つ減る度に、彼らにとってより完璧な兵器になっていった。
でも、どうやら私は故障してしまったらしい。人間だった頃、光の射して見えた世界が、徐々にくすんで、濁って、ついには色をなくしていって。私にはもう、何が光かも分からない。

だけど、私は人類を責めたりはしない。彼らは気づかなかっただけ。だから、私が壊れて気づいたら、いつか新しい兵器を生み出した時に同じ過ちを繰り返すことはないだろう。私は私に出来ることをこの世界に刻める。だから、私は。


「大丈夫よ」


ゴキリ、バキッ。締め付けられたままの腕が悲鳴を上げた。どうやら外装までも壊れてしまうらしい。醜い最期だなあ、なんて呑気に考えている私に、影がさす。だらしなく大きく口を開けるそれが、今まさに私を飲み込もうとしている瞬間だった。

刹那。鮮血が走る。色調識別さえも出来なくなっていた私の視界を裂くように、鮮やかな赤だけが散って浮かぶ。まるで息が詰まるようで、私はその一瞬、呼吸の仕方を忘れた。醜い巨体が崩れ落ちる。ふわりと浮いた身体はすぐに重量に伴い下降していく。視界の端に捉えたのは、もう二度と見ることのないと思っていた、鋭い刃のような人。その人が、表情を歪めながらこちらに手を伸ばす。嗚呼だけど、私の両腕はもう巨人に砕かれて感覚すらもない。間に、合わな…。


「っち、」


騒音の中ではっきりと聞こえた舌を打つ音。ひゅん、と風切り音が聞こえたかと思えば、視界の両端に、見慣れた蔦。


「リヴァっ」


名前を呼ぶより早く、彼の両腕が私の身体に到達した。身体がぶつかった衝撃か、更に落下の勢いが増して、彼は動かない両腕ごと私を抱き込んだ。あまりの速さに目を瞑れば、すぐに訪れた激しく身体を打ち付けるような衝撃が私たちを襲った。すぐ耳元で、私に怒鳴り散らしていたはずの声で呻きが上がった。瞬間的に悟った。この男、地面に立体起動装置を放ってその引力で私のところに飛んでくるなんて。ただでさえ怪我は免れない程の高さでそんな付加を加えれば、いくら彼とて無事では済まないのに。それどころか、落下する直前に私を抱え込んで衝撃を全て自分に請け負わせたのだ。


「リヴァイ、なんでっ」
「…うるせえよ、骨に響く」


そんな無茶をすれば骨なんて当たり前に折れるだろう。痛みなんてものではないはずだ。なのに、動かない腕の代わりに両足を使って彼の上から退こうとしても、リヴァイは私を離してはくれなかった。それどころか、痛むはずの手で私の頭を抱えて自分の肩に押し付けてきたのだ。混乱と困惑で言葉が出ない。


「…なにが大丈夫だ。テメェのことも知らねえ馬鹿が」
「え…?」
「このまま、兵器のまま死ぬなんて俺が許すと思ってんのか?あ?」


怪我をして話すのさえ辛いはずなのに、この口の悪さだけは健在なままで、私は余計に戸惑うことしか出来ない。
良く聞け。妙に頭に響く声で、リヴァイは私の耳元で言い聞かせるように語りかける。


「強かろうが、戦えなくなろうがおまえは人間だ。兵器のまま逝かせるかよ。死ぬなら人間として生きてからにしやがれ」


彼が一体何を言っているか、その時の私は本当に分からなかった。そのくらい、私が人類のための兵器であることは私にとって当たり前のことだった。

だって、皆がそう私を呼んだから。兵器の私が居れば、巨人を退けられる。何にも動じない精神があるから、何が起こっても助けになる。
人類のための兵器の私が居れば、きっと"大丈夫"だって。

だから、私は"大丈夫"なのに。


「…今泣くくらいなら最初からそうしとけ」


私はいつから、私のための魔法で私を縛っていたのだろう。それが魔法ではなく呪いだと、どうして気づかなかったのだろう。
気付いてくれたのは、彼だけだった。勝手に溢れた涙の理由を、私はまだ良く理解できていない。
ただ、色を失ったままの世界が眩しく見えた。感覚すらなくなった腕に触れる彼の部分全てが、とても温かいような気がした。


「なんで…」
「あ?大丈夫なんて言葉、大丈夫な奴は言わねえんだよばあか」


ひどいなあ、こっちは死にかけているのに。
けれど、そんな辛辣な言葉が、今まで聞いてきた期待や名声よりもずっと心地良く思えるのだから、私はやっぱりどこか故障してしまっているのだろう。

こうして、腕を失った兵器は人の手によって人間に生まれ変わったのだ。





***

良い歳した大人が「ばあか」とかどうなのだろうか。
アニメを見ているだけなので口調も設定も用語も心配です。
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テーマ「人外ファンタジー」
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