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ローとなまえの様子がおかしい。

もともと仲睦まじいというわけではなかったが、今ではあからさまになまえがローを避けているのだ。それに対して、ローは特に何か言うこともなく平然としている。二人の間にどんな出来事があったのか、俺にはわからない。少し気になりはしたが、俺が介入するとおそらくローの機嫌を損ねるだろう。そう考えて、俺は何も気づいていないかのように二人に接した。


△▽


俺が夕飯の準備をしていると、二階からなまえが下りてきた。リビングを見渡して、首を傾げている。


「もしかして、ペンギンさん以外みんな出かけてるんですか?」
「ああ」
「そっか……、キャスさんかベポとラリオやろうと思ってたのに」


これが原因の一つかもしれない、と思った。シャチからのプレゼントをかなり気に入ったらしいなまえは、暇を見つけてはシャチと遊んでいるのだ。ラリオを二人でプレイするには協力が必要らしく、息を合わせて頑張っている。おそらくその、息を合わせて、がローには癪なのだ。しかしそれが、なまえがローを避ける理由というのはおかしい。逆ならともかく。


「料理、手伝いますよ」
「いや、大丈夫だ」
「でも暇なので」
「一人でラリオしていたらいいだろう」
「…………」
「じゃあ、人参切ってくれるか」
「はい」


寂しげな顔をされたので仕方なく頼むと、なまえは目を輝かせた。エプロン取ってきます!と駆け出す。その動作や行動は、正直子供っぽいと思う。まだまだ青臭い。ローがこんな子供のどこに魅力を感じているかわからないが、なまえに和まされている自分がいるのも事実だ。


「終わりました」
「じゃあ次キャベツ」
「了解です」


さくさくと作業を進めていくなまえ。毎日手伝いをしているから、ずいぶん上手くなった。まあその毎日の手伝いも、ローをいらいらさせているのだろう。並んでキッチンに立っていると、よくじとりとした視線を向けられる。本人に自覚があるのかはわからないが。


「あの、トラファルガーさんって……」
「船長がどうかしたか?」
「私の名前知ってるんでしょうか」


思わぬ質問に驚く。当然知っているだろう。俺やシャチ、ベポが"なまえ"と名を呼ぶのを、不機嫌そうに聞いていたんだから。


「知っている、だろうな」
「………でも私、一度も名前呼ばれたことないんです」
「ああ」


なんと言っていいかわからなかった。それはただ単に意地を張っているだけだろう。しかしそう言ったところで、なまえは理解できるだろうか。ローの思考はひねくれていて、俺もよく理解できないのに。だが、昔の女と比べるとなまえの名前を覚えているだけ凄い進歩だと思う。やはりなまえは別格だ。


「あいつ、普段は女の名前なんて呼ばないどころか覚えないんだ」
「そうなんですか?」
「女をただの道具としか思っていなかったからな。性欲処理の」
「性欲処理……」


なまえが険しい顔で俯く。しばらくして、静かに口を開いた。


「私のことも、そう思ってるんですかね」
「……いや、それはないだろう」
「私がまだ子供で、道具にもならないってことですか?」
「そうは言ってない。どうしてそうなるんだ」
「だって、それならどうして、」


激しい口調で何かを言いかけたなまえだったが、ハッとしたように口を閉じた。俺が続きを促しても、目を泳がせるばかりだ。その表情が苦々しく歪んでいくのを見て、俺はとうとう聞いてしまった。


「何かあったのか、船長と」
「別に何も」
「………即答か。それなら、どうしてそんなに怒ってんだ」
「怒ってませんよ。呆れてるんです」
「何に」


しかしなまえは答えない。………さっき、なまえは何と言った?自分が性欲処理の道具だとか、まだ子供だとか。つまりそれは、それは、

ついにローが手を出したか。

遅いくらいだ、と俺は思った。同じ家に住んで、わざとらしく薄着をさせて、毎晩毎晩夜中まで一緒に過ごし。そんな状況で、よくこれまで無事でいられたものだ。しかし、自分は処女だとなまえは言っていた。はじめてが合意なしとは、可哀想に。それとも、合意の上で、か?


「なんか全然違うこと考えてませんか…?」
「船長とやったんじゃないのか」
「や っ て ま せ ん よ」


すごい目で睨まれた。無意識だろうが、包丁を向けるのはやめてほしい。キスされただけです、と吐くように言われて、俺はああ、と頷いた。………キス?


「この前バンダナさんたちが飲みにきたとき、あの人が珍しく酔ってて。部屋に連れてけとか我が儘言うから、仕方なく連れていってあげたんです」
「船長が、酔う?」
「はい、どうせ酔った勢いなんでしょうね。そこでキスされました」


ローが酔ったところなんて、見たことがない。全く自慢できる話ではないが、あいつや俺は成人前から酒を飲んできた。あいつとも酒とも長い付き合いになるが、それでも酔う姿なんて見たことがないのだ。そのローが酔ったとは………、わざとらしい演技に出たわけだ。あの日はなまえとシャチがいつも以上に仲良くしていたし、なまえはクルーたちに酌をして回っていた。ローとしては、苛々したことだろう。その感情の意味に、あいつが気づいているかはわからないが。なにしろまともな恋愛さえしたことのないあのローだ。


「別に私じゃなくても良かったんでしょうけど」
「そんなことはないと思うぞ」
「いいえ、女なら誰でも良かったんですよ。だってあの人、私にキスしたこと覚えてなかったんですから」


俺はため息をついて、ローの不器用さを憐れんだ。忘れるわけがない。誰でもいいなんて、今のローにはあり得ない。もし本当に誰でもいいなら、まだ女遊びを続けているはずだ。ローの不器用さと、なまえの鈍さから二人はすれ違っているように思える。いや、なまえは鈍感じゃないのか?ローの気持ちに薄々気づいて、期待していたからこそ、その後のローの態度に腹を立てているのか?


「キスするの、はじめてだったのに」


ぽつりとなまえの口から零れた言葉に、俺は何も言えなくなった。そうか、そもそもキスが原因か。


11.10.31