16

ペンギンさんが洗濯してくれた、唯一の自分の服を着て出かける。街に来て、一番はじめに向かったのは下着屋だった。トラファルガー・ローには外で待っていて欲しかったのに、金を払うのは俺だと言って店に入っていく。反論できない。

そこにいたのは美人のお姉さんや、けばけばしいお姉さんや、…とにかく私が入るべき場所じゃなかった。明らかに大人向けの店である。怖じ気づく私に、トラファルガー・ローはどんどん下着を渡していく。どういう趣味してるんだと叫びたかった。いくつかはどうしても着られそうにないので、棚に戻していく。するとため息とともに、今度はいくらか露出度の下がった下着が渡された。


「サイズは間違いないと思うが、着てみるか?」
「なんで私のサイズ知ってるんですか」
「夜触ったから」
「…嘘ですよね?」
「嘘だ。お前みたいな色気のない女、触ろうと思わない」


近くにいたギャルたちが聞こえよがしに笑った。一気に頬が熱をもつ。怒鳴ってやりたい衝動を抑えて、私は試着室に向かった。機嫌を損ねて買ってもらえなくなっては困る。服はシャチさんに貸してもらえても、下着はどうにもならない。

いらいらと下着を合わせていると、さっきのギャルとトラファルガー・ローの会話が聞こえた。

…ねえ、連れの子彼女じゃないよね?…当たり前だ、俺の女に見えるか?…見えない見えない!じゃあ妹?…俺の妹ならもっと美人なはずだ。…そうだよね!全然似てないもんなあ。

聞こえてますけど、なんて言う度胸はない。だが内心腸が煮えくり返っていた。ギャルもギャルだが、トラファルガー・ローもトラファルガー・ローだ。貧乳で美人じゃない私が嫌なら、拾わなければよかったのに。そう拗ねてしまう自分が情けない。悔しいことに、下着のサイズは本当にぴったりだった。


「おい、どうだ」
「…ちょうどいいです」
「見せてみろ」
「は…!?」


冗談だと思っていたら、本当にドアノブが傾いた。必死に押さえる。見せないと買ってやらねえぞ、と言われたがこればかりは譲れない。大体ここでドアを開ければ、この男だけじゃなく、店内の他の客にも見えるだろう。もちろんあのギャルたちにも。さっきの怒りと今の焦りが合わさって、頭の中がぐちゃぐちゃになる。なんだこいつ。横暴すぎる。


「開けろって」
「ほんとに、無理なんで、やめてください」
「…おい、泣くなよ」


ドアノブが元に戻る。私は別に泣いたわけではなく、怒りで声が震えただった。都合がいいのでそのまま勘違いさせておく。さっさと出てこい、と声がしたのであえて弱々しく返事をした。

試着室から出ると、好奇の目が向けられていた。特にあのギャルたちの視線が痛い。思わず顔を強張らせると、トラファルガー・ローがさりげなく動いた。私を庇うかのように立つ。私から下着を受けとると、さっさとレジに持っていき、自分に熱い視線を送る美人の店員に目もくれず、支払いを終える。そして大勢の目も気にせず、私の手を取った。驚くギャラリーに構わず、私たちは店を出た。

驚いてるのは私も同じだ。これは何なのだろう。視線から庇ってくれたとか、繋いでくれたこの手が優しい気がしたとか、それは私の自惚れだろうか。


トラファルガー・ローという人がわからない。優しいかと思えば冷たい。穏やかかと思えば荒々しい。大人かと思えば子供。

感情のない顔をしていたかと思えば、意地悪そうな笑みを浮かべる。かと思えば、嫌悪のこもった目で睨む。これはたいていベポに近づいたときだが。案外ころころと表情が変わるのに、そのなかに自然な笑みはない。楽しそうな顔をすることがないのだ。


「…怒ってんのか」
「別に、怒ってませんよ」
「お前が怒ってるからって服買ってやらねえほど、俺はケチじゃねえよ」
「じゃあ怒ってます」
「買ってやらねえからな」
「…嘘つき」


私が顔を歪めると、冗談だと言って笑った。いや、笑ったのは口元だけで、目は無表情のときと変わりない。…私が何も見てないなんて言うけど、あなただって何も見えてないんじゃないですか。そんなことは怖くて言えない。

前を歩くトラファルガー・ローに、手を引っ張られるようにしてひたすら着いていく。なんで横に並ばねえんだ、なんて聞かれたけど冗談じゃない。集まる視線と囁き声が怖すぎる。囁き声のほとんどが、トラファルガー・ローに対する賞賛と私に対する中傷だ。さっきのことを思い出して嫌になる。


「俺と手ぇ繋ぐのが嫌か」
「…」


答えられない私。気づけば手は離れていた。ひんやりとあたる空気が冷たい。夏なのに、おかしいな。


△▽


昨夜のことを思い出す。

お礼を言うだけのつもりだったのに、いつの間にか零れていたのは、私の本音だった。それは弱音に近かった。ベポにさえ話したことのない想いを吐き出した私は、自分でもわかるほど弱っていた。家出を決意したときの苦しみが戻ってきた。

そんな私だったから、トラファルガー・ローは抱きしめたのだろう。いや、抱きしめてくれたのだ。壊れそうな私を繋ぎ止めてくれたのだ。人に抱きしめられるのは久しぶりだった。私を抱きしめてくれた母は死に、心優しい父も消え、いつからかクザンも変わってしまい。私は一人だった。誰も傍にいてくれなかった。私から近寄ることもなかった。

トラファルガー・ローの腕から伝わる体温が心地よく、冷えきった心まで温めてくれるのを感じた。私の悩みを聞いてくれたベポとは、また違った温かさ。どうして、どうしてこんなにも温かいのだろう。涙が滲むのを感じた。

だが私はどこまでも意地っ張りだった。泣けよ、と言われて泣くような可愛い女じゃない。いくら温かくとも、目の前の男には出会ったばかりで。そんな人にすがるわけにはいかなかった。

ホテルでの経験から、強引に押し倒したりするのかと思えば、トラファルガー・ローはいつまでも何もしなかった。私が離れてくれと言うと、本当に離れようとした。自分から言い出したくせに、離れるとなると寂しくてしょうがない。そんな私をトラファルガー・ローはわかってくれたのか、また腕を回してくれた。

二人の間にある隙間。トラファルガー・ローはすがれよ、と言っているし、私が埋めようとすればすぐに埋まる隙間だったのだろう。だが私はそれをしなかった。どうしようもなくすがりたかったのに、すがりついて泣きたかったのに、私は最後まで意地を張った。目が覚めたら私は一人で、柔らかいタオルケットに包まれていた。


△▽


今度は本当に離れてしまった手。自分がそうなるよう仕向けたくせに、あとから後悔するのは私の悪い癖だ。ため息をつきつつ、トラファルガー・ローの後ろを歩く。たくさんの目が私に向いているというのに、この人が私を見てくれることはない。


11.08.21