短編 | ナノ


「ゆきむらー」
「んー?」
「イップスってさー、五感を奪うんだよねー」
「んー」
「それってさー、テニスしてないと奪えないのー?」
「んー…………、んー」
「じゃあなんでテニスだと奪えるんですかー」
「んー………………さあ」
「答える気ありますー?」
「あるよ」


ぱさっ。幸村の眺めていた雑誌が落ちた。ていうか投げた。今までの生返事と打って変わって、急にはっきりとした声を向けられて少し驚く。なんだ、雑誌に夢中になっていたのかと思ったけれど、案外しっかり聞いてくれていたらしい。雑誌を放り投げたのは、もう飽きたということだろうか。まあ、それ私のファッション雑誌だし、元々興味があったのかすら怪しいが。ベッドの上で背中合わせになっているため表情は見えないが、彼がだらしなく足を崩して胡座をかいているのは何となく分かった。「ていうかさあ」と気怠そう上がった声に、今度はこちらが生返事。


「こう言っちゃあれだけど、イップスってあれ、向こうが勝手になってるだけだから」
「え、そうなの」
「当たり前だろ。俺は別に魔法使いとかじゃないんだから」
「魔王様なら魔術くらいできるかなって…」
「ん?」
「なんでもないでーす」


顔は見えないけれど何となく悪寒を感じたのでなかったことにしておこう。触らぬ神の子に呪いなし。くわばらくわばら。


「だいたい、何でそんなこと聞くんだよ。何、五感失ってみたいの?」
「いや、原理が分かれば私にもできるかなって」
「馬鹿だろ」
「やっぱり?でも幸村が五感なくしてるとことか見てみたい」
「俺に使うつもりだったんだ…ふーん」


あれ、もしかしたら言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか。いやでもほら、やっぱり彼氏の意外な一面を見てみたいとか、そういうふうに思うのは悪いことではないだろう。まあ、しかし五感を失っていたら意外な一面どころではないだろうが。もしそんな暴挙をしでかした日には後でえらい目に遭うのは分かりきっていることだし、どちらにせよ出来ても私はやらないのだろう。それを彼も分かっているはずだ。しかし、背中から消える体温に冷や汗。いや、まさか怒ったりしませんよねこのくらいで。とんとん、と軽く肩を叩かれて、恐る恐る振り向く。
べしっ。目を覆うように手のひらを押し付けられた。若干痛い。


「…幸村?」
「悪戯しようとする奴にはお仕置き。おまえの視覚、奪っちゃったー」
「どこのパンダですか」
「キスの方が良かった?」
「いやいや」
「なんだよ」
「恥ずかしいじゃない」
「それが良いんじゃないか」


前々から思ってはいたことだが、私の恋人は少し変態の気が混ざっていると思う。人の嫌がることをするのが好きなあたりなんか、特に。


「なあ」
「ん?」
「目隠ししたままするとさ、すごい気持ち良いらしいよ」
「…………は、」
「どーん」


どこのオモシロ君ですか。そう言う前に思い切り肩を押されてベッドに倒れ込んだ。一緒に幸村も倒れてきた、目隠しをしたまま。ちょっと、重いのですが。少しは体格差を考えてほしいものだ。文句を言ってやろうとすれば、覆い被さるようにぬくもりに包まれる。触れた唇から、躊躇する様子もなく舌がねじ込まれた。こいつ、いつの間にか完全にその気になっている。ていうか本当に唇までもを奪ってくるなんて。しかし、残念ながら私の方はあまりそういう気分ではないのだ。何とか諦めてもらえないものかと、とりあえず無反応を貫いてみる。口内を弄る異物が上顎を舐めようと、舌を絡ませて来ようと、逃げもしなければ応えもしない。しばらくそうやって好きにやらせてみると、不意に離れた唇が「おまえさあ」と不機嫌そうに呟く。目隠しはそのままなので表情までは見えない。


「恥ずかしがるとかないの?」
「そんなの幸村の思うつぼじゃない」
「……もういい」


つまらなそうに吐き捨てる幸村。なんだ、案外早い諦めだった。
と、安心したのも束の間。いつまでも目元から離れない彼の手に疑問が浮かぶ。もう戯れる気がなくなったなら早く視覚を開放してほしいのだが。


「幸村…?、ひえっ」


突然、身体を襲った違和感に情けない悲鳴が上がる。ぐちゅ、という生々しい音が限りなく近くで鳴った。耳の中に、先ほどまで口内にあった異物感。耳に舌をねじ込まれて刺激している、と気付いた。鼓膜に直接響いているのではないかというくらいの厭らしい音。目隠しをしたのと逆の手で反対の耳を塞がれて、伝わる刺激が余計リアルになる。なにこれ、なにこれ恥ずかしい。


「ふふっ…聴覚も、奪っちゃった」
「ひ、…っ」
「その気がないなら、させるまで」


故意的な子供らしい言い回しも、挑発的な発言も、今はどうしようもなく官能的にしか思えない。


「死ぬほど恥ずかしい思い、させてあげる」


一体私はどこで選択肢を間違えたのか。
イップスはテニスでしか使えないなんて、実は嘘なんじゃあないのだろうか。もう全部、彼に奪われている気がしてならない。
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