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私が黄瀬涼太と知り合ったのは中学二年生のときだった。ちなみに「黄瀬涼太」を知ったのは中一の春。モデルの黄瀬涼太が同じ学校にいるということで騒がれていたが、私は服に興味がなかったため特に意識していなかった。第一彼は男性服のモデルなわけで、むしろ何故騒がれているのか不思議だったくらいだ。

遠いどころかまったく縁のない存在だった黄瀬涼太とは、彼がバスケ部へ途中入部したのを機に知り合い、親しくなった。二人して海常高校に来たのはまったくの偶然だ。たまたま二人とも海常高校を志望したという、ただそれだけ。

さらに、東京に住んでいた私が何故わざわざ神奈川にある海常高校を志望したのかというと、海常高校の男子バスケットボール部がインターハイ常連校だったからだ。帝光中学校でバスケの楽しさを知った私は、高校でもバスケに関わっていたかった。どうせならインターハイ優勝を目指すくらいのハイレベルなチームを支えたい、そう思ってここへの入学を志した。今の私の目標は、この学校の男子バスケットボール部に入部し、微力ながらも選手の夢をサポートをしていくことである。



……という説明を、かれこれ三十回は繰り返しただろうか。はじめこそ口ごもりつつのたどたどしい説明だったものの、今ではスピーチでもやってやろうかと思えるほど流暢に話せるようになった。しかも控えめな笑顔のオプションつきだ。


「じゃあ、みょうじさんは黄瀬くんの彼女じゃないの?」
「うん。ただ部活が一緒だっただけ」
「でもいつも一緒に登校してきてるよね」
「たまたま途中で会うだけだよ」
「毎日、たまたま?」


なんで私たちが毎日一緒に来てること知ってんのよこのストーカー、……と言ってやりたかったが当然言えるわけがない。私は精一杯嫌味のない笑みを作り、「たまたま」と頷いた。私は何ひとつ嘘をついていない。いつも私が通る道に"たまたま"黄瀬が立っているだけで、別に私が黄瀬を待ち伏せているわけでも黄瀬をつけ回しているわけでも何でもない。むしろ逆なのだが、そんなことを言えばそれこそ逆効果だ。


「そっかー、仲良さそうだから彼女かと思っちゃった」
「部活で二年間一緒に活動してたからそれなりに仲はいいと思うけど、ほんと、それだけだよ」
「そうだよね」


何が「そうだよね」なのか全くわからないがまあそうなんだろう。最後の授業を終えて帰る支度をしていた私のところに「みょうじさんだよね?」とあからさまな嫌悪の目をして声をかけてきたその三人は、満足気な表情を浮かべ教室を出ていった。どこのクラスかもわからない、見たこともない三人に名前を呼ばれて内心勘弁してくれと思ってしまった私だが、みょうじなまえという名が女子を中心に"黄瀬涼太"に次ぐ頻出ワードになっている現状にはもう慣れてしまったし、私と黄瀬の関係を尋ねる無遠慮な質問もすでに三十回目だったわけで、冷静に対応することができた。


「お疲れえ」
「…どうも」
「今の話ぜーんぶ嘘?」
「ほんとのことだよ、大体」
「大体じゃだめじゃーん、バレたとき困るのはなまえちゃんだよ?」


舌ったらずな甘い声で話しかけてきた隣の席の女の子は、現在の私の、黄瀬を除いた唯一の友達である。名前は亜美。金色に近い明るめの茶髪の形は毎日変わり、巻かれたり結われたりと忙しい。すっぴんなのかメイク済みなのかわからないその顔はかなり可愛く、スタイルが良い上に胸が大きい。そして慣れればただの個性と思えるのだが、一見かなりのぶりっこである。


「今日ね、すばるくんとデートなんだあ」
「今日だけじゃなくていつもでしょ」
「なまえちゃんわかってるう。そうなの、あたしとすばるくんラブラブだからさあ」


あと、惚気が異常に多い。これは私に気を許してくれているから、だと思う。入学したその日から視線と噂に取り巻かれて浮いていた私に堂々と、しかも"黄瀬涼太"というワードを用いずに話しかけてきたのはこの子だけだ。

鈍いのか鈍いふりをしているのかよくわからないが、三日目くらいになって「どうしてなまえちゃんこんなに嫌われてるの?」と単刀直入に聞かれたときは、この子色々凄い、と思った。そこではじめて黄瀬について話をしたら、

「ああー!わかるよ、金髪のイケメンでしょう?廊下歩いてるときすれ違って、うわあちょうイケメンって思ったもん。モデルだったの?見たことないよー。へえ、なまえちゃんの彼氏なんだあ。え、違うの?まあどっちでもいいや。その人ちょうイケメンだって認めるけどさあ、あたしが一番かっこいいと思うのはすばるくんだなあ」

とのことだった。黄瀬の話をしているときに出てきた名前だったのでその"すばるくん"も芸能人か何かかと思いきや、そいつは亜美の彼氏だった。隣のクラスにいるらしい。その日以来私は延々と惚気を聞かされているのだが、亜美は話が上手く、惚気だというのにとても楽しい。


「あれえ、帰るの?」
「うん」
「部活は?バスケ部入るんでしょう?」
「入るよ。でも、まだ正式入部してないから」
「んー?なまえちゃんって、特待生じゃないの?」
「違うけど」
「そうなんだあ。勘違いしてた」
「…どういうこと?」
「なんかね、えーと、なまえちゃんはずっと前からここのバスケ部のマネやることが決まってたから、正式入部とか関係なしに活動しなきゃなんだって聞いてたんだよねえ」
「え、」


違う違う、と私は慌てて手を振った。この会話にさえも、誰が耳をそばだてているかわからない。余計な噂がたっては困ると、早口で否定した。


「誰に聞いたの?それ嘘だよ、正式入部関係ないのは黄瀬の話」
「誰っていうか、トイレで女の子が話してた」
「そっか…。ほんとただの噂だから、信じないでね」
「わかった。でもさあ」
「なに?」
「火のないところにー、って言うじゃん?」


ねえ?と首をかしげる亜美は本当に可愛いのだが、私は苦い顔をせざるを得なかった。火ってなんだ、そんなものはない。私は確かにここのバスケ部でマネをしたくて入学したわけだが、ちゃんと仮入部して入部届けを出して入部しようと思っている。……ことになっている。私の行動は完璧なはずだ。どこからそんな噂が?誰のどんな言動からそんな、


「マネージャアアア!」


もの凄い怒鳴り声と共にこの教室に飛び込んできた男に、一斉に周囲の視線が集まる。すぐ来い!今来い!と訴えるその男の目は、明らかに私に向いていた。クラスの中からも外からも、主に女子の意味ありげな視線が私を射抜く。そいつらの言いたいことはうんざりするほど伝わった。亜美が口にした言葉がそれだ。


「ねえほら、あの人バスケ部のキャプテンでしょう?なんでまだ入部してないなまえちゃんをマネージャーって呼んでるの?」


無邪気にそう問う亜美に私は、「仮入部でマネージャー希望ですって言ったから、もう私が入部したものと思ってるんじゃないかな」となるべく辺りに聞こえる声で言い立ち上がった。そうか、こいつのこういう言動が原因か。面と向かって"こいつ"呼ばわりなんてとてもできないその男は、海常高校男子バスケットボール部主将、笠松幸男である。


12.08.14