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その日はからっとしたいい天気で、午前練を全力でやりきった部員たちは午後をどうやって過ごすか、楽しそうに語り合っていた。じゃあな、と気楽に声をかけ去っていく彼らにお疲れさまでしたと返し続ける私は、用具点検の真っ最中である。

体育館からはボールが床を弾む音が聞こえる。それもだんだん小さくなっていって、ついに消えてしまった。代わりにリズミカルな足音が近づいてきて、用具庫の扉から顔を出した。


「みょうじ、マッサージしてくれ」
「今日は必要なくないですか?」
「まあそう言わずに」


タイミングよく点検も終わったので、森山の後について用具庫を出る。クールダウンのためにストレッチをしていた小堀が、お疲れ、と笑みを向けてくれた。今も残っているのは森山に小堀、笠松の三人だけだった。ちなみに黄瀬は撮影で休みだ。笠松が前屈の体勢のまま私を見上げる。こんなに恐ろしい上目使いもなかなかないだろう。


「点検は終わったか?」
「用具庫にあるものは。あとはここに出ているボールをチェックして完了です」
「サンキューな。どうだった?」
「かなり沢山の用具がダメになってるので、近々入れ替えないといけませんね。もちろん監督に報告して、指示を仰ぎますけど」
「酷使してっからなあ」
「特にボール類がボロボロです。ボロボロっていうか、テカテカ?」
「あー、確かに滑るのなんのって」


私は薄いジャージの袖を捲り上げ、森山の引き締まったふくらはぎに触れた。上へ上へと手を滑らせると、森山はぎょっとしたように身を引いた。


「どこまで手を突っ込むんだ!」
「太ももまで」
「いやいや、それは駄目じゃないか?嬉しいけど」
「太ももの筋肉が固まっちゃってます。昨日のラダーが原因かと」
「あれだけで?そんなにヤワじゃないさ」
「でも重いんじゃないですか?」
「まあ」


私は一度手を下ろした。森山のももを揉むことに抵抗はない。中学ではあらゆるところのマッサージを引き受けていたし。ただ、高校に入ってからは精々膝下までに留めていたため安易に手を出してしまっていいものかわからなかった。余計な噂を立てられるのも困る。


「みょうじがいいなら、やってもらいたいけど」
「私は構いません」
「黄瀬に殺されそうだ」
「まさか」


森山の発言を鼻で笑って、彼をベンチに導いた。足も一緒に上げてもらい、床に膝立ちをして慎重に揉み始める。森山は時おり「痛い」と文句を言った。ちなみに「気持ちいい」と何度も呟かれたが、なにしろ相手が相手なので喜んでいいものなのかわからない。


「羨ましいだろう、笠松」
「バッカ野郎、そんなわけあるか」
「なあ、みょうじ知ってるか?こいつ女が苦手なんだよ」
「そうなんですか?」
「苦手で済むレベルじゃないんだけどな。クラスの女子となんか、まだ一言も話してないと思うぜ」
「……そうなんですか?」
「決めつけてんじゃねえよ森山!話ぐらいした」
「へー、どんな?」


にやにやと問う森山に、笠松は口ごもりながら説明した。途端に爆笑する森山、笑いを堪える小堀。私も正直吹き出しそうだった。先輩、それはただの返事ですから。そうつっこみたいのは山々だったが、私はにやりともせずに冷静に疑問を口にした。こっちの方が、比べ物にならないほど重要だったのだ。


「あの、私は先輩とちゃんと話をしてますよね?話どころかしょっちゅう怒鳴られてますけど。どうして、」
「そりゃお前は女にカウントされねーから」


なんでそんな当然のことを?と心から思っている様子の笠松に、森山は再び爆笑、小堀もついに笑い出していた。うん、そうだと思った。そうだと思ってたよちくしょう!力任せに指をめり込ませると、今度は私をからかっていた森山が悲鳴を上げた。


「おい!」
「終わりです」
「痛いじゃないか!」
「私の心が痛いです」


悪い悪い、と謝ってくる森山は欠片も悪びれていない。私は無言で立ち上がって、ボールの点検に集中することにした。優しい小堀が手伝いを申し出てくれて、私は感激に目を潤ませた。森山と笠松の申し出は断ったのだが、二人は勝手に加わってああだこうだとボールにダメ出しをしていた。


「みょうじは黄色が好きなのか?」
「え、」


突然の問いに、私は目を白黒させる。まさか小堀に尋ねられようとは思っていなかったが、どうして彼がその疑問を抱いたのかにはすぐに気づいた。私がいつも、黄色いリストバンドを着けているからだ。森山が口を挟んできた。


「部活以外の場では黄色い時計を着けてるよな」
「ええ、まあ」
「あれだろ、黄色が好きっていうより黄瀬が好きなんだろ?」


ほら素直に認めろ、とばかりに微笑む森山から目を逸らした。これは私に敵意を持つ女子から頻繁に聞かれることだった。その度に私は否定して、ただ黄色が好きなだけだと誤魔化すのだ。今回もそうするつもりだった。他の選択肢などなかった。


「そうです」


あまりにもストレートなこの答えは予想外だったらしく、森山は目を見開いた。小堀も、興味無さ気にボールを調べていた笠松も動きを止めた。何より私が驚いていた。何を、私は何を。頬がカッと熱を持つ。「毎日共に活動する彼らは誤魔化せそうになかったから」「真実を明かすわけにはいかないから」…様々な言い訳が頭を巡る。


「お前、本当に黄瀬が好きだったの」


どうしていいかわからなかった。思考が完全に止まっていた。否定も肯定もしない私に、気が抜けたような森山が笑いかける。「黄瀬が一方的に好いているんだとばかり思ってたが、なんだ、両想いじゃないか」その言葉で、我に返った。違う。それだけは否定しなければ。


「私の、片想いです」
「いや、黄瀬お前のこと大好きだろ」
「違います。あの態度は芝居です。先輩もそう思ったでしょう、」


森山はしばらく顔をしかめていた。私の話が理解できないようだった。だがその表情も長くは持たない。ああ、と呟く彼はあの日のことを思い出したようだった。

私が過激派の女子グループに絡まれて、森山に助けてもらった日。私の腕を掴んでいた森山に、黄瀬は激しくくってかかった。それはまるで、嫉妬のようで。実際、発言にも独占欲が滲み出ていた。あの場にいた誰もが、黄瀬は妬いているのだと思ったことだろう。私のことが好きだから、他の男に渡したくないのだと。

だが、これらは全て黄瀬の芝居だ。モデルの仕事で磨いた仮面を、最大限利用した芝居。黄瀬の本心に、私に対する独占欲などない。仮にあったとしても、それはあくまで友人であるみょうじなまえへの所有欲だ。


「確かに何処か嘘っぽいとは感じたが、」
「嘘ですから」


森山はいま一つ納得できないようだった。笠松と小堀も、意味がわからないという表情で首を傾げている。そう、はじめは誰もがこうだ。黄瀬の仮面を見破れないのだ。だが、じきに彼らは気づくだろう。黄瀬が私に向ける笑顔に、ひと欠片の恋慕も含まれていないことに。


12.11.30