09

笠松はいつの間にか私をマネージャーとは呼ばず、みょうじと呼ぶようになっていた。私を毛嫌いしていた監督も、毎日の活動記録として部員のフリースロー決定率、ランニングタイム等をまとめて提出しているうちに私の行動に口を出さなくなり、いちいち絡んでくる黄瀬や森山にテーピングをしているところを見てからは他の部員に「マネージャーにやってもらえ」と指示するまでになった。部員一人一人の練習メニューと体重等の変異記録の管理を任されたときは、何を今更とひねくれた顔で引き受けたものの内心は喜びに震えていた。

私の仕事はかなり多くなり、その結果、部員の練習時間はぐんと増えた。忙しさに翻弄される毎日だが、それが楽しくてしょうがない。みんなの技術レベルが上がっていくのが目に見えてわかる。ただ一人、黄瀬を除いては。


「おいみょうじ!」
「怒鳴らなくても聞こえます、なんですか笠松先輩」
「黄瀬はなんであんなにやる気がねえんだ。バスケが嫌いなのか?」
「そんなこと私に聞かれても…。嫌いというか、楽しくないんでしょうね」
「そりゃ本気でやらねえと楽しくないだろ」


意味がわからんという顔の笠松になんと説明しようか、しばらく考えてみた。しかし上手い説明など思いつかない。私自身、理解しきれていないのだ。


「黄瀬は、」


開いたままの私の口から言葉が出ることはなかった。自分なりの見解は、ある。ただそれがこの人に言っていいものなのか、説明できるものなのか、わからなかった。私の中では今も、あの日の黄瀬が鮮やかだ。いっそあせてしまえばいいとさえ思える記憶。あの日の黄瀬を知っているのは私だけだろうし、他の人に伝えるつもりもなかった。


「……寂しいんだと思います」
「はあ?それがやる気にどう関係してんだよ」
「それより先輩、他に私に話すことがあったんじゃないですか?」
「あからさまな誤魔化し方すんな、バカ」
「見逃してくださいー」


笠松はケッと悪態をついて持っていたクリアファイルを開いた。露骨に嫌な顔をしつつも頼みを聞いてくれるこの人は本当に人がいいと思う。

今は部活終了後の自主練時間で、相変わらず一軍を中心に沢山の部員が残っている。一軍と言えば、私たち一年生の正式入部から一週間ほどで軍分けの試験が行われた。当然のごとく黄瀬は一軍、そしてレギュラーどころかスタメンの座を勝ち取った。しかし、「みょうじっちが残るなら」と言って今日もかろうじて自主練に参加しているものの、まるでやる気がないのが一目でわかる。それでも参加しないよりはましなので、笠松と監督の両方から私は必ず自主練に残るよう命令されている。言われなくてもそのつもりだ、……まあこの前はクラス会に出掛けたが。

足が痛いと訴える部員に処置をしていたとき、ステージ上で胡座をかく笠松に呼ばれたのだ。わざわざクリアファイルを持っていたことからして話は黄瀬のことだけではないだろうと予想したのだが、どうやら当たりだったらしい。


「うちに練習試合を申し込んできた学校のリストだ。こっちが県内、こっちが県外な」
「多いですね」
「帝光もこんなもんじゃねえの?」
「二、三軍には申し込みがあったと思いますが、一軍は全然でしたよ。公式戦では仕方なく戦うけど、わざわざ自分たちから絶望しに行くことはないだろう、って感じでした」
「帝光の話は聞けば聞くほど腹立つな……」
「すみません。で、このリストをどうしろと」
「この中からとりあえず四校選ぶんだが、どこがいいと思う?黄瀬のやる気を引き出せるようなとこにしてくれ」
「……無茶言わないでくださいよ」


なんてハイレベルな注文だ、と眉をひそめつつも二十近くある高校名に目を走らせる。県外の高校にはほとんど聞き覚えすらなかった。無名校ばかりのようだ。だがその知らぬ名ばかりのリストの一点で、私は視線を止めた。


「どうせなら東京の王者でも来てくれれば良かったんだけどよ、そう簡単に手の内見せてくれねーわな」
「そうですね……」
「あんま弱いとことやっても得るもんねえだろ」
「先輩、」
「あ?良いとこあったか?」
「ありました。もしかしたら黄瀬のやる気、引き出せるかもしれません」


まじかよとリストを覗き込む笠松に、私はその学校を指差して見せた。案の定笠松は顔をしかめる。知らねえな、どんなチームだ?と聞いてくる笠松に対し、溢れる笑みを抑えもせず答えた。


「だから、黄瀬のやる気を引き出してくれるかもしれないチームですって」


誠凛高校。幻のシックスマンと呼ばれる選手、黒子テツヤの入学した学校だ。最後に見た黒子の消えてしまいそうな笑みを思い出すと、どうしようもなく胸が苦しくなった。会うのが怖い、でも会いたい。そして黒子をきっかけに、また黄瀬が笑ってバスケをするようになれば良い。こんなことを言えば黒子はまた、私を卑怯だと笑うだろうか。


12.10.10