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なぜかシャンプーを買ってもらった。トリートメントとボディソープまで。私は昨夜使わせてもらった物で十分だと言ったのだが、あれは俺のだと主張されてはどうしようもない。それなら安い製品でいいと言えば、うるせえ黙ってろと睨まれる。結局異様に値段の高い製品を買ってもらってしまった。申し訳ない。

シャンプーにはお金を惜しまないくせに、パジャマは買ってくれなかった。俺のTシャツを着ればいいだろ、なんて、冗談じゃない。シャンプーを買う余裕があるなら買ってくれと懇願したのだが、トラファルガー・ローはそんな私をにやにやと見るだけだった。


△▽


父親を困らせたくて、大量の商品を買い占めたことがあった。クレジットカードで、尽きないお金をどんどん使った。借金まみれにしてやりたかった。今思い出すと馬鹿馬鹿しいが、壁際の棚を指し示し、ここにあるもの全て買う、なんて言ったりした。呆れ顔で着いてきたクザンが、今のトラファルガー・ローと同じように荷物持ちをしてくれた。買ってはクザンが車に運び、そして次の店へ。自分の頭がおかしくなったのではないかと思うほど私はお金を使い続けた。

クザンの車が一杯になり、クザンが黄猿を呼んだ。車でのろのろとやって来た黄猿は、クザンの車を見て笑った。クザンを見て笑い、私を見て笑った。お嬢ちゃん、ひどい顔してるよォ。あの笑い方は今でも覚えている。

黄猿の車もすぐに一杯になり、クザンは赤犬を呼んだ。私は微笑んだ。赤犬と一緒に、今日行動を共にしているはずの父が来るのは間違いない。父はどんな反応を示すだろうか。怒るだろうか。殴るだろうか。私はわくわくと赤犬を待った。そんな私を見てクザンはまた呆れ顔をし、黄猿は楽しげに笑った。

予想通り、赤犬と一緒に父親が来た。父はクザンの車を見、黄猿の車を見、私が握りしめる輝くカードを見た。父は言った。

自分の部屋に運びきれなかったら、隣の部屋も使っていい。急いでいるからもう行く。赤犬、任せたぞ。

それだけだった。

何かがぱりんと割れるのを感じた。どうして、どうしてそれだけしか言わないの。これくらいのお金、無くなったって痛くも痒くもないから?借金にもならないから?置く場所なんていくらでもあるから?……そんなの、わかってた。これくらいのことで困ったりしないって。でも、問題はそこじゃないでしょう?父親のお金を、無駄に消費し続けた娘に、何か言うことはないの?こんなに沢山、私が本当に必要としてるわけじゃないことぐらい、わかってるでしょ?どうして何も言わないの?

私を叱ったのは赤犬だった。必要最低限の物しか欲しがらんお前が、こんなに買うのはどういうわけだ。父親を困らせたかったのか。気を引きたかったのか。それならもっと他の方法があるだろう。金ってえのがどんなに大切なものか、お前にはわかっちょると思っとった……

赤犬は私が欲しかった言葉をくれた。父親に構って欲しくて仕方ない私を理解していた。私が間違った方向へ進まないよう、引き戻そうとしてくれた。…ねえ、それは家族の仕事じゃないの?父親のやるべきことじゃないの?そう思うのは私のわがままなの?父親って、何のために存在しているの?

何も感じない人形になれたら、どんなに楽だろう。そのときはじめてそう考えた私は、本当に人形になっていく。


△▽


「帰るぞ」
「…」
「おい、聞いてんのか」
「何も感じない人形になりたいと願ったくせに、人に操られてばかりの人形になるのは嫌だなんて、身勝手でしょうか」
「…何のことだよ」


トラファルガー・ローは不機嫌そうに振り向いた。私の顔を見て目を見開く。自分の表情なんてわからない私は、ただ目の前の男を見つめるだけ。整った形の口が、ゆっくりと動く。
お前、自分が悲劇のヒロインだと思って酔ってねえか。
……赤犬にも言われたことだ。私は酔っているのだろうか。私が異常なほど弱虫なだけで、周りの人から見れば幸せなのだろうか。


「ちゃんと感じるべきものは感じて、自分で考えて、誰にも操られない人間になればいいんだろ」
「……それは、簡単なことでしょうか」
「お前一人じゃ難しいんだろうな。だから中途半端な人形になった」
「…私、」
「俺が手伝ってやるよ」


何を、と聞き返した私の目を、トラファルガー・ローは真っ直ぐに見る。すぐ近くにあるはずなのに、ぼんやりしている。昨日と同じだ。この人の言う通り、私は見ているつもりで何も見ていないのかもしれない。そんなに顔を近づけても、無駄、…え、


「お前が早く人間になって、ちゃんと俺を見られるようにしてやる」


私は飛び退いた。キス、キス、されるかと思った。というよりされかかった。これは私の自惚れでも何でもないはず。ばくばくと音をたてる心臓が煩い。おかしいな、昨日は平気だったのに。なんで。私はあわあわと口を動かす。


「ここ、大通り、人、」
「なんか勘違いしてねえか?ほら、帰るぞ」


勘違いじゃない!と叫ぶ私に構わず、トラファルガー・ローはさっさと歩いていってしまう。私は慌ててあとを追い、刺青だらけの腕を掴んだ。予想以上に硬いことに驚いて力を抜いてしまう。ガサリと紙袋が音をたてた。


「…なんだ」
「あの、今日の夕食の材料買っていきませんか」
「もうペンギンが買ってる。メニューも決まってんだろ」
「でも、色々買っていただいたお礼に私が何か作りたいので、」
「それ、俺の金で買うんだろ。俺の金で買った材料で誰が何を作ろうと、同じだ。どうでもいい」


なんて寂しいことを言うんだろう。そのとき私の頭をよぎったのは、家での食事のこと。色々な場面で家のことばかり考えてしまう自分が嫌だ。
母のこぢんまりとした料理と、高級レストランで食べた豪華な料理。キャンプで父が作ってくれた不格好な料理と、毎日コックが作ってくれる鮮やかな料理。すべて父のお金で私の口に入った物だが、これらが同じだと言えるのだろうか。


「あなたのお金で買ったコンビニ弁当と、あなたのお金で買った材料で作ったペンギンさんの手料理は、違いますよね」
「…同じだろ」
「込められた想いが違います。私は、感謝の気持ちを込めてあなたに料理を作りたいんです」
「馬鹿馬鹿しい」


吐き捨てるように言って、また歩き出してしまう。ああもう、優しいと思えば冷たい人だ。仕方ないので黙って後ろに着いていく。着いたのは、ごく普通のスーパーマーケット。…えっと、つまり。


「…何が食べたいですか」
「カレー」
「意外です。高級フランス料理でも言い出すかと」
「どんな不器用でもカレーくらい作れんだろ」
「失礼ですね。ルウは甘口ですか」
「馬鹿野郎、辛口に決まってる」
「私はベポのことを聞いたんですよ。勘違いしないでください」


今顔を合わせれば殺されてしまいそうなので、慎重に目を反らす。気が変わらないうちに、買い物を済ませてしまわなくては。

レジに並ぶときちらりと見えたトラファルガー・ローの笑みが自然だと感じたのは、気のせいだろうか。今日、私なんかと買い物をして、楽しかったのだろうか。


△▽


冷やし中華を予定していたペンギンさんは苦笑いしつつも、私のカレー作りを手伝ってくれた。できたカレーをトラファルガー・ローは不味いと言ったけど、他の人は褒めてくれた。きっとお世辞だろうけど、嬉しかった。

食事中、何度も笑みを浮かべる自分に驚いた。こういうのを幸せというのかな、なんて、考えるには早すぎるけど。まだここに来て一日だというのに、周りに人がいることがどんなに温かいか、気づかされた。

ずっと、夢見ていた生活。朝起きればおはようと挨拶を交わし、ちょっとしたことでも協力し。みんなで一緒に朝食をとり、団らんとした会話をし。いってきますと言えばいってらっしゃいと返してくれ、ただいまと言えばおかえりと返ってくる。その日のことを話しながらの夕食。

私には絶対に手が届かないものだと思っていた幻想が今、ここにある。


11.08.23