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「で、なんでなまえが俺の部屋にいるんだ」
「漫画返しに来ました」
「おっ、サンキュー。じゃあもう帰ろうか」
「………」
「はい!悪かった!俺が悪かった!そんな顔するな!」


別に変な顔はしていないつもりなのに、キャスさんはぶんぶんと手を振り回して私と一緒に部屋を出た。ラリオする?と首を傾げられて頷く。キャスさんと二人で階段を下りた。

あの人とペンギンさんは仕事に出ており、ベポはどこかに出かけたらしく、家にいない。二人きりのリビングでテレビの画面に向かい、黙々とゲームに挑む。


「……ペンギンさんに撫でられました」
「どこを!?」
「頭ですけど…」
「あっ、まあそうだよなァあああああああ」


キャスさんの操るムイージが、キャスさんの悲鳴とともに溶岩に飲み込まれて落ちていった。私は小さくあーあと呟く。画面の中で、ラリオは一人ぼっちになっていた。


「早く戻ってきてくださいよー」
「おう、すぐ行ってやるよ!迎えに来い!」
「そんな暇、ないん、で!」
「ちょっと!?」


風船に閉じ込められたムイージを飛び越えて行くと、ムイージとキャスさんが同時に叫び声を上げた。お前一人でできんのかよ!と失礼なことを言ってくる。

一人でできるかって?一人でこの溶岩だらけの道を歩いて行けるかって?


「できますよ、練習しましたから」
「おーおー。なまえもドヤ顔が上手くなったなあ」
「……褒めてませんよね?」



△▽



早々に私たちは飽きてしまい、リモコンを投げ出した。私の隣に座るキャスさんが、そういえば、と口を開く。


「ペンに撫でられたんだったな」
「そうです」
「よーしじゃあ俺も撫でてやるよ!ちょうど船長もいないし…な?」


キャスさんはびくびくと扉に目を走らせ、安心したように胸を撫で下ろすと私の頭に手を伸ばした。わしゃわしゃと、わざと髪を乱そうとしているとしか思えない撫で方をしてくる。もういいですと払いのけそうになった手を、私はそっと下ろした。

これで、ベポにも、あの人にも、ペンギンさんにも、キャスさんにも撫でられたことになる。一人一人撫で方が違って、私の心の動きも違った。キャスさんのは、なんというか……普通だ。昨日の朝、ペンギンさんに撫でられたときのような、どうしようもない寂しさは生まれない。


「キャスさんに触られたことは何回かありますから」
「えっ何その誤解を招きそうな発言…」
「いえ、普通に。肩組んだり、ラリオするときとか、ノリで」
「そうだったっけ?」


首を傾げながらキャスさんは手を引いた。なんとなく気恥ずかしく感じて、私はキャスさんから目を逸らす。「な、なんだよ」とわざとらしく戸惑ったふりをしながら、キャスさんもテレビの方を向いた。

ラリオとムイージが仲良く並ぶ画面を二人で見ながら、何をするわけでもなくぼーっとしていた。そのうちに、ちらちらとキャスさんがこちらをうかがっているのに気づいた。


「なんですか」
「いやそれ俺の台詞!」
「えっ」
「漫画返すためだけに来たわけじゃないんだろ?」
「……よくわかりましたね」
「なまえとも長い付き合いだからなあ」
「長かったですか?」
「言葉の綾だよ!あっという間に感じたさ、そりゃ」


キャスさんがまたリモコンに手を伸ばしたので、私も同じように手に取った。プレイに集中し、しばらく会話が途切れる。


「私にとってもあっという間でした」
「結構ラリオしたよなあ」
「素敵なプレゼントをありがとうございます」
「いいって。俺も楽しかったし」
「……楽しかったですか?」
「ああ。もちろん!」
「私といて、楽しかったですか?」


キャスさんが私の方を向いたのがわかった。目を離すと死にますよ、と忠告する。キャスさんは慌てて画面に目を戻し、それでも私に返事をくれた。


「当たり前だろ」


口の中でこっそりと歯を噛みしめた。ラリオは元気良く野原を駆けていく。ムイージがすぐ後ろを走って、ことあるごとにラリオを支えていた。


「キャスさんにしか聞けないことがあったから、部屋に行ったんです。聞くなら今しかないと思って」
「い、いきなり告白は、」
「違いますから」
「……ハイ」


一つのステージをクリアした。私はリモコンをテーブルに置く。キャスさんと真正面から向き合う度胸はなかった。顔だけ向けて、でも目は逸らしたままで、私は慎重に言葉を紡ぐ。


「私って、」
「おう」
「この家にとって、どういう存在でしたか」
「…おおう!?」
「キャスさんにとって、でもいいです」


私は急いで言った。あの人に最後の拒絶をされ、ペンギンさんと話をしてから丸一日が経った。その間、なるべく考えないようにしようと思っていたことに、結局頭を悩ませてしまった。そして、結論に至ったのだ。思い切って聞いてしまおうと。キャスさんになら聞けると思った。キャスさんにしか聞けないと思った、のほうが正しい。


「あっという間に時間が過ぎたんです。私には、凄く凄く短い夏に感じました。私は、ここの人たちに……凄く良くしてもらったから、私の中でこの夏の思い出は一生消えないと思うんです。そう考えたときに、みなさんの頭の中に残る私は…なんなのかなって。そもそも残るのかなって、思えてきて」
「馬鹿だなー、なまえは」


キャスさんは呆れたように笑って、私の顔を覗き込んだ。私が仰け反ると、酷いな!と大袈裟に残念がる。ごめんなさいと謝って、わたしはようやくキャスさんと目を合わせた。これまで何度も何度も合わせてきたそれは、いつもと変わらない優しい目をしていた。


「良くしてもらった、ってお前が思うなら、それはお前が好かれてた証拠だよ。だって、好かれてないと良くしてもらえないからな!?」
「……そうでしょうか」
「そうそう。それに、俺言ったじゃん。お前といて楽しかったって」
「はい」
「お前の存在ねー。うーん、難しいな。友達じゃないし、仲間でもないだろ?妹…もなんか近いけど違うって感じだなァ。あ、そんな落ち込んだ顔すんなよ!」


キャスさんは陽気に笑った。ここ数日の鬱々とした気分を吹き飛ばすような笑顔を見せて、キャスさんは私の心を溶かす。


「そんな重要かな?自分がどんな存在かって。俺は確かになまえのこと好きだったし、…あっゴメン今も好きだわ。えーと、好きだし、何回も言うけど一緒にいて楽しかったし、出会えて良かったと思ってるよ。それでいいじゃん?」


歯を見せて笑うキャスさんの笑い方が、ずっと好きだった。私はしばらく黙っていたが、まともに声が出せる状態になってから、小さく小さく声を絞り出した。ありがとう、と心からの感謝を込めて頭を下げると、キャスさんは「やっぱ妹かも!」っと湿っぽい声で笑った。


14.03.29