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「がっかり?」
「ああ。いつからそんな女に成り下がった?目的のために身体を安く売るようになった?思ってもいないことを言えるようになった?」
「そんな、」
「俺の呼び名もそうだ。ローローと軽々しく呼びやがって。俺が抱く女と同じことはしたくないとほざいたのはついこの前のことだと思ったが?」
「……私は」
「好きでもない男に好きだと言って、媚びた声で名前を呼んで、簡単に身体を差し出して、お前は俺の嫌いな女そのものなんだよ。出ていけ」


トラファルガー・ローは今や完全に私から身を引き、汚ならしいものでも見るように私を睨み付けていた。私は驚きのあまり口が利けない。呆然と彼を見上げる自分の顔は、さぞかし間抜けなことだろう。ゆっくり、ゆっくりとトラファルガー・ローの言葉を咀嚼する。考えれば考えるほど正論に思えた。確かに、今の私は私がもっとも身を落としたくなかった女とまったく同じことをしている。自覚した瞬間に、脳のどこかが悲鳴を上げた。


「違う」
「……」
「そんな言い方、しないで。私は本当に」
「黙れ」


温かく抱きしめてくれたあの熱も、優しい慰めの声も、もうこの人の中にはない。私が変えてしまったんだろう。私が、自分が嫌われるよう仕向けてしまったんだろう。それでも、それにしてもこの扱いは酷い。そんな解釈、あまりにも悲観的すぎるでしょう?私は確かにこの人が好きだ。それだけは信じて欲しい。好きでもない男だなんて、否定しないで。名前を呼ぶことだって、行為を受け入れることだって、この人が好きだからこそなのに。せめてそれだけはわかってよ。

しかしトラファルガー・ローは単調に、出ていけ、と繰り返した。わかってもらえない。この人はわかろうともしていない。私を拒絶している。出ていけ、出ていけ、と脳を占領する言葉が目を熱くする。その声に覆い被せるように自分も声を発した。


「嫌!嫌です、追い出さないで。あの家には帰りたくない。ここにいたい」
「出ていけ。この部屋からも、家からも。邪魔だ」
「嫌だ、」


唇が震え、熱くてたまらない目からは涙が零れた。なんて汚いんだろう。私のやり方は、汚い。自己嫌悪に頭痛が始まる。トラファルガー・ローの目には、下らない芝居をうっているように見えるのだろうか。自分がどうしようもないわがままを言っていることはわかっている。口を開くたびに自分の幼さを露呈させて、トラファルガー・ローを失望させている。そんなことはわかっている、それでも、やめられないのだ。

だって私はトラファルガー・ローの優しさを知っている。もうそれが私に向くことはなくなってしまったけれど、そうなったのはきっと私が原因だけれど、私の記憶に埋め込まれた彼の優しさがまた姿を現すことを期待して、私はまたすがりつく。伝わらない想いはどうすればいい?好意を好意として受け取ってもらえないなら、もう、その好意は圧し殺すしかない?……圧し殺す?またふりだしに戻るの?目的が手段と混ざってぐちゃぐちゃになって、自分が欲しいものがわからなくなってきた。鈍くて重い痛みを発する脳裏に浮かぶのは、父やクザン、サカズキにボルサリーノの顔だ。…ああ、名前で呼んでしまった。記憶の中の感情のない目が、私を見下ろす。嫌だ。またか。また私は、こうやって。


「捨てないで」
「……」
「捨てないでください」
「……」
「あなたにまで捨てられたら、もう、私は、」


トラファルガー・ローの袖を掴んですすり泣いた。彼の手が私に回ることはなかったけれど、もうそんなの、慣れている。私への態度が唐突に変わってしまうこと。前日までは確かにあった笑顔が消えてしまうこと。全部全部、私が悪いのだろう。私が私でなければ、最後まで愛してもらえたのだろう。

もう、諦めなきゃ?

大丈夫、この家を出てあそこへ戻ったって、前と同じ生活に戻る、ただそれだけだ。どうせ消えてなくなるなら、この一ヶ月なんて、なければ良かった。思い出して恋しくなる逃げ場なんて、二度と戻ることのできない逃げ場なんて、作るべきではなかったのだ。



△▽



意味もなく握り続けていた袖からようやく手を放すことができた。しわくちゃになったそこは当分戻りそうにない。石のように固まったままのトラファルガー・ローを目に焼きつけて、私は一人ベッドを下りた。顔洗ってきますね、と扉に向かって呟く声は、もう濡れてなんかいない。

とうに涙は出尽くしてしまった。もう一生流れないのではという気さえしてくる。これで良かったのだと思う。この家を出ることが、ベポやペンギンさんやキャスさんと別れることがどんなに辛くても、家で私を待っているであろう孤独にどれほど苦しめられようと、私は泣かない。すでに一生分泣いた、一生を嘆いた。もう十分だ。

単色の遮光カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいた。私はトラファルガー・ローの部屋を、出た。


13.02.28