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本当に行く宛なんてなかったらしい。トラファルガー・ローはさっさと駐車スペースに車を止め、沢山の店が立ち並ぶショッピングモールを歩き始めた。家出した次の日、必需品を買い揃えに来たモールだ。店を見るわけでも、入るわけでもない。なんでここに来たんだろうという疑問と、前に来たときの記憶が頭をかすめる。どうするわけにもいかない私はただ必死で、前を歩く男についていくだけだ。………ねえ、なんか速くないですか。トラファルガー・ローはとにかく歩くのが速かった。足の長さを最大限生かしたこの歩き方に、私はだんだん苛々してくる。何なの、目的もなく連れ出して、ほとんどほったらかしにして、本当になんなの。

心の中で悪態をつきながら進むうちに、よりによって怖そうな男の人にぶつかってしまった。というより、ぶつかられたという方が正しい。よろめいたのは私なのに、謝れとばかりに鋭く睨みつけてくる。


「………ごめんなさい」
「チッ、気をつけろよ」


そして男はまたわざとらしく私にぶつかって、去っていこうとした。情けないことに再度よろめいてしまう私。ぐっと唇を噛んで噴き出しそうな文句を留めた。なんでこんな目に遭わなくちゃいけないの。トラファルガー・ローはいなくなっちゃった、し、


「謝れ」
「………は?」
「そいつに謝れって言ってんだよ何度も言わせんな」
「おいおい誰に向かって口聞いてんだ?」
「お前だよそれ以外いねえだろ馬鹿かてめえ」
「……この隈野郎!」


ちょっとちょっとちょっと?姿が見えなかったからどうせ私を置いていってしまったんだろうと思っていたトラファルガー・ローは、何故かすぐ近くで今にも喧嘩を繰り広げようとしていた。この前シャチさんに借りた漫画に、全く同じ場面が出てきた。あの漫画ではトラファルガー・ローの役割の男がずいぶん格好良く思えてシチュエーションにときめいたものだけど、実際に目の前で同じことをされるとただの迷惑だ。私がせっかく怒りを圧し殺して頭を下げたっていうのに、なんでわざわざ喧嘩ふっかけてるの?


「あの、いいんで」
「良くねえよ」
「本当にいいんで。もう行きましょう」


トラファルガー・ローの服を掴んで引っ張る。なんとなく肌には触れたくなかった。


「気の短い彼氏を持つと苦労するな」


後ろからの嘲るような声を耳にして、私はぴたりと足を止めた。こいつも色々と腹の立つ男だけど、今の発言が一番許せない。もういいと言ったのは私なのに、これ以上関わりたくないはずなのに、それでも、一言言ってやらなくちゃ気がすまない。私は拳を握りしめて口を開いた。トラファルガー・ローのパーカーに皺がよってしまったけど、そんなことを気にしている余裕はなく、震える唇は止まろうとしない。


「私の彼氏じゃありません。それに、」


大きく息を吸い込む。馬鹿みたい、私。なんでこんな人のためにムキになってるんだろう。この男の言う通り、トラファルガー・ローは短気だ。それはもう腹が立つくらい。でも、でもね、


「あなたの方がよっぽど短気だと思います」


思わず言い返してしまえば、やはり短気らしいその男は勢いよく私に手を伸ばした。顔を殴ろうとしたのか、胸倉を掴み上げようとしたのか、はたまた髪でも引き抜こうとしたのか。結局それはわからずじまいだった。何故なら、伸びてきた手を横から包み込んだトラファルガー・ローがどうやら関節をはずしたらしいからだ。ポキッという音、数秒遅れての痛々しい悲鳴。そのときには私はトラファルガー・ローに手を引かれて人混みのなかに紛れ込んでいた。


「………放してください」


トラファルガー・ローは答えない。私は声を大きくした。


「放してください」


力を込めて手を引いてみても、抜けない。私は引きずられるように小走りになっていた。


「放してってば!」


思い切り振り払う。振り返ったその顔を見て、私は一瞬たじろいた。なんでそんな、動揺した顔をするの。悲しげな顔をするの。トラファルガー・ローのくせに、そんな顔、らしくないじゃない?何故か罪悪感を持ってしまった私の口からは、言い訳めいた言葉が飛び出す。酷い、言い訳。でもそれが私の本心。


「だって、その手で昨日何をしたんですか」
「………は?」
「その手で、女の人と何をしたのかって聞いてるんです」
「何って、」
「その人だけ、触ってればいいじゃないですか。その手で、………その手で私を触らないで。触られたくない」


自分の気持ちを説明する上手い言葉も見つからないまま、上っ面の想いだけ早口で言い切って私はぐっと歯を食いしばった。殴られるかもしれないと次にくる痛みを覚悟して俯く。だが、いつまでもそんなものはやってこなかった。目の前には間違いなくトラファルガー・ローが立っていることが、視界に入る靴でわかる。どうしよう、と今更ながらわからなくなった。顔が上げられない。目を合わせるのが怖い。

トラファルガー・ローがそういう人間だということはわかっていた。わかっていながら、これまで接してきた。私に差しのべてくれた手は温かかったし、私を導いてくれる手は頼もしかった。私を抱きしめてくれた腕は優しかったし、私が抱きしめた身体は、………身体は。

私からあの人を抱きしめることだって、できたのに。今はそれができない。触れられたくない、触れたくない。他の女を抱いた手で、私を触って欲しくない。大した価値もない優しさを振り撒くのはやめて欲しい。他の女にだって同じように接してるくせにと、どうしても考えてしまう。そんな自分が嫌だった。なんて醜い感情。これじゃあまるで、妬いているみたい。まるで私がトラファルガー・ローを、


「あれ?ローだ」


ふいに声をかけられて、私たちはぎくしゃくとその声のした方に顔を向けた。どうしようもない気まずさから逃れようとした。それなのに、更なる衝撃が私にのしかかる。そこにいたのは女だった。しかも、しかも、


「昨日は楽しかったよ、ありがとね」


ほんの数時間前にトラファルガー・ローに抱かれた女だ。


11.12.08