短編 | ナノ


泉にとってさあ、私ってあんまり重要じゃ、ない?


「、………………」
「…………………」
「…………はあぁ?」


夜の十時前。練習して授業受けてまた練習して、なんて日常を過ごしていれば一日の終わりにはもうくたくたになってしまうのも当たり前。そんな一日の終わりに限りなく近い状態で隣の奴がそんなことを言うものだから、驚きとか色々ごっちゃまぜになってたっぷり時間をためて漸く出てきたのはやたら低い声だった。それが怖かったのかは知らないが、そいつは並んで自転車を引きながらもこちらを見ようとはしない。あれ、俺なんか不安がらせるようなことしたっけ。いや、不安は不安だろうけれど。同じ学校で同じクラス、おまけに同じ部活という好条件を揃えながらも、付き合っている彼女との時間はほぼ無いに等しい。人間に残されたごく僅かな野生の感性なのかフィーリングの成せることなのか、知り合ってからとんとん拍子で交際にまで至ったツケが回ってきたような気分だ。どう返したら良いものかとずっとその横顔を見つめていることには気付いているはずなのに、俯いて視線を合わせない縮こまった姿はまるで阿部に怒鳴られたときの三橋みたいだ。普段から馬鹿騒ぎをするような性格ではないが、ここまで萎縮している姿も珍しい。だからといって、今までそれなりに大切にしてきたつもりの相手に、まさかそんなことを言われて勝手に落ち込まて気分が良いはずがない。


「なんか、不満になるようなことしたか、俺」
「っし、てないっよ!」


うわ、マジで三橋みてェ。三橋が何を考えているのか分からないという阿部の気持ちが、なんとなく分かった。こいつは何を思って不安がっているのか、俺の言動の何が気になったのか、分からないから聞きたいのに、多分こいつは素直に話してはくれない。
むかつくっていうより、むなしい。俺はこいつに信頼されてないんだって思ったら、普通に落ち込む。だけど、互いの意識が噛み合っていないのも事実だから、やっぱり言葉で一つずつ紐解いていくしかなくて、こういう時に人間関係って面倒くさいと思う。


「練習で時間取れなくて不安?」
「っそんなことないっ練習、大事だし!みんな頑張ってるの好き!」
「じゃ、毎日送ってやれないのがやだ?それなら別に、コンビニ組から抜ければ良いだけだし…」
「うっ、ううん、そうじゃないの」
「じゃ、なに」


なるべく、冷たくならないように。そう心がけても、元々の性格が災いして思ったことは素直に声色に出てしまう。未だに泳ぎっぱなしの目はどこを見ているか分からないし、そんなどうしたら良いか分からないみたいな仕草をするならこっちを見ればいいのに。まさか、目合わせたくねえの?そんな考えを無理やり思考から追い出した。


「わたし」
「ん、」
「私、野球好きだけど千代ちゃんみたいに詳しくないし、おにぎり握るの下手だし、三橋の話、聞いてあげれないし」
「うん、それで?」
「…門限、あるし…泉、コンビニ行きたいよね。無理させてごめん、嫌だったら、送んなくて、大丈夫。昼休みも、私一人でも来てくんなくて平気だから、その」


ああ、なるほど、つまりあれか。こいつは、俺が自分のせいであれこれ我慢して、こいつが可哀想だから昼ご飯に誘っているものだと思い込んで、無理させているものだと自己解釈して、俺に相談もないままそう決めつけた、と。
どうしよう。こいつすんげえむかつく。阿部だったら怒鳴っていたと思う、絶対に。信頼どうこうの問題ですらない。信じる気さえ最初からないのだ。こいつは三橋みたいに普段から挙動不審になったりはしないけれど、きっと自信のなさでは三橋と変わらないくらいだ。嫌だったら最初に言う。そんな俺の性格とかもすっ飛ばして、ひたすら自分に自信が持てないでいる。


「このっばか!」
「うえっ」


がしゃん!両手を離した自転車がコンクリートとぶつかる音がした。変に傷をつけたりしたら怒られるかも、と冷静な自分が訴えてきたが、そんなものは後回しだ。がっしりと掴んだ肩は俺よりずっと薄くて華奢で、だけどそんなことお構いなしに弱音ばかりを吐く無防備な唇に噛み付いた。肩が強張って、驚いているのが簡単に分かった。ばか、ほんとばか。唇を合わせて、離れて小さな罵倒を零してまたキスして。相手が自転車を押さえて抵抗できないのを良いことに、今までしたことがないくらい好き勝手に同じようなキスを繰り返した。恥ずかしいのか、苦しいのか、じわりと浮かんだ涙を見て、漸く離れれば熟れた林檎みたいな顔が漸くこちらを見た。


「いず、み…なん、」
「おまえが、どーしようもない馬鹿だって今更気付いた自分に呆れてんだよ」
「っ、」
「ごめんな」
「……え…?」


意味が分からない、みたいな顔をして見上げてくる彼女の頭にそっと片手を置く。こいつが、不安がったり自信が持てないのは、俺が原因でもある。俺があまり言葉に出さないものだから、こんなふうに一人で悩んで、悩んで悩んで出した答えが、あの弱気な言葉だったのだろう。


「俺はおまえが好き」
「っえ、あ…」
「昼メシ誘うのは俺が一緒に食いたいからで、本当は毎日送ってやりたい。あと、おまえのおにぎり、米粒潰れてなくて俺は好きだ」


弱気なこいつにはいくら言っても足りないくらいで、どうやって自信を持ってもらおうとか、どう言ったら気持ちが伝わるのかとか、そういうことを考えるのは嫌いではない。あんまり学校でべたべたしないのは田島や浜田が煩いのが面倒くさいからで、部活が忙しいのは…言うまでもなくお互い様だしこれは本当に仕方ない。言わなくても我慢してくれる彼女に、多分すごく甘えていた。そのぶん甘えさせてあげたいと思うのは、彼氏としては当然だろう。


「いっつもありがとうな」
「う、ん!…あの、いずみっ」
「ん?」
「…好き、だよ」
「おう」


照れたように笑う顔が可愛くて、つられて笑った。いいな、こうやって互いを知っていく感覚。一個ずつ二人の間に特別が増えていくようで心地良い。自分より低いところにある頭を軽く撫でてから、ひっくり返した自転車を起こした。


「…あ、そういや時間平気か?」
「え?あっと…九時、ごじゅっ…!?」
「うわっやべー!急ぐぞ!」
「うっうん!」


今までの恋人らしい雰囲気が嘘みたいに、いつも通りに走り出した自転車。少し後ろを走る彼女を時々盗み見て、不意に目が合って笑ったら「前見ないと事故るよ!」なんて赤い顔で怒られた。うっわなにこいつ、可愛いの。
別に焦る必要もないし、今まで通りでも俺は良いと思う。だけど、たまにはこんなのも良いかも知れないなんて思うのは、俺にもちゃんと高校生のガキらしい欲があるからだろう。


「なー」
「え?」
「すげー好きー」
「っ、ばか!」
「ははっ」


こんな恥ずかしいこと、野球部の奴らの前じゃ一生言えそうにない。
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