07 「おはよっス、みょうじっち!」 「……」 ようやく慣れてきたその道を爽やかな気持ちで走っていれば、いつもと同じように視界の端に金色が反射して驚愕した。タイヤの擦れるわずかな音を聞きつけたのか、黄瀬はこちらに振り向いて目を細める。ああ、なんてデジャヴ。明るく手を振ってくるその表情に昨日の面影はなくて少しほっとするものの、それ以上に驚きが大きい。正式入部ということで今日から朝練に参加しようと思い、登校時間を一時間半ほど早めたのだ。一時間半だ。一時間半も違うのに、どうしてここに黄瀬がいる。 「いやー、みょうじっちのことだから、誰よりも早く朝練行こうとすると思ったんス。それならこのくらいかなあ、と」 「いつからここで待ってたの?」 「今来たばっかっスよ!」 「嘘だ…。黄瀬って私のストーカーだよね、いよいよ」 「この愛情をストーカーと言うなら、まあ、そうっスね」 せめて否定してよ、と溜め息をつく。黄瀬が私の自転車のカゴに上着とカバンを押し込むのを待って、再び前に進み始めた。私は学校に着いたら朝練に出るとして、黄瀬はどうするのだろうか。モデルとしてただでさえ注目の的である黄瀬は、バスケ部では別の意味で注目を浴びているわけで。昨日も監督に特別扱いされて苦笑いしていた。どんなときでもとりあえず笑うのが黄瀬だが、海常バスケ部がより居心地の悪い場になったことは間違いないだろう。 校門を通り自転車を留めて体育館に向かうと、すでに数人がアップを始めていた。時計を見ると、まだ七時になっていない。なんて熱心な、と驚嘆しつつ足を踏み入れた。 「みょうじさん、黄瀬、おはよう」 「はよっス」 「おはようございます、みょうじでいいですよ」 相変わらず爽やかな笑みを浮かべる森山が挨拶をしてくれた。聞くところによればこれは女子限定スマイルらしいが。森山は昨日の練習で何度も黄瀬に抜かれていた。中学を出たばかりの新入部員に負けるのは悔しかっただろうに、それはそれと割り切ってこうして挨拶をしてくれるなんて。大人だなあ、と二つ歳上の男に私はぺこりと頭を下げる。 黄瀬はめんどくさいめんどくさいとぼやきつつも結局朝練に参加すると決めたらしく、着替えのために部室に向かった。私はブレザーを脱いでカバンとともに邪魔にならないステージの隅に置く。それから辺りを見渡して、シュートしては自分でそのボールを広い集める二年生に声をかけた。名前は確か、早川だったと思う。 「おはようございます、あの、もし良ければボール拾いしましょうか」 「……あ?」 お前誰、と言いたげな視線を向けられたので、マネージャーですと名乗った。すると思い出したというように頷いて、いきなり激しく怒鳴りだした。ラ行が聞き取れないという驚きの事実には突っ込まない方がいいのだろうか。 「そんなことよ(り)お前は黄瀬の教育をしとけ教育をー!あいつしつけがなってねえよ昨日オ(レ)になんて言ったと思う!?」 「なんでしょう、」 「言わねーよ言いたくねーよ畜生ー!」 次は絶対負けねえ!と意気込む先輩の近くに、ありったけのボールをかき集めた。先輩はなんだこれという表情でボールと私を見比べる。私はシュート練を続けるように言った。そして投げられたボールを数個単位で拾って再び早川の元まで運ぶ。サンキュー!と叫びながら位置を次々に変えて五十本ほど打ち続けた早川は、突然動きを止め頭を抱えて床に崩れ落ちた。 「入んねえ…!」 「いや、半分近くは入ってますよ?」 「半分じゃダメだ(ろ)!しかも半分"近く"とか!」 「真ん中や左はともかく、右サイドからが苦手みたいですね」 「ああ、……って、え?」 「外したのは右サイドからのシュートがほとんどでしたよ」 「そんな、春休みに左が弱いって言わ(れ)て左の練習しまくったのに、今度は右か…!」 「いいことなんじゃないですか、それ。元々良かったはずの右がダメに見えるほど、左が上手くなったってことでしょう」 「……な(る)ほど!」 ぱっと目を輝かせた早川は、右サイドを集中的にこなし始めた。私は引き続きボールを拾っては運ぶ。そうこうしているうちにホームルームまであと十五分になった。笠松がてめーらさっさと着替えろ遅れんぞ、と一喝すると、部員たちはパラパラと練習を終えて部室に戻って行った。黄瀬もとっくにいなくなっている。彼は彼なりに部室が気まずくて、早めに切り上げたのかもしれないと思った。私は残ってモップをかけようとしている部員を止める。 「私やるので、先輩は着替えてきてください」 「お、サンキュ」 その部員は明るく礼を言って部室に駆けていった。さっきの早川からの叫びもそうだけれど、こういう些細なやりとりで私はとても嬉しくなる。マネージャーの醍醐味の一つだ。弾む足取りでモップをかけ、制服姿で戻ってきた笠松とともに倉庫に鍵をかけて教室に向かった。 12.09.27 |