41 女にキスしてから二日経って、女は全く俺と関わらなくなっていた。話しかけてこないのはいつも通りだが、何かが違う。俺の視界に入らないように、そして俺を自分の視界に入れないようにしているのではないか。そんなことさえ考えてしまう。まるで反比例のように増えていくのは、女がペンと過ごす時間だ。シャチやベポと仲が良いのは前からだったが、ペンとはここまで親しかったか?これまで俺と言い争いをしていた時間を埋めるように、女はペンの隣にいた。 そんなに悪いことをしたか?そこまで?俺はただキスをしただけだ。舌を入れたわけでもなく、ただの触れるだけのキスだった。胸を揉んだわけでもない。何が悪い?キスくらいしたことあるだろ?そう自分を正当化しつつ、女とキスした相手のことを考えては何故か悶々とした苦さを感じた。それにあいつは家出した日、会ったばかりの男とやろうとしていた。俺のキスだって拒もうとしなかった。それなのにどうして今は、あんな顔をするんだよ。 相変わらず消えない苛々のなか俺は仕事に出かけた。今日は俺一人で片付けられる、単純な手術だった。予定よりずいぶん早く片付き、俺はさっさと車に乗り込む。家までもう少しというところで、一件の電話がかかってきた。相手は以前手術した男。検査の日程を決めたいという話だった。俺に依頼してくる奴等は全員、正規の医者には見せられない傷を抱えた人間だ。銃弾なんかを抜くときは正規の医者では警察が絡んできて色々面倒だから、俺のような闇医者にすがることになる。かなり危ない、というよりそもそも法律違反のこの職業だが、稼げることは間違いない。客はヤクザがほとんどだからな。 俺は後でかけ直すと言い電話を切った。スケジュールやこれまでのカルテはすべてペンギンが管理していて、俺だけで対応すると後から困るのは目に見えている。家に帰ってペンに相談しなくてはならない。 ドアを開けて玄関に入ると、そこにあるのは二人分の靴。ペンと女だ。俺はその靴をしばらく見つめていた。リビングからは何の物音も聞こえてこない。静けさに押されて俺も静かに靴をぬぎ、自分の家だというのに何故か気を使って上がり込んだ。取り敢えずペンに電話の客のことを伝えて、あとのことはすべて任せてしまおう。リビングへ通じるドアを開くが、そこには誰もいなかった。靴はあるし、リビングにいないなら部屋だろうと見当をつけて足を向けた。廊下に俺の足音だけが響く。……そういえば、あいつもリビングにいなかったな。ふと女の居場所を考えつつ、俺はドアノブに手をかけた。 「おいペン、この前の」 目に飛び込んできたのは、ベッドに横たわる女とその身体に覆い被さるペン。ペンの腕を、何かを訴えるように包む女の手。女の潤んだ瞳と、ペンの焦りを含んだ目が、確かに、合わさっている。見つめ合って、求め合って、いる。 その場のすべてが、凍りついた。 気づけば俺は闇の中にいた。目をしばたいている実感はあるのに、全く変わらないこの闇。手を伸ばしてみてもそこには何もなく、虚しく空を掻くだけだった。だが次の瞬間沈黙を破る固い音に気づき、ああそうか、と息を吐き出した。 「キャプテン、寝てるの?」 「いや、今起きた」 「良かった。ペンギンがね、夕飯だよって」 「わかった。一緒に下りるか」 「ううん、おれなまえを起こしにいかなくちゃ。なまえも部屋で寝てるみたいだから」 大きな足音が遠ざかっていく。俺はようやく身体を起こした。いつの間にか部屋で眠っていたらしい。ベポのノックで起こされたというわけだ。首を捻るとポキンと軽い音がした。ベッドを出て階段を下りる。すでに食卓についているペンとシャチは、いつもと変わらない様子だ。俺が席についてしばらくしてから、女とベポがリビングに入ってきた。女は本当に眠っていたのだろう、髪にはそれらしき跡がつき、目はだるそうに細められていた。 「ペンギンさん、あの、すみませんでした」 「………いや、気にするな。痛むか?」 「動かせば、少し。でも大したことないんで」 弱々しく微笑む女。無理矢理頭から追い出していたはずの、さっきの出来事が甦る。あの後どうなったかなんて、わかりきったことを考えてしまう自分がいる。どうせやったんだろ。やって果てて意識飛ばしたんだろ。ペンに部屋まで運んでもらったんだろ。今痛んでるのは腰だろ。どろどろの感情が溢れ出す。だが女はそんな俺に目もくれず、お待たせしてすみませんと言いながら席についた。静かな夕食が始まった。 11.11.13 |