短編 | ナノ


ルドガーのためなら何だってできる。私はずっとそう思ってきた。だから、学生時代からルドガーのために試験勉強会を開いたり、卒業してからはルドガーがクランスピア社の入社試験に合格できるようできることは言われるまでもなく協力してきたし、不運な事故から彼が大量の借金を背負いながらクランスピア社のエージェントとして世界各地を渡らなくてはならなくなってしまってからは、自分の仕事を投げ打って着いて行くようになった。黙って待っているなんてしたくなかった。優しい彼はいつも私を良い友達だと言って笑ってくれた。恋だとか愛だとか、そんな言葉で表現できるものではなかった。私はルドガーを守りたかった。代われるものならその使命を私に預けてほしかった。借金だって、ルドガーはいつも迷惑をかけて申し訳ないと言っていたけれど、彼がもし代わりに返済して欲しいと言えば受け入れるだろう。彼の兄のユリウスが列車テロ事件から忽然と姿をくらました時も、おこがましくもそばに居たいと思った。エルにどれだけ構っていても、エリーゼにどんなに優しくしていても、私はルドガーが笑えていればそれで良かった。愛してほしいとは思わない。ただでさえ私は勝手にルドガーに着いて行っているのに、そんな傲慢なこと思うはずがなかった。何も求めない。けれど、ルドガーに危害を加える存在は、絶対に許さない。
分史世界のミラがルドガーを殴った時、同情しながらも彼女に確かに怒りを覚えた。ルドガーだって、好きで世界を壊したわけじゃあないのに。
初めて揺らいだのは、分史世界でヴィクトルに出会った時だった。
ルドガーは遠くない未来、私ではない誰かを愛し、結ばれ、そしてエルという掛け替えのない娘を授かる。その未来が確実なものでなくても、そんな選択肢が存在することを知ってしまった時点で、私の動揺と焦りは他人から見ても明らかだっただろう。
何も求めないなんて無理だと悟った。だって私は人間なのだ。人間は欲をなくしてしまったら生きてはいけない。希望を、願いを、高みを、望まずにはいられない。そんな自分を、私は醜いとしか思えなかった。今までルドガーに尽くしてきた行動と想いが全て、根本から否定された気がしたのだ。
だから、私はそれまで以上に自分の心に蓋をした。ルドガーを貶めるものは、悲しませるものは私が許さない。壊してやる、消してやる、殺してやる。世界がルドガーに優しいものに生まれ変わるまで、何度でも。誰であろうとも。
ルドガーがいれば、なにも、いらない。

だから、私は許さない。自分自身の命を投げ打って戦う彼を。彼が生み出そうとする世界を、私は認めない。


「いやよ」


小さく吐き出せば、ルドガーは素直に私を振り向いた。今まで見たこともないほど完全な外殻姿。甲冑のような漆黒を纏う彼の表情は、仮面で隠れて見えない。その身体から溢れる光が、彼の命を徐々に蝕んでいく。消えてしまう。ルドガーの命が消えてしまう。嫌だ。そんなの許さない。ルドガーの幸せを、未来を潰すものは私が許さない。たとえそれが、彼の意志に反したことだとしても。私はルドガーのためならなんだってできる。


「っ!やめろ!!」


誰かの叫び声。聞こえない。興味ない。仲間たちが誰しも息を呑んだ。もう潰えそうな命の灯火。エル・メル・マータ。ルドガーが、自分の命の投げ打ってでも救おうとしている少女。その大きな、ガラス玉のように澄んだアイスブルーの瞳がこちらを見上げる。声を張り上げる気力もないのか。その細い喉にぎらぎらと鈍く輝く刃を添える。エルがいなくなれば、ルドガーが死ななければならない理由がなくなる。ルドガーを救える。エルが、先に時歪の因子化すれば。


「やめるんだ!そんなことをしても誰も救われない!」
「ミラの言うとおりだ!エルを離して!!」
「お願い、やめてください…!」
「ルドガーが悲しむよー!」
「勘弁してくれよ、仲間をやるってのか!」
「いけません、思い直しなさい!」
「なんでっ…もうやめてよ、ねえ!」
「選択を見誤ったか…」
「あなた、ルドガーの願いをちゃんと聞いてたの?」
「…、」


全く頭の中に響いてこない言葉の羅列の最後に、ルドガーの言葉。私が何より大切にしている、ルドガーの。聞こえないけれど、吐息でわかる。エルを返して欲しいと、彼も思っている。だけど、私の身体は、たとえ私がエルを手にかけたくないと思ってももう動いてくれない。ルドガーのためなら何でもできる。それは、いつの間にかルドガーのため以外のことができなくなってしまっていた。視界が滲む。頬に熱いものが伝う。手も足も震える。悲しい。悲しいのに、私の顔は多分笑っている。ルドガーを守るためにエルの命を握っている。この手の剣を少し動かせば、ルドガーは生きられる。そのことが嬉しくて仕方ないのだ。なのに、何故か私は泣いてしまう。


「ごめんねルドガー。ごめんねエル、みんな。だめなの、私はルドガーが生きてくれなきゃだめなの、ルドガーのいない世界では生きられないの。ごめんねごめんね、恨んでいいから、嫌っていいから、ゆるしてね」


これ以上震えて手元が鈍らないうちに、エルを。意を決して剣に力を込める。もう時歪の因子化するのを待っている余裕はない。エルを殺して、ルドガーの外殻を解かせる。そうすれば、少なくともルドガーがすぐに死ぬ理由だけでも消せる。


「さよなら、エル」


本当は、未来にルドガーの愛を与えられるあなたが妬ましかったの。私の知らない誰かとルドガーが結ばれる未来なんて、知りたくなかったの。私は、孤独になったルドガー、ヴィクトルさえも愛しいと思ったの。ルドガーのためなら何でもできると思っていたのに、違ったの。私はルドガーが好きで好きで、仕方なかったの。だから、たとえ身体が震えても涙が止まらなくても、あなたを殺すことに迷いはないの。

これで、ルドガーを、救え、る。


「…ごめん」


そう、次に聞こえたのは大好きなルドガーの声だった。すぐ近く、彼の声が直接鼓膜を震わせるほどに。
手首に感じる熱以上に、お腹のあたりが熱くて仕方ない。まるで焼かれているようなそこを見下ろせば、それまで彼がビズリーやクロノスとの戦いで振るった、あの大きな槍が見えた。次に視線を上げれば、彼の肩越しにジュードに抱きかかえられた小さな、小さな衰弱したエルの身体。ああ、なんだ。わたし失敗したのか。それで、わたしは、ルドガーに殺されちゃうのか。


「……ふ、ふふっ…」


どうしてか笑いが溢れた。涙は止まらない。からん、と、ルドガーから痛いくらいに強く掴まれた手から剣が滑り落ちて地面に転がった。どくり、どくりと自分の心臓が脈打つのがわかる。だんだん足に力が入らなくなって、立つことを放棄すれば刺さった槍が腹から更に上を裂いていく。そこで初めて、痛いと感じた。ルドガーは地面にずり落ちる私に合わせてしゃがみこみ、血がつくことも構わず私の身体を抱きしめてくれた。ああ、嬉しいな。なのに、腕を回す力も、もう出ないな。


「ごめん、ごめんっ……」


謝らないで、ルドガー。あなたの選択は正しいの。だって、あなたのいない世界で私が生きられないなら、死ぬべきなのはエルではなくて私なのだから。私が今まで気づかなかったことに気付いて、私がエルを殺してしまう前に私に教えてくれた。ただそれだけなの。
そっと、ルドガーの顔に触れる。外殻の鎧で冷たく感じるけれど、私はルドガーに触れているというだけで幸せだった。ねえ、あなたは私が死んだら、やっぱり自分を時歪の因子化させて消えるつもりなのでしょうね。やっぱりそれは悲しくて仕方ないけれど、傲慢な私は一緒に逝けるなら良いかななんて、思ってしまったの。ねえ、だから。


「はな、さ…ないでね……やくそく……………………………………」


視界が暗闇に変わるさなか、ルドガーが頷くのが見えた。
ぱりん。最後に、何かが割れるような音を聞いた。
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