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「どうかした?」
「あ、いえ」


野菜を買って、肉を買って、そろそろカゴが重くなってきた頃。なまえは私も持ちます、なんて言ってきたが、冗談じゃない。またさっきのようなやり取りを繰り返し、今回は俺の勝利となった。つまり、すべてのカゴは俺の手の内にある。……おお、この表現もいいな。

そんなことを考えながらなまえと並んで歩いていたのだが、ふとなまえの視線が一点に絞られていることに気づいた。それで声をかけたのだ。
その視線の先にあったのは、菓子売り場。ひょっとして、ベポに買って帰ろうと思ってるのかな。そういえばベポは菓子で餌付けされたようなものだし。


「ベポに買うか?」
「…はい」


なんとなく歯切れの悪いなまえに違和感を覚えつつも、俺はなまえと共に菓子売り場へ向かう。どれがいい、と聞けば、妙に顔色の悪いなまえがひとつのチョコを取り上げた。昭和製菓のチョコレート。…あれ?


「いいのか、それで」
「私はいいと思うんですけど…。駄目ですか?」
「いや、お前がいつもベポにやってた菓子、全部みょうじ製菓の商品だったから」
「ああ」


頷くなまえの顔色は、さっきよりも悪くなっている。それに、態度もおかしい。まさか、具合が悪いんじゃないのか。いよいよ心配になって声をかけようとしたとき、やっと気づいた。顔色が悪いんじゃない。表情がなくなっているんだ。

その姿は、船長がはじめに連れてきたときと全く同じと言ってもよかった。可愛くない、その顔。色のない瞳。一体どうしたんだ?


「なまえ、」
「ごめんなさいトイレ行ってきてもいいですか?」
「お、おう」


目を伏せて駆け出したなまえの後ろ姿を目で追う。なんだ、トイレに行きたかったから無表情だったのか。なんだ、なーんだ。気が抜けてしまった俺は、ため息をつきつつ辺りの菓子を見回した。

ほとんどの菓子がみょうじ製菓と昭和製菓のものだ。ちなみに俺はみょうじ製菓の方が好き。よし、他の菓子も買おう……そう思って手を伸ばしたとき、太い声で呼びかけられた。その相手を見て、驚いた。


「ジャンバールさん…!?」
「久しぶりだな、シャチ」
「うおーっ、すっかり社会人っすね!」


興奮のあまり声をあげてしまう。ジャンバールさんは元ハートクルー。入った時期は遅く、俺の先輩でも何でもないのだが、威厳ある雰囲気と年齢差から敬語を使っている俺である。

元、というからには当然、今はハートクルーではない。抜けたのは去年だったか。大学を卒業して一年後、沢山の就職活動を経てやっとどこかの企業に就職したそうだ。そこではなんと、出世、出世、出世の連続。二年経てばかなりいい立場まで上り詰めていた。この話を聞いたとき、俺はハートでのジャンバールさんと同じだ、と思った。ジャンバールさんはハートの中でもどんどん立ち位置を変えていき、船長にもクルーにも信頼される幹部になった。当時の幹部は俺ではなくジャンバールさんだったのだ。

だが、ジャンバールさんは脱会を申し出た。理由は会社のこと、年齢のこと、それから結婚のことだった。その時点ですでに27だったか28だったか、結構な年になっていたジャンバールさん。仕方がないだろう。船長も、お前がいなくなると戦力が落ちるな、なんて言いつつ脱会を認めた。結婚式にはクルー全員が呼ばれたが、なにしろ柄が悪い俺たちなので、迷惑をかけるだろうと思い行かなかった。実はジャンバールさんとはそれきりである。


「なあ、最近船長はどうしてる?」
「どうしてるも何も…いつもと変わりませんよ」
「いや、表側で仕事を始めたのかと思って」
「いえいえ、まだまだ裏っすよ。今日もたぶん、ヤーさん辺りの治療に行ってるんじゃないすかねえ」
「そうか…」
「なんでそんなことを?」
「ああ、意外な人物といるのを見かけてな」


意外な人物。なまえのことだろう。確かに船長がなまえを気に入ったのは意外だ。いつもはもっと色気のあって、化粧の濃い女としかつるまないのに、あんな清純派みたいな女子高生になあ。


「それならきっと、」
「その人は女なんだが、俺の見間違いじゃなければあれは社長令嬢だったんだよ」
「は…?社長令嬢…?」
「ああ、俺の勤めてる会社の社長だよ。たまにある社内パーティーで、綺麗なドレス着て座ってるのを見てたから、間違いないと思うんだが」
「へえ…」


社長令嬢に手を出すなんて、船長いつの間に。なまえがいるってのに、やっぱり本性は女たらしか。で、なんでジャンバールさんはそれを意外な人物だと言っているんだ?確かに社長令嬢なんて雲の上の存在だけど、よく考えると船長だって本来雲の上の存在だし。暇潰しに街に出てきた二人が出会ってそのままベッドイン!とかそういうパターンだろう。
うんうんと一人納得していた俺は、いつの間にか話がおかしな方向に進んで行っていることに気づく。今、なんて言った?


「その娘さんな、まだ高校生なんだよ」
「…へえ」
「社長…つまり父親にかなり縛られててな、どこへ行くにもボディガードが着いてきたり、とにかく今時珍しいほど不自由な子なんだよ。これは上司から聞いた噂だけど、近々結婚するらしい」
「高校生で、結婚」
「そう、信じられんだろ?それによって俺の会社はさらに儲かるって話だが……なんだかなあ。その子が可哀想だ」
「…そうですね」
「それで……おっと、話が逸れたな。それだけがんじからめにされてる娘さんと船長が一緒に歩いてたからな、驚いたってわけだ。専属の医者にでもなったのかと」
「いや…」


頭の中でぐるぐる回る考え。ジャンバールさんの話と、最近俺が聞いた話。すべて繋がる。つまり、つまり、なまえが、


「キャスさん、お待たせしてすみません」
「お、おお」


ちょうどその時、なまえが小走りに戻ってきた。目が少し赤い気がする。泣いた…のか?何故?
俺の中でピースがカチカチとはまっていく。

なまえがいつもベポにあげていた菓子は、みょうじ製菓の商品。さっきやけに気にして避けていたのも、みょうじ製菓の商品。確か、ジャンバールさんの勤め先は……みょうじ製菓。

なまえを見たジャンバールさんが驚きの声を上げるのを、どこかぼんやりと聞いていた。


「みょうじ社長のお嬢さん!」


11.08.28