短編 | ナノ


焼き切れてしまえ。
まるで蜘蛛の糸のようにしなやかで、透き通った強い髪。捕らわれたら、離れない。二度と。
焼き切れてしまえば良いのに。


「別れた」


あ、そう。興味のない振りをして、素っ気ないように見せて、私の心はそんな聞き慣れた一言に強く軋みを上げる。お願いだから、聞こえないで。


「これで何度目?懲りないね」


何でもないふうに皮肉っぽく笑う。そうしたら、向かい合っている彼は鏡のように同じ笑い方をする。仕方なかろう。そう言われて、また勝手に傷付くこの感情は、私の理性にあまりにも反抗的すぎる。
女癖の悪いと専らの噂にある仁王雅治と、恋人よりも近いであろう友人になって何ヶ月が過ぎただろうか。始まりは、あまりに衝撃的なものだった。放課後の校舎裏。その日たまたま掃除当番だった私が、うっかり出し忘れてしまったゴミ袋を抱えて収集場に向かっていた時のことだ。初めて見た彼は、一緒にいた女生徒に大きな鋏を突きつけられていた。その時の私は混乱しながらも、その断ち切り鋏のギラギラと鋭く輝く刃が目に焼き付いた。何を考えるわけでもなく、危険だという一心でゴミ袋を放り出して声をかければ、女の方はすぐ慌てたように走り去ってしまった。その時私は、不謹慎ながらも「やり遂げる気がないなら始めから行動するな」と思ってしまった。


「できんなら、やらんければ良かったじゃろ」
「え?」


それまで立ち尽くしていた男が、ぽつりと呟いたのだ。まるで同じことを考えていたものの、彼は立派な被害者だろう。そんな、曲がりにも刺して欲しかった、みたいに言うのはおかしいのではないのか。…それとも、本当はそれを望んでいたのだろうか。
話したことはないまでも、仁王雅治という男については知っていた。そんな目立つ銀髪なんて、そうそう見るものではない。同時に舞い込んでくる、決して良いとはいえない噂も。仁王雅治が酷く女癖が悪いというのは校内でもわりと有名な話だ。いつも違う女を隣につけている。それでも、決して後を絶たない女の方にも問題はあると私は思うわけだが。


「すまんかったの」


呆気に取られている私の代わりに、仁王が投げ出されたゴミ袋を持ち上げた。慌てて受け取ろうとすれば、軽く避けられて首を横に振られる。これは、持ってくれるという意味だろうか。正直、あまりこの男には関わりたくないのだが。勢いで声をかけてしまったものの、彼は私の苦手とする分野の人間に違いない。つまりは、まあ、チャラ男に興味はないということなのだが。顔の良さに胡座をかいて過ごすような人間にろくな奴はいない、と思うのは自分の平凡さ故のことだろうか。


「おまん、何年?」
「…二年」
「名前は?」
「、…」


多分、ここで無理にでもゴミ袋を引ったくって彼から離れてしまえば、未来は違っていたのだろう。関わらない方が良かったと誰もが言うだろう。私だってそう思う。
だけど、逃れられないのだ。蜘蛛の糸に捕らわれたものは。その証拠に、たくさんの女をまるで捕食するように捕らえながら、彼自身は傷ひとつもなく生きている。蜘蛛の毒蛾にかかったら、生き長らえない。腐り行くのみ。


「おまんだったら良かった」
「は?」


そんな仁王の一言に、ぱちんとシャボン玉が弾けるように意識が外から校内に戻った。その時初めて、意識が全てこの男と出会った頃に戻ってしまうほど思いに耽っていたことに気付く。気怠そうに机に突っ伏した仁王からは、私がどんなに間抜けな顔をしたかなんて分からないだろう。見られなくて、良かった。なんとなく状況を察しようとする私になんてお構いなしに、仁王はまたくぐもった声で言葉を繋ぐ。


「おまんだったら、小難しいことなんも考えんと、一緒におられるんじゃがの」
「……」


それは、あんたが詐欺師の名を譲るのと同じくらい間抜けな発想だ。仁王。
仁王は私と出会ってから、というより、刃物を向けられた日から同じ学校内に恋人をつくらなくなった。面倒くさいと心底思ってしまったのだろう。けれど一度外に出てしまえば、大学生らしい女と歩く仁王を見ただの、実は不倫関係にあるだのどこまで事実なのかも分からない噂が入り込んでくる。だからか、仁王雅治の低俗な女たらしというイメージは、三年生に上がる頃にはミステリアスだの大人だのと持て囃されるようになっていた。そして、その噂がどこまで事実なのか、私は仁王本人の次に知っているのだろう。仁王は、私に限り自分のことを包み隠さず話す。少なくとも私は自惚れでなくそう思っている。どういうわけか懐かれてしまった彼から、少しずつ時間をかけてそういう話を聞くようになった。
それが、どうしようもなく苦しくなったのはほんの少しの期間のことだった。三年生になって同じクラスになった彼と過ごすうちに、無意識に彼に惹かれていった。どうしようもない男だと知っていながら、自分の安直ぶりに笑うこともできない。けれど、私の気持ちなんて知りもせず何度も同じような遊びを繰り返す仁王を見ているうちに、傷付くことさえ慣れてしまったのか馬鹿馬鹿しく思うようになってしまった。どうせなら、これ以上傷付いて会いたくなくなるくらい嫌いになってしまえたら良かったのに。中途半端に優しい彼はいつまでも私を縛り続ける。毒が回って腐敗していくみたいだ。だんだん傷付くことも、考えることすらどうでもよくなって、この場所から動けなくなる。


「勘弁してよ。私は誠実な人にしか興味ないの」
「…今時、そんな男はおらんぜよ」


どこか拗ねたような仁王の呟きに、わざとらしく笑ってみせる。期待させないでよ。馬鹿。そんな本音の訴えなんて悟らせない。
ああ、焼かれているみたいだ。焦げて黒ずんで、目も当てられないほど汚く腐敗した気持ちを少しでも見せたら、彼はきっと離れていってしまう。


「……なん?」
「慰めてあげてる」
「…さよか」


ふわり、柔らかいくせに指先に痛いほど絡む銀髪。怖いなら、離れたいなら、触れなければいいのに。仁王が振り払わないから、安心したように呼吸をするから。もっと、絡み付く。
焼き切れてしまえ。こんな残酷にこの気持ちを引き止める蜘蛛の糸なんて。
焼き切れてしまえ。
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