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何杯目かわからない酒をまた煽った。はじめの一杯は女が注いだものだったが、そのあとは一人注いでは飲み注いでは飲み。俺を気遣うような仕草を見せていたシャチも、今はゲームに熱中している。


「もちろんキャスさんもかっこいいですけど。それは前から知ってましたし」


カキンと鋭い音。何の音かと思ってみれば、俺の手によって叩きつけられたグラスが割れる音だった。このグラス、気に入っていたのに。俺の近くでビールを飲んでいたバンが立ち上がった。同時に、ペンが俺のグラスを交換する。手際のいい奴等め。それがまた腹立たしい。

怯え顔のシャチが振り返り、俺を窺う。つられて振り向いた女は、クルーたちを見渡して笑顔になった。新たなビールを取りに向かう。一人一人の前に膝をつき、丁寧に丁寧に注いでゆく。俺からは背中しか見えねえが、どうせ気持ち悪い笑みでも浮かべてるんだろ。俺はペンの注いだ酒を一気に飲み干した。そのうちに女は寝ることにしたらしい。部屋を出ていくときに、クルーたちから名残惜しそうな声が上がった。嬉しそうにほころぶ女の顔。




すっかり酔ったクルー。はじまるのはいつも通り、下品な話だ。うちのクルーに品なんてないからな。だがその"話"は、いつの間にかいつもとは違う方向に傾いていく。


「てかさ、なまえって可愛いよな」
「ああ、俺も思ってた!不思議だよなー、そんなに美人ってわけでもないのになんかめちゃくちゃ可愛く思える。年下だからか?」
「いややっぱさ、俺ら女に飢えてんだよ絶対。最近俺やってねえもん」
「あ、さっきさ、なまえがビール注いでくれたとき。妙にムラムラしなかったか?」
「した!妙にした!多分ちらっと見えかけてた谷間が原因じゃ…」
「いや、酒勧めたときの断り方だろ。困った顔しちゃってさ、あーいうの見ると泣かせたくなるよな」


わかっている。この会話が酔った勢いからくるものだということは。男なら誰しもそういう感情を抱くわけだし、それでも普段は表に出さずに留めておける奴等だ。今は酔っているから仕方がない。そう思おうとしても、溢れ出す怒りは止まらなかった。苛々と酒を煽ったが、酔いは全く回ってこない。この場はペンに任せて部屋にこもることで、なんとかこの感情を抑えようとした。




よりによって階段で女に会ってしまった。露骨に嫌そうな顔をする女。髪は僅かに湿っており、頬は赤かった。風呂から上がって、今にも寝ますという格好だ。言葉が自然に口を突いて出た。


「連れてけ」


ぶつぶつと文句を言いつつ、女は俺の腕に手を添える。風呂で温まったそれは俺には熱すぎた。俺のなかでぐらりと何かが揺れる。階段の途中で、さりげなく背中に手が回った。何考えてんだこいつ。俺の頭に浮かぶのは、シャチが怪我をした夜のこと。あのときもこいつは温かかった。


「なんだか介護してるみたいですねおじいちゃん」


パチンとあの夜の回想が消えた。ああこいつうぜえ。突き落としてやろうか。そう思っているうちに俺たちは階段を上りきった。俺よりかなり背の低い女の頭が、ちょうど俺の肩の位置にあった。髪からほんのりと漂う香りは、俺が買ってやったシャンプーのものだろう。小さな優越感が湧いた俺を突き落とすのは、そのまま目線を下げたために目に入ってしまった薄いピンクの生地。


「その服、ペンギンの、」
「そうですよ。ペンギンさんからのプレゼントです。可愛いですよね、ペンギンさんってほんとに趣味いい」


消えかけていた苛々が復活する。ぐつぐつと怒りが煮え立ち始めた。そうだよな、遊び半分で与えた俺のTシャツなんかより、こっちのほうがいいに決まっている。確かに趣味のいい服だ。女の趣味や、雰囲気を理解した上で選んだのだろう。女によく似合っていた。だからこそ腹が立つんだ。


「似合ってねえ」
「え?」
「似合ってねえよ、全然」


わざわざ二回繰り返した。女は何も言わない。部屋に着けば無言で俺をベッドに押し出した。ようやく口を開いたかと思えば、おやすみなさい、の一言だった。なんだよ、なんなんだよその態度。俺がどう思おうが、どうでもいいのかよ。

待てよ、と呼び止めて、部屋を出ようとする女の手を掴む。強引に引けば振り向いたその身体を包み込むように腰に手を回し、反対の手で顎をくいっと引き上げた。噛みつくように唇を奪う。

ふにゃりと柔らかい感触に、一瞬で頭が痺れた。重ねるだけで、驚かせるだけでいいと思っていたはずなのに、頭はそれ以上のものを要求していた。触れたい。もっともっと、こいつに触れたい。身体がカッと熱を持ち、止められそうにない激しい感情が沸き上がった。




だが俺が動く前に、女が動いた。だらりと垂れていた腕に力がこもり、俺を押した。なんて弱い力。どうにでもできると思った。逆に押さえつけて、ベッドにでも床にでも押し倒して、忌々しいこの服を剥ぎ取って、純粋で綺麗なこの身体をぐちゃぐちゃにしてやりたい。俺にはそれができる。

だが俺は大人しく、押されるままにベッドに倒れ込んだ。女は部屋を出ていく。テンポの速い足音に、ドアの音。どうやら部屋に閉じこもったらしい。俺はそっと目を閉じた。

キスしたあとの女の表情が、頭を離れない。驚きに目を見開いて、……泣きそうで。どうして、あんな顔をした?どうして泣く?そんなに嫌だったのか?頭のなかを回るのはあの女のことばかりで。俺はきつく目を閉じて、すべてを追い出そうと歯を食いしばった。




次の日、俺の前に立って口を開いては閉じる女の横を、俺は黙って通り過ぎた。その口からどんな言葉が出てくるかわからなかった。非難されるのを恐れた。夜になってとうとう痺れを切らしたのか、消え入りそうな声で女は言った。あの、昨日のこともしかして…?俺は小さく首を傾げた。無表情で言葉を紡ぐ。


「何かあったか?酔っててよく覚えてねえ」


11.11.03