こうやって抱きすくめられるのは、何回目だろう。前にこうされたのは、いつだったっけ。温かいはずなのに、冷えていく自分が怖い。 「言ったろ、」 「うん」 「おれから離れんなって」 「うん」 「遠くへ行かれたら守れなくなるから、」 「うん」 「おれの近くにいろって」 「うん」 「なんでおれから離れんだよ」 「うん」 「なんでうんしか言わねえんだよ」 「……うん」 ごめんねルフィ。そう言いたい。でも、言ってどうなるの?もう二度と離れないなんて約束、私にはできない。ごめんと謝っても、どうせ私はルフィから離れる。それなら口ばかりのごめんねなんて、何の意味もない。 私の背に回っていた大きな手が、優しく私の頭を撫でる。 「おれのこと、嫌いか」 「ううん」 「じゃあなんでおれから逃げるんだよ」 「うん」 「…なあ、」 ぎゅ、と髪が掴まれた。引っ張られて少し痛い。 ルフィが好きだ。ずっとずっと好きだった。だからこそ怖い。どんどん成長していくルフィの足を、いつまでも変わらない私が引っ張ってしまうことが。 ルフィは海賊王になる。ルフィがそう言ったから、間違いない。海賊王になるルフィにとって、私はただの邪魔者だ。ゾロは剣士。ナミは航海士。ウソップは狙撃主。サンジはコック。チョッパーは船医。ロビンは考古学者。フランキーは船大工。ブルックは音楽家。みんなに役割がある。みんながいて、麦わらの一味だ。 じゃあ、私は? 私は戦いに優れているわけじゃなくて剣術も狙撃もいまひとつだし、航海術も持っていない。考古学も医学も音楽もわからない。大工仕事も駄目。料理さえできない。確かルフィも同じことを言ってたけど、ルフィは船長だ。ルフィにも大事な役割がある。麦わらの一味の船長は、ルフィにしかできないから。 私は? 何度も何度も自分に問いかけた。みんなに聞く勇気はない。もし、確かになまえの役割なんてないね、なんて言われたら私は立ち直れない。いくら優しいみんなでも、私が役立たずなのはどうしようもない真実だからあっさり言ってしまいそうで怖い。 「なまえ、おれのこと好きか」 「うん」 「じゃあ傍にいてくれよ」 「…………ううん」 「おれ、なまえ好きだ」 「ううん」 私なんか嫌っていいんだよ。邪魔な私なんて要らないでしょう。つんとした痛みを感じて慌てて目を閉じた。滲み始めた涙は止まらない。私が小さく息を洩らすと、ルフィの手に力がこもった。馬鹿みたいだ。私はルフィの邪魔をして、裏切って、傷つけてばかりだというのに。ルフィはこうして私を掴まえて、抱きしめてくれる。また今日も、ルフィの腕に戻ってきてしまった。 私は静かに甲板を歩く。ギザギザしたサニーのたてがみの上に乗って空を見上げれば、真っ黒の空に星が光っていた。そっと手をついて海を覗き込む。夜空が映って輝く海はすごくきれいだと思った。このきれいな海に、ルフィは嫌われている。 海のなかにいればいい。そう気づいた。ルフィから離れる最善の方法は、海に飛び込むことだ。 ルフィから離れるには死んでしまえばいいって、はじめて考えたのはいつのことだっけ?もし私が死んでも、ルフィは決して死なない。シャンクスに助けられた命をルフィが無駄にするわけはないし、第一ルフィには仲間がいる。素敵な素敵な仲間たちが。邪魔だった私のことなんて気にせず、笑って前に進んで行けるだろう。 そう思って死のうとした。でも死ねなかった。人拐い集団のなかに飛び込んでも、勝てそうにない強敵に挑んでも、崖から飛び降りてみても。いつもルフィに助け出された。真剣な顔をして、心配かけんなと怒られた。死のうとするその行為こそルフィを邪魔していると気づいた私は、とうとう諦めた。 でも、海に入ってしまえば。 ここは海の上。陸なんて見えない。飛び込めば確実に死ぬだろう。それでいい。海に嫌われているルフィは、助けに来られない。 「好きだよ、みんな」 私はサニーをそっと撫でて、海へと一歩踏み出した。好きだよルフィ。 「ずっとな、考えてた」 どこからか伸びてきた腕に掴まれて、今にも海に触れるところだった私は寸前で止められた。腕は縮んでいき、私をサニーの前まで連れてゆく。当たり前だけど、そこにいたのはルフィだった。ルフィは甲板から手を伸ばして距離をとり、私を宙吊りにしていた。痛いのは腕か、心か。ああ、また失敗だ。 「なまえが海に飛び込んだらどうしようって。おれは泳げねえから、助けられないだろ」 「助けなくて、いい」 「なあ、お前だけなんだよ」 「何が」 「俺の弱いとこ知ってんの」 「どういう、意味」 息が切れる。腕が体重を支えきれずにみしみしと痛んでいた。もう放して欲しい。死なせて欲しい。ルフィの弱さを知ってるのが私だけ?そんなわけない。みんな、ルフィが戦い以外はできないことを知ってる。でもそんなルフィが大好きなんだ。船長として、一味を守って、導いてくれるルフィが。何もできないし、何の役割もない私とは大違い。 「なまえだけだろ、おれに泣いてもいいよって言ってくれんの」 「…………え?」 「無理しなくていいよって言ってくれんのも」 「それは、」 「おれを抱きしめてくれるのもお前だけだ」 とん、とルフィの前に下ろされた私は、腕を抱えて座り込む。ルフィは腰を屈めて、俯く私の顔を覗き込んだ。 「ウソップが出ていったときとか、他にもいろいろ。おれは船長だからしっかりしなきゃって、泣いちゃだめだって、どんな重いものも背負わなきゃって思ってた。でもお前は、私には弱いとこ見せていいよって言ってくれた」 忘れてた。そんなこと言っていた時期もあったって、すっかり忘れてた。だってルフィはあのCP9を倒して、王家七武海まで倒して。私に弱さを見せたルフィなんて、どこにもいないみたいだった。瞼が熱い。 「お前がいなきゃ、おれ船長やってけねえよ。船長がいなきゃ、麦わらの一味もなくなっちまう。でもおれあいつらがいないと、海賊王になれねえ。だからな、」 ルフィはにかりと笑った。呆然とルフィを見上げる私の目から、涙が落ちた。 「お前は大事なんだ!」 それは簡単な言葉だった。食料は大事、夢は大事。そんなのと同じようにあっさり言われた、私は大事。でも、その言葉がとても嬉しかった。どうしてだろう、ルフィはずっと言い続けてくれていたのに、どうして私は素直に受け取らなかったんだろう。 でも私には、ルフィの"大事だ"という言葉が何よりも大事だった。何度も言ってもらった"好きだ"よりも、何度言われたかわからない"傍にいてほしい"よりも。私はルフィにとって、大事な存在。その言葉が私を救いだした。 私は単純に、寂しかったんだ。ルフィが私を置いてどんどん強くなっていくのが。どんどん進んでいくのが。どうにもならない自分が憎かった。でも、いいんだよね? 「私、弱いけど、」 「おれが守ってやるから構わねえ!おれは船長だからな!」 「なんにもできないけど、」 「おれだってできねえよ。なまえは、おれの隣でにこにこしてればいいんだ!」 「それだけで、本当にいいの?」 「ああ!それくらいできるだろ?前みたいにさ、おれの隣で笑っててくれよ」 しししっと笑うルフィの胸で、私もぐしゃぐしゃの顔で笑った。これが私にできる唯一のことなら、私はずっとずっと笑っていよう。ルフィがもし潰れそうになったときは、私が隣で支えてあげたい。それさえもできなくならないように、私はずっと、ルフィの隣で笑っている。ぎゅっと力を込めれば握り返してくれる、ルフィの手のひらは温かかった。 君は僕の隣で息さえしてればいい 11.11.02 title by 誰そ彼 |