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「それにしても嫌な奴だったな…黄瀬…」
「ああ……」


汗ばんだシャツを脱ぎながら降旗は深い溜め息をつき、河原もそれに同調した。隣で福田も頷いている。

彼らは先日、チームメイトである火神が密かに女子生徒に人気があると知った。火神くんかっこいいよねー、見た目は怖いけど実は照れ屋で可愛いし!ときゃあきゃあ盛り上がる集団に出会って、三人は目と耳を疑った。火神の…どこが…?共通の疑問を持った三人はその日の練習中に火神を観察してみたのだが、さっぱり魅力がわからなかった。女子という生き物は見る目がねえなあと三人で笑いあった。

しかし。同じように、ただしまったく違うスケールで騒がれもてはやされる黄瀬の魅力には気づいた。気づかざるを得なかった。文句なしにイケメンの黄瀬涼太は、男の目から見てもきらきらと輝いていて、三人は開いた口が塞がらなかった。


「イケメンで……」
「モデルで……」
「バスケも上手くて……」
「彼女もいるとか……」


はああ、と三人は同時に溜め息をついた。どうしようもない、圧倒的な敗北だった。そして目の前で見せつけられた彼女とのいちゃつきが何とも腹立たしい。


「彼女って、みょうじさんのことですか」
「うわ!?」
「おま、いつからいたんだよ黒子!」
「ずっといました。それより、もしみょうじさんのことを言ってるなら彼女は彼女じゃないですよ」
「彼女は彼女じゃ…え?何?」
「みょうじさんは黄瀬くんの恋人じゃありません」


淡々と語られたその言葉に、三人はしばし固まった。よみがえるのは、人前だというのに堂々とみょうじに抱きつく黄瀬、みょうじは渡さないと黒子を牽制する黄瀬の姿だ。


「あれで彼女じゃないとは……」
「黄瀬の片想いだったとは……」
「あんなイケメンに片想いされるなんてどういう人だよみょうじさん……」
「あくまで拒み続けるとかすげえなみょうじさん……」
「一応言っておきますが、片想いしてるのはみょうじさんの方ですよ」
「……ん?」


冷静に続いた言葉に、三人は顔を見合わせた。ちょっと意味がわからない。さっきと同じ光景が、脳裏に浮かぶ。


「みょうじさんが、黄瀬を好き?」
「はい」
「黄瀬も、みょうじさんを好き?」
「はい」
「両想いじゃねーか!」
「はい。ただし、黄瀬くんのみょうじさんに対する感情はあくまで友情ですが」
「両想いじゃないじゃんか!って、えええ!?」
「ちょっと待てよ友情?友情って友情?」
「友情って友情です」
「黄瀬の奴、みょうじっちは渡さねーっスよキリッ!みたいなこと言ってなかったか?」
「ええ、大切な友人を渡したくないんでしょうね。"黒子っちください"と同じようなものですよ」
「ああなるほど、……ってえええ!?」
「思わず納得しちまったけど!」


ぎゃあぎゃあと騒ぎ続ける彼らとは対称的に、もう喋ることはないとばかりに黒子は着替えに戻る。ひとしきり騒ぎ終えた三人は、瞳を輝かせながら黒子に迫った。


「詳しく!」
「何が楽しいんですか、人の恋愛談聞いて……。いいですか、ボクも詳しくは知りませんが、」
「あ、話してくれるんだ」
「聞きたくないんですか?」
「聞きたいです!」
「……やっぱりやめときます、みょうじさんが気の毒なので」
「ここまでバラしといてよく言うよお前は」


黒子はいつも、自分の目から見た二人を冷静に考察していた。二人とも笑えるほどに不器用で、真っ直ぐだ。互いに相手を思いやり、だからこそ本音が告げられない。もっと狡猾に生きれば、話は簡単だろうに。

みょうじは、黄瀬の好意の意味を知っている。知っているからこそ受け入れず、かといってその好意の意味を黄瀬に気づかせることもしない。友愛でも恋心でも好意は好意、それを黄瀬から向けられなくなることを怖れているから。黄瀬は自分の気持ちが恋心だと思っているが、みょうじはそれが恋心の皮を被った友愛心であると信じて疑わない。黒子は二人の関係をそう見ていた。


「そう見ることに決めた、と言うべきですかね」
「ん?なんか言った?」
「いえ、一人言です」


黒子は久々に会ったみょうじが自分に向けた、わずかに不安の色を含んだ目を思い出していた。ひょっとして彼女は、未だにボクの言葉を気にしているのだろうか。



△▽



行きと違って酷く混雑した電車の中、扉と座席から作られる角に私を押し込んだ黄瀬は、他人に顔を見られるのが嫌だからと、ずっと外を見つめたままだった。周りが静かなので私たちだけ会話をするわけにもいかず、二人して押し黙っている。私の目線は黄瀬の肩にさえも届かなくて、背の高さをあらためて感じた。

無表情で立つ黄瀬は、波のように傾き押し寄せる人々から私を庇っていた。それだけじゃない。電車が揺れるたびに、私の手を握る黄瀬のそれに力がこもる。もう放していいよ、とは随分前に言ったのだけど、黄瀬は首を横に振るだけだった。

……好きだ。ときには強引なまでに私を導いてくれる黄瀬が好きだ。それでいて優しく包んでくれる黄瀬が好きだ。

恋心を自覚したのはいつのことだったか、はっきり記憶していない。兆しはあったのだと思う。必死に食らいついて汗を流してボールを追う黄瀬に、ゆっくり、自分でも気づけないほどゆっくりと惹かれていった。そしていつの間にか黄瀬に恋をしていて、私の目は黄瀬ばかりを追っていた。

黄瀬が私に好意を示すようになったのはいつのことだったか、これもまたはっきり覚えていない。気づけば黄瀬は、一緒にいたい、他の男に渡したくない、と照れもせず伝えてくるようになっていた。それを真に受けて胸を踊らせる暇もなく、私は真実を悟っていた。確かに黄瀬は私が好きなのだろう。だがそれは恋愛感情じゃない。黄瀬がどんなにそれを恋だと言っても、勘違い以外の何物でもないのだ。それを確信するだけの理由もある。きっと私が、そうさせてしまった。黄瀬が勘違いするよう、勘違いしているふりをするよう仕向けたのは私だ。

だが、律儀にそれを正す勇気なんて私にはなかった。自分の感情の、本当の意味に気づいた黄瀬が、私から離れてしまうのが怖い。ただその意味だけに囚われて私に縛りつけられてしまうのも怖い。離れるのも嫌、かといって縛りつけるのも嫌。どうすることもできずにさ迷い続ける卑怯者。

……なんて、こんなことを言ったら、黒子に「それこそ卑怯です」って叱られるんだろうな。縛りつけるのが嫌?馬鹿馬鹿しい。どうやっても私が黄瀬を縛りつけてしまうことなんて、海常に行くと決めた時点でわかりきっていたじゃないか。

手のひらから指先まで、今も変わらず温かい。ふと顔を上げると、どこか切なそうな黄瀬と目が合った。いつから私を見ていたのだろう。ねえ黄瀬、縛りつけるばかりでごめんね。


12.10.20