25 きらきら光るその目の下に、うっすらと存在を主張する隈を見つけて。間近で見つめた黄瀬の顔は、どことなくやつれているような気がした。 「なんか、痩せた?」 「引き締まったと言って欲しいっス!」 そんな会話をしたのは、確か今朝のことだった。校内パン販売帰りの昼休み、あまり長居をしたくない黄瀬のクラスの廊下で、私は黄瀬の握るそれを見て目をしばたたいていた。隣の亜美が、早く行かないとやばいんじゃないのーと間延びした声を上げる。「あれ、みょうじ?」後ろから呼びかけられて、ようやく我に返った。 ここに来るなんて珍しいな、と明るい顔を見せる山田の手を引いてその場を離れた。山田はバスケ部の一年生で、現在は二軍に所属している黄瀬のクラスメイトだ。 「黄瀬って、いつも何食べてるの」 「昼?んー、最近はソイジョイにはまってるって言ってた。でもカロリーメイトを食べてることの方が多いかな」 「他には?まさかそれだけ?」 「いや、ゼリー飲料とか飲んでるよ」 「そうじゃなくて、お弁当とか」 「最近は食べてないと思うけど。持ってくるのめんどくさいらしい」 「それなら、校内販売とか、コンビニとか、」 焦ったような自分の声を聞きながら、山田に尋ねてどうする、と思った。山田もそう感じたらしく、おれに聞かれても、と顔をしかめる。でも、と食い下がるものの言葉が出ない私に、「たまに女子が弁当作って持ってくるけど、絶対受け取らねーのよ」と不必要な情報まで教えてくれた。私はしばらく考えた末に、買ったばかりのパンを差し出した。 「これ、黄瀬に渡して」 「……いいけど、みょうじは何食べんの」 「新しいの買うから大丈夫」 「ふーん。みょうじから、って言えばいいわけ?」 「いや、このクラスでそれはちょっと…。山田くんの奢り、ってことにしといてくれる?」 「わかった」 教室に戻っていく山田の背を見送ってから、退屈そうに待っていた亜美に手を合わせて謝った。彼女はまたあ?と文句を言いつつ、再び販売店についてきてくれた。 △▽ がらがらとボールの詰まった鉄かごを引きずり、用具庫を出ようとしたときだった。手伝うよ、と声と共に黄瀬が現れ、同じようにかごを引き始める。車輪の回る速度は格段に上がり、大して力を使っているようには見えないのにこんなにも力の差が、とため息をついた。 「ありがとう」 「うん」 なぜか目を伏せる黄瀬はやはり疲れて見えた。心なしか細くなったようなその腰に腕を回してみたくなる。部員の体重は毎日報告してもらっているが、黄瀬のそれは一定を保っていた。偽っているとしか思えない。あのさ、と切り出す声が重なった。 「何?」 「みょうじっち、先に言ってよ」 「黄瀬からどうぞ」 「……あの、昼のパン、みょうじっちがくれたんスよね?」 「うん、時計のお礼に。それだけじゃないけど」 今はリストバンドに付け替えているものの、普段の私の左手にはすでに新たな腕時計が巻かれるようになっていた。以前の時計が使えなくなってからわずか二日で黄瀬から手渡されたそれは、前のものよりも落ち着いたデザインで海常の制服によく馴染んだ。相変わらずベルトの部分は黄色が主だが、より赤みが強く、そして温かい色だった。私が喜んだのは言うまでもない。 「黄瀬、最近ちゃんとお昼食べてないらしいじゃん」 「食べてるっスよ」 「嘘ばっかり。山田くんに聞いたんだからね」 そう言うと黄瀬はまた目を伏せたが、そろそろ私が黄瀬より低い位置にいることに気づいた方がいい。視線を落とせば落とすほど、私は目を合わせやすくなるのだから。やっぱり痩せたんでしょ、本当は何キロなの、と若干口調を強めた私に、黄瀬はしぶりながら言葉を返した。 「変わってないっスよ、見ての通り」 「細くなって見えますけど?」 「弁当作るの面倒なんスよ」 「校内販売で買えばいいじゃん」 「女の子に囲まれて面倒」 「コンビニは」 「寄る暇があると思う?」 「私を待つ暇があったらコンビニに行ってよ」 「みょうじっち待つ方が大事」 埒が明かない会話に苛立ちをつのらせ、私は黄瀬と睨み合った。もうすぐ部活が始まってしまう。私に背を向けて話を終わらせようとした黄瀬に、私はとうとう、「私が作ってきてあげる」と申し出た。「何を?」って、ああ、大事な部分が抜けていた。 「お弁当に決まっ」 「いらない」 「……は?」 「いらないから」 あまりに早い拒絶に、一瞬事態が理解できなかった。女子からの弁当は受け取らない――山田の言葉がよみがえる。黄瀬が差し入れは受け取るくせに弁当は受け取らない理由は知っている。黄瀬が受けとる差し入れは、厳密に言えば洗って返さなくても良い容器に入ったものだけだ。つまり、もらったあとにその送り主と関わる必要のないもの。可愛い箱に詰められご丁寧に箸まで付いた弁当は、その条件から思いきり外れてしまっていた。 「弁当箱、別に洗って返さなくたっていいよ」 「そういう問題じゃないんス。絶対に作ってこないで」 ピーッと甲高いホイッスル。ね、と釘を刺すように私を見た黄瀬の目は、まるで氷のようだった。別に、私だけが黄瀬にとって特別とか、そんなことを考えていたわけではない。でも、まさか、こんなに冷たく断られるなんて。 呆然と立ちすくむ私だったが、諦める気はさらさらなかった。去っていく背中はどこか弱々しい。気を抜けば床に崩れ落ちそうなその身体をこれ以上痩せ細らせるわけにはいかなかった。 △▽ 「言いにくいんだけど、黄瀬は今日ちゃんと弁当食ってる」 「あ、そうなの?なんだ、持ってこられたんだ。良かった」 「……えっと、その、女子にもらったやつ」 「あ、そうなの?」 同じ台詞を繰り返してしまった私は動転していたのだろうと思う。昨日、夜遅くにコンビニに買いに行った使い捨てのパッケージに、割り箸に、黄瀬の負担にならないよう考え尽くしてここまで持ってきた弁当が、ずしりと重くなったように感じた。構わない。誰が作ったものであっても、黄瀬がお腹に入れてくれるならそれで良かった。それで良いはずだった。それ以上のことを、考えてはならなかった。 「山田くん、今日のお弁当は?」 「早弁しちゃった」 「これ、良かったら食べる?味の保証はできないけど」 「まじで?いいの?」 「うん。パッケージは捨てて良いからね」 黄瀬相手に嫉妬なんて、しちゃいけない。 13.01.20 |