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「なまえちゃーん!缶!缶持ってきて!」
「えっと、もう缶ないんですけど」
「じゃあグラスでいい!」
「わかりました」


新しいグラスをバンダナさんの手に握らせ、こぽこぽとビールを注ぐ。はじめは溢してばかりだった酌も、今では上達した。泡が出ても溢れない、ギリギリのラインで止める。


「ありがとうなまえちゃん!次、こいつに注いでやって」
「いやいやいや!俺はいいから!」
「なんでだよシャチー」
「うわっまとわりつくな!」


何だかんだ言って仲良さ気な二人を微笑ましく思う。私がにこにことその場に留まっていると、ペンギンさんがやって来た。そろそろ寝たほうがいい、と言われる。時計を見れば、日付が変わっていた。楽しい時間というのは、驚くほど速く流れていってしまう。


「じゃあ、お先に失礼します」


私がリビングを出ようとすると、名残惜しそうな声が上がって嬉しくなった。みんなに慕ってもらえるって、すごく幸せだと思う。


△▽


風呂から出て、歯磨きも終えて、あとは寝るだけ。階段を上ろうと足を向けた先で、トラファルガー・ローに鉢合わせしてしまった。さっきまでリビングで飲んでたくせに、どうしてこのタイミングで。


「連れてけ」
「……はい?」
「俺の部屋」
「なんで私が、」
「うるせえこっちは酔ってんだ」


ここまで歩いてきたくせに……、と呟きながら、トラファルガー・ローの腕をそっと持つ。連れてけって、どうやって?まさか背負ってとかじゃないよね?一歩一歩階段を上れば、トラファルガー・ローはふらふらしていた。どうしよう、本当に酔っているみたいだ。階段から落ちるのではと心配になって、背中に手を回した。なんだか介護してるみたいですねおじいちゃん、と口にすると、不満気な声を上げられた。階段を上りきって、ほっと一息。


「なあ」
「なんですか」
「その服、ペンギンの、」
「そうですよ。ペンギンさんからのプレゼントです。可愛いですよね、ペンギンさんってほんとに趣味いい」
「…………似合ってねえ」
「え?」
「似合ってねえよ、全然」


がチャリと扉を開く。はじめて入るトラファルガー・ローの部屋は、私の部屋とは比べ物にならないくらいの広さだった。トラファルガー・ローの身長に合った、大きなベッド。そこにぐっと押し出した。倒れ込む身体。なんだか信じられない。この人がこんなに酔うなんて。


「おやすみなさい」
「………待てよ、」


目の前にある顔に、私は自分の置かれた状況が理解できなかった。……何?何?何これ?腕に力を込めれば唇から離れる温かいそれに、今起こったことを再確認する。私、トラファルガー・ローと、キスした。

何も考えられないままに、私は部屋を出てドアを閉めた。大股で歩いて自分の部屋へ。馴れたベッドにダイブする。

今のは、本当に、キスだった?

混乱する頭で、ぺろりと唇を舐めてみれば酒の味がした。そういえばトラファルガー・ローに注いだ少し高そうな酒は、こんな香りだったような。

なんでなんでなんでなんで。なんであの人は私にキスしたの?酔ってたから?酔って、誰かにキスしたくなったから?誰でも良かったの?女なら、誰でも良かったの?私がこの家にいる、唯一の女だったから?だから私にキスしたの?

似合ってねえ、という声が頭のなかをぐるぐると回る。スルーしたけど、本当は傷ついていた。わかってる、こんなに可愛い服、私に似合わないことくらい。だけど平気であんなことを言ってしまうなんて酷い。ワンピースが似合うって言ってくれたのも嘘で、喜ぶ私を見て嘲笑いたかっただけなのかも。そんな気さえしてきた。

あの人とは誕生日の一件で打ち解けたような気がしていたけど、すべて私の思い込み。そうだよね、私はあの人の大事な大事なベポを取ってしまっているし、生活費も搾り取るし、何のお礼もできないし。トラファルガー・ローは私が嫌いなんだ。そう考えていた矢先のキスだった。

ファーストキスだった。

はじめてのキスが酒の味って。相手があの人って。付き合ってもいないのに。はじめてのキスが、気持ちも何もないキスだなんて。悲しむ反面、不思議な感情が私のなかにあった。

私、喜んでる……?

それに気づいてしまったらどうしようもなくて、何も考えたくなくなって、そもそも何も考えられなくなって、私はぎゅっと目を閉じた。ねえ、どうして私にキスしたの?




最悪だったのは、

次の日トラファルガー・ローが、自分の行動を覚えていなかったこと。本当に誰でも良かったんだね、と私は静かに笑った。


11.10.22