短編 | ナノ


「仲直りはしないんですか?」


さわさわと草花が風に靡く音を感じる。なまえは一人、眠るように古井戸にもたれかかっている影に呟いた。五感の鋭い彼のことだ、なまえがそばに寄る前から存在に気づいていただろう。ぴくり、と耳が反応し、気怠そうに顔を上げた。やはりどこか眠たそうな、とろんとした瞳。そこから、普段の威勢や斜に構えた様子は窺えない。弱っているというより、疲れているように見える。傍らに綻びた刀を大切そうに抱える彼は、やはり面倒くさそうに口を開いた。八重歯というには少し鋭い牙が覗く。


「俺は悪くねえぞ」
「では、かごめさんが悪かったのでしょうか?」
「…そんなこと言ってねえだろ」


なら、だれが悪かったのでしょう。そう聞いたら、彼はきっと困ってしまってこちらを睨んでくるのだろう。なまえは苦笑したが、それが彼は気に食わないらしく顔を背けてしまった。
かごめが現代に帰ってしまって二日。今回は、というよりは今回も犬夜叉との喧嘩が主な原因のようだ。仲間内からはまたそれかと助言を受けるより前に采を投げられてしまったらしく、彼は昨日も今日もこうして古井戸のそばで彼女の帰りを待っている。こんなことが度々あったが、当然現代にいるかごめは彼のこんな姿など知るはずもない。古くからの彼の想い人である桔梗も、かごめに出会ってからの犬夜叉のことなど数えるほどしか知らないのだろう。
これが唯一、なまえだけが知っている彼の姿。苦笑は、下らない独占欲なんてものを剥き出しにする自分への嘲笑だ。


「犬夜叉さんもかごめさんも、お互いのことにはとても不器用で、素直ではありませんから」
「……」
「帰ってきますよ、かごめさんは。犬夜叉さんがそうやってかごめさんを待っているのと同じだけ、かごめさんもこちらのことを思ってくれています」
「何で言い切れんだ、そんなこと」
「しがない巫女見習いの勘、です」


嘘だ、と自分に呟く。本当は、かごめに聞いたのだ。現代のこと、あちらにいる間、何を思って過ごしているのか。本人もまるで気付かない様子だったのに、話の内容は犬夜叉のことばかりで、思わず笑ってしまったからよく覚えている。そして、その時につい聞いてしまったのだ。犬夜叉が現代へ迎えにきてくれる時、恥ずかしいし大変だけど、本当はとても嬉しいのだと。話したのはなまえちゃんにだけだから、と念押しもされた。


「もしかごめさんが素直になれず帰って来れないのでしたら、犬夜叉さんが迎えに行ってあげれば良いんですよ」
「…めんどくせえ。それにかごめの奴、せっかく迎えに行ってやっても怒ってきやがる」
「ふふ、大丈夫ですよ。犬夜叉さんに、女性の心の話は少し難しいですものね」
「なまえ、テメェ俺を馬鹿にしてやがんのか」
「あら、誉めたつもりでしたのに」


どこがだ、と犬夜叉はため息を吐いてゆっくり立ち上がった。片手の鉄砕牙を腰に据えて、重たそうな髪を掻き回す。「行ってくる」と井戸の縁に足をかけた犬夜叉に、にこりと微笑んだ。
ざあざあと強い風が緑と長い髪を攫う。古井戸の隣、そこにある影は一つだけ。なまえにできるのは見送ることだけ。井戸の向こうは、隔てられた世界。何度、夢見たことだろう。自分も同じ力があれば、同じ世界を見ることができたら。ただ一度だけでいい、あの金色の瞳が映す世界に入れたらと、何度も、そう。

器用な自分を私は呪った。
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