短編 | ナノ


※発売前につき捏造注意。





彼は気付かない。気付くきっかけすらもない。絶対に、何があっても自分から気付くことはない。
わたしが、こんなに近くに居ることなんて。


「はい、おしまい」
「うん!ありがとー、ジュード!」
「あんまりはしゃぎすぎて怪我しないでね」
「はぁーい!」


ばたばたと駆けていく小さな背中を見送って、ジュードは苦笑しながらため息を吐いた。すると、その背中と入れ替わるように、見慣れた人物が入ってくる。ジュードは顔を上げて来客を確認すると、無意識に頬を綻ばせた。


「今の子、怪我?」
「ちょっとしたすり傷だし大丈夫。治療も、血を洗って消毒したくらいだし」


ばらけた書類をまとめながら、ジュードは微笑んだ。書類をファイルに挟み、机に置かれたマグカップに口をつけて、それを机に戻したところでジュードの目は漸く彼女に向けられた。そしてすぐさま、「あれ?」という声が上がる。


「怪我してるね」
「すり傷くらいだから大丈夫」
「女の子なんだから駄目。ほら、見せて」


ジュードに手招きされ、渋々彼の前の席に腰を降ろした。指摘された腕を突き出せば、ジュードの両手が触れて微かに心臓が騒ぎ出す。彼の見た目よりもずっとしっかりした男性の手の感覚。うるさくなっていく動悸を抑えて、必死に平静を装った。医療馬鹿なジュードは、きっと僅かな脈拍の変化でも気付いてしまうだろうから。消毒液をたっぷり染み込ませた綿を押し当てられ、傷口からぴりぴりと染みる感覚に情けない声を洩らした。


「い、た、いー…!」
「我慢して」


治療をする時のジュードは、何よりも真剣な顔をする。しかし、その目線が上を向くことはない。


「子供たちの相手も良いけど、それで怪我なんてしないでくれよ」
「子供はいつも全力なの、手を抜いたらそっちのが怪我するわよ」


憎まれ口を叩けば返ってくるため息。それも日常茶飯事で、ジュードは何かと言いながらも誰より早く怪我に気付く。


「はい、できた」
「ありがとう」


だけど気付かない。彼は絶対に気付かない。わたしの気持ちになんて、気付くはずがない。それが悔しくて、けれど安心できる。決して壊れない関係。けれどたまに、どうしようもなく思うことがある。知ってしまえば良いのに、わたしのことで悩めば良いのに、と。けれどそんな勇気もないわたしには何もできなくて。


「ジュード」
「なに?」
「いつもありがとう。大好きよ」
「うん。こちらこそ」


ほら、やっぱり気付かない。当たり前のように返ってくる言葉からは虚しさしか感じない。両手でジュードの手のひらに触れて、自分の頬に持っていく。いつも、この手に癒されて、それだけでも幸せなのに。それ以上を求めそうになる自分が嫌いだ。ジュードの手を離して立ち上がると、くるりと踵を返した。


「また来るね。勉強頑張って、ジュード」
「ああ、ありがとう」


お互いに軽く手を振って、簡単な別れの言葉を交わす。一緒だ。いつも同じ、会話。ぱたん、と見えていた背中を遮断するように閉まった扉を見つめ、ジュードは浅い息をはいた。触れられた手のひらを開いたり、閉じたり。それを繰り返して、またため息。それから稍あって、ジュードはその手で自分の頭をがしがしとかき回した。


「脈拍…早い。動悸、発汗…熱…。やっぱりおかしいよね、最近の僕…」


いつからだったか。彼女が訪ねてくると緊張するようになったのは。それを自覚すれば脈拍が上がり、彼女が触れたら汗が出てくる。絶対おかしいのに、その他に異常は見つからなくて、何かがおかしいということしか分からないまま、もうずいぶん時間が経ったような気がする。


「…大好き」


先程言われた言葉を繰り返して、ジュードは机に突っ伏した。静かな室内で、自分の心音が聞こえてくるようだった。顔が熱い。けれど発熱はしていない。どうしようもないもどかしさに、ジュードはただ翻弄されるしかない。

けれど、僕は気付かない。
今の彼女との繋がりが、とても心地良いから。
気付きたくはない、まだ。
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