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その日、私は朝から緊張していた。憂鬱というほうがしっくりくるその感情の原因は、放課後に控えた部活動登録会である。海常生は二週間程度の仮入部期間を経て、希望する部の登録会場に入部希望書を持ち込み、そこで正式入部となる。私は手元の用紙にくっきりと書き込まれた「男子バスケットボール部」の文字を確認して、体育館に足を踏み入れた。

定刻が迫ってきたところで、私は痺れを切らしてこの場を仕切っている先輩に声をかけた。何に痺れを切らしたかというと、ここにいる誰もが座っているというのになぜか私だけ立っているという現状だ。女が自分一人という事実も重くのし掛かってきた。しかも、ニ、三年生が私に向ける目はどう見ても歓迎のそれではない。


「あの、私どこに座ればいいですか」
「……あー、マネ希望?どこでもいいよ」
「さっき、他のマネージャー希望の人が来たら一緒に座ってもらうからとりあえず立っててって言われたんですけど」
「うーん、なんか他のマネージャーとか来ないみたいだし、ほんとどこでも良いって。てかうちの部にマネはいらねえかな、なんて」
「何言ってんだお前!」


ぐさりと来るさりげない拒絶をされた私と拒絶した本人の間に、見覚えのある先輩が突然割って入った。髪はさらさら、顔立ちは整っているその人は海常の現レギュラーであると、以前黄瀬が言っていた気がする。にこ、とこちらに向けられた笑みに私は目を泳がせた。


「あの、」
「気にしないでくれ、別にマネージャーが要らないわけじゃないから。むしろ大歓迎っていうか、君みたいな可愛い子が入ってくれて嬉しいっていうか。うちの部はほんとに良い部だけど、欠点があるとしたら野郎しかいないことだったんだよ。でも今年は違う。なあ、マネージャー希望は君だけなのか?友達を連れてきてくれてもいいんだぜ」


爽やかなイケメンの口から溢れたその発言に、目を泳がせるどころではなくなった。今私の目を例えるならば点であろう。何言ってんのこの人。私は「はあ」と曖昧な相槌を打った。黄瀬のような愛想笑いは苦手だし、お世辞に上手く対処することだってできない。なにしろ私の周りにはお世辞を口にしてくれる友達なんていないのだ。誘えば一緒にマネージャーをやってくれる友達も、いない。ちなみに唯一友達と呼べる亜美は「すばるくんとの時間を減らしたくない」という理由で部活には入らないとのことだった。ちなみに"すばるくん"は中学時代の友達とバンドを組んで日々練習に励んでいるらしい。


「あーやべ、そろそろ登録会始まるな。じゃあ君、そこらへん座って。スカートだけど大丈夫?」
「大丈夫です」
「悪いな。そういえば名前は?」
「みょうじなまえです」
「ああ、」


その意味深な頷きは何?黄瀬絡みの噂は三年男子にまで広がっているのか、それとも。元々ひきつっていた自分の顔が本格的に強張るのを感じた。どちらにしても恐ろしいことだが、噂の方がまだ単純だ。この人が私を知ったのはいつだろう。あの話は、どのくらい広まっているのだろう。


「笠松が君のことよく話してたよ。帝光中出身のマネージャーが来るって」


そうですか、と答えた私は動揺を隠せていただろうか。詳しく聞こうにも、周りに耳がありすぎるため迂闊な発言はできない。それに、視界の隅にちらつく金髪が私を押し留めていた。ちらりと向けられた視線が落ち着いてと言っているような気がして、小さく深呼吸をする。きっといつかは公になってしまうその事実を、今はなんとしても伏せておきたかった。



△▽



「マネージャーは残れ」


登録会が終わって、部員たちはぞろぞろと部室に向かう。それに続こうとしていた私は、監督に呼ばれて振り返った。ちょいちょいと手招きされて監督のもとへと急ぐ。体育館から全員が去ったとき、ようやく監督は口を開いた。


「お前の仕事だがな、とりあえず何もしなくていい」
「……どういうことですか?」
「知ってると思うが、うちには代々マネージャーがいない。つまり、マネージャーがいなくてもやっていけるだけの能力は身に付けているというわけだ。マネージャーは必要ない。むしろ、素人に引っ掻き回されると迷惑だ」
「ちょっと待ってください、なんで私が迷惑かける前提なんですか。私は別に、」
「お前は黄瀬を引き込むための餌として入部を許可されただけだ。わかっているだろう」
「餌ってそんな」
「いいか、うちはインターハイ優勝を狙っている。お前も帝光にいたならわかるはずだ、やる気のない部員がどんなに邪魔か。それが女子ならなおさらだ。部員が浮き足立つ」
「私なんかに浮き足立つ人いませんよ!」
「黄瀬がいい例だろう」
「……そんな、」


何も言わせてくれない、言ったところで聞き入れてくれない監督に私は唇を震わせた。確かに、帝光にも三軍マネにどうしようもない奴がいた。明らかな男目当て部員で、その女がころころと男を乗りかえたことを原因に三軍内がぎくしゃくした時期もあったらしい。この監督は私をそういう存在と見ているのだろうか。確かに私は黄瀬のためにここに来た。だけど来たからには、マネージャーとして懸命に尽くそうと思っていたのに。


「私はここの選手を支えたくて、」
「そうか、それなら邪魔をするな。お前がやるのは外面的な雑務だけでいい。選手に関わる仕事は一切するな。いいな」


それだけ言い捨てて、監督は足を踏み鳴らしながら部室に向かった。残された私はただただ立ち尽くす。カバンに押し込んできたジャージの存在が虚しかった。動きやすいようにと持ってきたけど、必要ないだろうな。がらんとして静かな体育館の隅で、一人歯をくいしばった。


12.09.18
14.03.14 修正