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「もうすぐ修学旅行だねー」


お弁当に箸をつけながら、奈々が話題を振った。十一月のお昼となれば、話題はこれに決まっている。私を含め、その場にいる五人がうんうんと頷いた。


「自由行動がほとんどないの酷いよね」
「わかる、班も名簿順だし」
「それそれ、全然楽しめないじゃんね」
「唯一好きにできる時間といえばー」
「最後の夜の、お土産買う時間?」


コンビニで買ったパンを飲み込んで私が口を挟むと、五人が一斉に目を輝かせた。会話はいっそう弾み始める。

この学校の修学旅行は制限の多い方だと思う。規則でがんじがらめの班行動とクラス行動を繰り返し、最後の夜にだけ自由に買い物を楽しむことができるのだ。ホテルの近くの、お土産専門の商店街への外出が許される。もちろん勝手に出かけてはならず、二人以上で、さらに教師の許可を得てからというきまりはあるものの、その時間がとても楽しいものであることは先輩から十分に聞いていた。


「みんな行くよね?」
「もちろん!部活の子と回る約束してるんだあ」
「それあれでしょ、あんたの好きな人もいるんでしょ?」
「どうだろうねえ?」
「にやにやしすぎ!わかりやすっ!」
「私は彼氏と回るよ」
「えーちょっと麻衣ー!羨ましい!」


にぎやかな周囲の声に耳を傾けながら、私はまたパンを頬張った。旅行中唯一の自由時間に、カップルが集中するのはわかりきったことだ。先輩によると、右を見てもカップル、左を見てもカップルという状況で、独り身の者は彼らを妬み、罵りながら歩くことになるらしい。

すでに付き合っているカップルはとっくに約束をしているだろうし、その夜にデートをしたいがために修学旅行前のこの時期や旅行の最中に想い人に告白する人も多くいる。

私はできることならさつきと回りたいのだが、さつきはきっと黒子を誘う。そう考えて声をかけられないでいた。余談だが、さつきはすでに五人の男に誘われたらしい。どんだけモテるんだ。

モテる、と言えばもちろん黄瀬だけど。一瞬彼のことが思考をかすめ、同時にあの帰り道を思い出した。しかしすぐに振り払い、また五人の会話に耳を寄せる。


「あー独り身寂しいー」


ちょうど奈々が大袈裟に肩を落として、その姿にみんなが笑ったところだった。六人で構成されるこのグループは、比較的派手なメンバーが集まっていると思う。おっとり女子が一人、クール女子が一人含まれているとはいえ、基本的には明るく、馬鹿騒ぎをするのが好きで、教室で一番目立つグループだった。

顔立ちや雰囲気からして五人全員に彼氏がいてもおかしくないと思うのだが、実際に彼氏持ちなのはクールな性格の麻衣だけだった。おっとり女子が同じ部活の男子に片思いしているのは知っていたが、あとの三人については何の情報もない。だが、この場で彼女達から「独り身で集まって回ろー!」なんて提案が出ないあたり、実は彼氏がいるのかもしれないし、実は好きな人がいてこれから誘うつもりなのかもしれない。もしくは私のように、その提案をする勇気がないか。

このグループは居心地が良かった。互いに深く干渉せず、それでも教室に入れば明るく迎えてくれる。家庭があの状況な一方でこんなに楽しい居場所もあるのだから、私はまだまだ大丈夫だ。おっとり女子の素のボケに麻衣がつっこみ、私は思わず声を上げて笑った。



△▽



「だめだったー」


放課後、さらさらの髪を揺らして輪に飛び込んだ少女の顔は歪んでいた。今にも泣き出しそうな彼女に、別の少女がそっと身を寄せる。


「去年同じクラスだったのに、仲良かったのに」
「……奈々」
「なんでだめなの…」


うつむいている彼女が涙しているかはわからない。ただ、その声は弱々しく周囲の空気を震わせていた。


「……黄瀬くん、なんて?」
「二人と同じ。誘いたい子がいるから、ごめんね、って」


その場にいた四人のうち、二人は顔を強張らせ、二人は気まずそうに目を逸らした。顔を強張らせた少女の片方が口を開く。


「やっぱり噂通り、黄瀬くんの好きな人って」
「やめなよ」


今度は、気まずそうに目を逸らした方の少女が声を上げた。ぱっと視線が集中し、彼女はいっそう気まずい顔をしながら言葉を選び選び話す。


「噂でしょ、そんなの」
「でも、麻衣も知ってるでしょ。松浦が、黄瀬くん本人から聞いたって言ってること」
「あの二人そんなに仲良くないじゃん。それにアイツ、女好きだし。なまえにふられたかなんかで、恨んでるんじゃないの。そんなのに踊らされてどうすんの」
「でも私、あの二人が手ー繋いでるの見た」


奈々と呼ばれた少女が静かに言った。何気なさを装ってはいるものの、嫉妬と怒りが見え隠れしている。


「あ、わたしも見た。なまえと黄瀬くんが一緒に帰ってるの」
「あたしも見たことある」
「ね。しょっちゅう一緒に帰ってるじゃんね。やっぱり、黄瀬くんがなまえを好きっていうか、あの二人もう、」
「奈々」
「…………なんでなまえは何も言ってくれないんだろー」


たしなめられて一旦口をつぐみはしたものの、奈々はすぐにまた本音を零した。両隣の二人が同調の声を上げる。


「酷いよね」
「そうならそうってはっきり言ってくれればいいのにね」


麻衣と呼ばれた少女は、会話の流れが変わるのを感じて唇を噛んだ。黄瀬に思いを寄せる三人は前々からみょうじが気に入らず、事あるごとにこうして愚痴を吐き出していたのだ。いつか爆発する、と麻衣はこの事態を予期していた。


「ねえ、なまえを誘って私たち四人で回ろうよ」
「もう黄瀬くんと約束してるかもよ?」
「誘いたい子がいるって言ったんだから、それがなまえだとしても誘うのはこれからでしょ。先手取っちゃお」
「もしなまえが黄瀬くんと行きたいからって断ったら?」
「……ねえ、なまえが黄瀬を好きかなんてわからないでしょ」
「はあ?どー見ても好きじゃん、あんなの。麻衣、黄瀬くんと話してるときのなまえを見たことないの?」


少女の一人が声を荒げた。奈々はますますうつむき、その隣の少女は拳を固めた。


「なまえがどう答えるかなんて関係ない。友情より恋愛を取るんだ、って言ってやれば、あの子絶対私たちと来るよ」
「……もしもそうならなかったら」
「そのときはばいばいだよ」


ばいばい。軽い調子で彼女は言った。それがグループからの排除、そして絶交を意味することは、この場にいる誰もが承知の上だ。

辛辣に決断を下した少女が、まだ一度も口を開いていない少女の名を冷たく呼ぶ。呼ばれた少女はおそるおそる顔を上げた。半開きの唇は震えていた。


「こっちにつくよね?」
「…………うん」


消え入りそうな声で彼女は答えた。少女はにっこりと笑い、問題人物に目を移す。みょうじを何度も庇った麻衣だ。リップで彩られたつややかな唇が、同じ言葉を紡ぎ出す。


「麻衣も、こっちにつくよね?」
「………あんたたち、それでいいの?」
「何がいけないの?あたしたちがどれほど黄瀬くんを好きか、知ってるでしょ?」

「すまない、通してもらっていいかな」


凛とした声が突然廊下に響いて、こそこそと顔を付き合わせていた五人は飛び上がった。慌てて声のした方を振り向くと、そこには赤髪の少年が立っていた。道を開ける彼女たちにかすかな微笑みを見せながら、少年は悠々と廊下を歩いていく。彼の醸し出す空気に飲まれて口がきけなくなった彼女たちが次に声を上げたのは、彼が角を曲がって姿を消してからだった。



△▽



「明日はまだ序の口だな」
「……何の話だ」
「おそらく、何も変わらないだろう。なまえにとっての日常は、まだね」
「みょうじがどうかしたのか?」
「だが、動き始めた歯車は止まらない」


緑間の問いを無視して、赤司は淡々と話し続けた。伝える気がないなら口に出すな、と言いたげな緑間の呆れ顔に見向きもせず、彼は愛情の滲む笑みを浮かべる。色違いの瞳が、沈みかけの夕日を浴びて煌々と輝いた。


「僕は忠告したよ、なまえ」


14.05.21