03

「先輩、私まだマ」
「黄瀬は!どこ行った!」
「……知りませんよ、そもそもうちのクラスじゃないですし」
「お前黄瀬のマネージャーだろ!」
「黄瀬のどころかバスケ部のマネージャーでもないですよまだ!」
「は?お前何のための特た」


飛び出しかけた言葉に私が口元を引き吊らせたとき、背後から「先パーイ」と暢気な声が被せられた。笠松幸男の声を掻き消したその人物に、周囲から遠慮のない歓声が上がる。その中心を追って振り向くと、にこやかに片手を上げた黄瀬が視線という視線を集めて立っていた。


「ひょっとしてオレを探しにきてくれたんスか?」
「……ひょっとしなくてもそうに決まってんだろ!お前今日も朝練サボりやがって!放課後もサボるつもりじゃねえだろうな!」
「やだなー、今こうやってセンパイと会っちゃったのに、サボれるわけないじゃないっスか」
「会わなかったらサボるつもりだったなこのバカが!」


綺麗に伸びた笠松幸男の足が、黄瀬の背へと吸い込まれた。いったあ!と叫んで目を潤ませる黄瀬は仕事モードに入っているのか、終始キメ顔だ。笠松幸男に引きずられながらも、自分を心配する女の子に手を振り「大丈夫」と眉を下げて笑う。その隙を狙って私はそっと背を向けたのだが、凛とよく通る声で怒鳴られしぶしぶ立ち止まった。


「マネージャー!今日はお前も来いよ!」
「だから私まだマネージャーじゃ、」
「いい加減にしろよ…!お前は冬からずっ」
「ちょっセンパイ、オレの制服伸びてる!どーしてくれるんスか!」
「………先輩に向かってその口の聞き方はなんだ黄瀬ェ」


するりと抜け出して走り出した黄瀬と、その背を追って疾走する笠松幸男は、すぐに角を曲がって見えなくなった。注目の二人がいなくなって、周囲の目は残された私に集まった。このまま帰宅するのとバスケ部に向かうのでは、どちらが好印象だろう。最終的に「どちらにしても悪印象」という結論を出した私は、零れそうになる溜め息を堪えながら体育館に足を向けた。



△▽



バスケ部専用のその体育館は黄瀬を目当てに来たと思われる女子で溢れかえっていた。練習の真っ最中である部員は騒がしいギャラリーに気を取られて集中出来ていないのか、シュートを外す人が妙に多い。彼らはこぼれ玉を拾ったあと女子の集団を睨み付け、忌々しそうに舌打ちをする。黄瀬さえ入ってこなけりゃ、という呟きを聞いてしまった私の胸に薄暗い染みが広がった。ここでの練習を怠ける黄瀬の心情も、わからないわけではないのだ。

ラフなジャージに身を包んだ黄瀬が姿を現した途端、耳をつんざくような歓声が体育館を満たした。黄瀬くーん!黄瀬くんシュートしてー!黄色い声で叫ぶ周りの女子に、私は一人唇を歪める。一層厳しくなる部員の目。それが向けられるのがギャラリーだけならまだしも、黄瀬がファンサービスとして手を振り返す今、標的は黄瀬に変わってしまう。


「みんな、マネージャー志望なんスか?」


休憩時間、タオルやら差し入れやらを渡そうと群がる女子に対して黄瀬はそう口にした。彼女らの答えは十人十色だった。応援しに来ただけという者もいれば、マネージャーとして黄瀬のそばにいたいという者もいるようだ。ハッキリと言葉にすることはないものの目を輝かせて好意を語る少女の声をちゃんと聞いているのかいないのか、黄瀬は穏やかに相槌を打った。穏やかに、いつもと変わりない明るいトーンで。


「嬉しいっス。でもね、うちのバスケ部マネージャー募集してないみたいなんスわ」
「え?でも、」
「ほら、見学者以外女の子は一人もいないでしょ?毎年、勧誘も募集もしてないらしいんスわ」
「そんなあ」
「オレのこと応援しないでって言ってるわけじゃないんスよ?むしろこれからも応援してくれると嬉しいっス」


マネージャーとしてじゃないと応援してもらえない?と少し寂しそうに笑う黄瀬に、女子たちは頬を赤らめて首を横に振った。ああ、上手い。気持ち悪い。なんてあざといんだろう、こいつは。穏やかな、だが確かに拒絶であるそれを、女子たちは易々と受け入れてしまった。ふと目を向けた先の笠松幸男が、満足気に声を張り上げて部員の集合をかけた。



△▽



部活が終わったその瞬間に女子に囲まれた黄瀬。彼を待つ気などさらさらなく、さっさと学校を出たのだが、二つ目の信号で息を切らしたそいつに捕まってしまった。しつこいようだが、私は自転車に乗っているのだ。漕ぐのが遅い自覚はあったが、こうも簡単に追いつかれるとなんだか情けない。途切れ途切れに声を絞り出す黄瀬が気の毒になって、私は自転車を下り隣を歩き始めた。


「先に帰るなんて酷いっス」
「だって約束してないし。それより、バスケ部がマネージャー募集してないって本当?」
「ほんとっス。オレ嘘つかないもん」


じゃあ私マネージャーできないじゃん、と当然の結論が頭に浮かぶ。怪訝な顔を黄瀬に向けると、話してなかったっけ?と首を傾げられた。私が聞いていたのは海常にマネージャーがいないということだけだ。募集さえしていないなんて。


「そもそも部員も募集してないんスよ。勧誘はまあ、いい人材がいたらするみたいっスけど」
「どういうこと?」
「他の部はチラシとかポスター使って部員集めてたでしょ?あれをバスケ部はしてないんス」
「そうだったの?そういえば何も見てない…」
「でしょ。わざわざ呼びはしないけど、入りたいならどーぞってスタンスらしいっスよ。まあ強豪みたいだし、やる気ある奴は自分から来るんスね。部員募集ってのは人数足りてないとこが、初心者でも良いから来て!って人を集めることっしょ?」
「そうかもしれないけど、それにしてもこじつけ過ぎてない?あの子たち、絶対誤解したよ」
「良いんスよそれで。キャプテン、えーと、笠松センパイ?の指示だし。そりゃあんなうるさい女が大勢入ったら、キャプテンとしては困るだろうね」


それであんな顔をしていたのか、と先ほどの笠松幸男を思い出して私はようやく合点した。失礼ながら単細胞な男だと予想していたのに、意外と抜け目がないようだ。


「おかげさまで私は入りづらくなったんだけど」
「え、なんでっスか?」
「だって募集されてないのにわざわざ入るって、ねえ」
「確かに募集も勧誘もないけど、禁止もしてないんスよ?入って悪いことは何もないっス」


黄瀬の言っていることは正しいが、正論だけで渡っていけるほど私を取り巻く状況は甘くないのだ。それは黄瀬もわかっているだろう。私はマネージャーなんて道に足を踏み入れない方が、明らかに平和な毎日を送れるはずだ。そんなことを考えていれば、いつの間にかひねくれた文句が口をついて出ていた。


「そもそもさ、あんな数人に"マネージャー募集してない"なんて言ったって意味なくない?他にもマネージャー志望はいるだろうし、どうせ無駄なら言わなくても良かったんじゃ」
「みょうじっちがマネージャーをやりづらい状況を作っちゃったことについては謝るっス。でも無駄なんかじゃないんスよ、噂はすぐに広まるんだから。オレやみょうじっちの話が校内に回るスピードを考えたら、さっきの話だって明日には大体の人が知ることになるはずっスよ」


ほんと、女子は噂が大好きっスよね。そう呟く黄瀬の表情は冷めている。黄瀬は滅多にこういう顔をしない。常にニコニコ、私に言わせればヘラヘラと笑っている。だからこそ今のような素顔を見せてくれることは嬉しいし、また、怖くもある。こんなに上手く仮面を付け替えられるのなら、私に見せているその表情は何なのだろう。素顔、なんて私の勝手な願望だ。


「ねえみょうじっち、イジメられたらすぐに言ってね?」
「苛められる前提で話をしないでよ、」
「だってマネージャー始めたら、今以上に風当たりが強くなるのは必然っスよ」


ほら、やっぱり。黄瀬はわかっているのだ、私が崖に向かって進もうとしていることを。それなら私を誘わないでよ、と思わず口走ってしまう。恐る恐る上げた視線の先で黄瀬は冷静に私を見つめており、飛び出た安易な言葉を後悔した。ああ、我ながら子供っぽいことを言ってしまった。さっきから、私の発言は駄々をこねているだけだ。私のカバンのなかには、配られたその瞬間に文字で埋めた入部届けが入っているのだから。ずっと前から決めていたのだから。


「オレ、みょうじっちがイジメられるのも嫌っスけど、一緒にいられないのも嫌なんス」


だから一緒にバスケしよう。そう言いたいのは十分すぎるほど伝わった。自分のことばっかり考えないでよ。私は苛められるの、嫌なんだから。そう吐き捨てて逃げたっていいはずなのに、私の口からは何の言葉も発せられず、それが意味するところは明らかで。とっくの昔に、後には引けなくなっていたのだ。黄瀬の指が私の髪を撫でる。私は逃げるように目を閉じた。


12.09.17