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一週間に一度しか顔を合わせない、どころか、一週間に一度しか連絡を取らないカップルをカップルと呼べるのだろうか。音沙汰なしの一週間が過ぎ、日曜の夜にまたメールが来た。


差出人:及川徹
件名:及川さんだよー!
――――――――――――――――
明日も一緒に帰ろうね((((((((((つ・ω・)つブーン


相変わらずのテンションだ。一週間考えた末、"あっちは何かしらの目的があって私と付き合ってるんだから私の性格云々で別れたりしないはずだ"という結論に至った私は彼に媚びるのをやめた。『わかりました』と一言返す。十分後に返事が来た。


『淡白すぎない!? Σ(;・`ω・´)』

『本当の自分でいいって言ったの、先輩じゃないですか』

『顔文字ゼロの女の子とか及川さんはじめてだよ… |ω-`*)シュン…』

『顔文字がそんなに可愛い男の子とか私はじめてです \( ´ω` )/』

『わーいなまえちゃんのはじめてひとつゲットー *.+゚.(@´∂ω∂`).゚+.*』


私はぽいとスマホをベッドに投げ捨て、途中だった宿題を再開した。集中したいのに、いつだったか国見と交わした会話が頭に蘇ってきた。


「及川さんがお前の体目当てだったらどうすんの」
「ないでしょ」
「わかんないじゃん、あの人ちょうどフリーだったし」
「そういう相手が欲しいなら、三年生の美人の中から選ぶでしょ。わざわざ二つも年下の、しかも私に声かけることないよ」


私は笑いながらそう返した。いつも眠そうな国見の顔が、あからさまに苛立っていたのが印象的だった。おそらく国見は、私を馬鹿だと思っている。

『お前よりも可愛いやつなんて、世の中ごまんといるんだわ』

彼の言葉を思い出し、自分の認識が間違っていないことに確信を持つ。他の男ならともかく、相手はあの及川徹だ。彼女なんて選び放題に違いない。

それにもし、国見の言う通り体目当てだとしても。今更奪われて困るものは何も残っていないのだから、問題ない。

全く集中できていないせいか、カリカリとノートの上を滑らせるペンは酷く動きが鈍かった。



▲▽




今度は及川が先に待っていた。その姿を目に留めて駆け寄り、待たせてごめんなさいと頭を下げる。すると、及川も頭を下げ返してきた。


「…なんですか?」
「バレーがしたいです」
「あ、はい。え?」
「いつも月曜日はコートを女バレに貸してるんだけどね、突然練習試合が入ったらしくて」


及川の話を要約すると、普段は男子バレー部で使用している第三体育館を月曜日である今日も女子バレー部に貸すつもりだったが、急遽決まった練習試合のために女子バレー部は他校に行き、結果的にがら空きになった体育館で自主練習がしたいとのことだった。はい、はい、と単調に相槌を打ち、最後に「別にいいですよ」で締めくくる。


「メールしてくれれば良かったのに」
「だって、ドタキャンをメールで報告って失礼じゃん」
「気にしません」


本当に好きな相手だったり、本当に望んでいる約束だったら話は別だろうが、相手が及川で、"交際"の証明のためだけに共にする帰路など、少しも惜しくない。

彼女としてここで言うべき言葉は、「待ってます」だろう。だが、何時間待てばいいのかを考えると迷ってしまう。私は帰宅部とはいえ、だらだら放課後の時間を潰しているわけではない。習い事としてピアノをしているのだ。今日の練習を何時間か削ってまで、自分から彼女らしいことをする必要があるとは思えない。

ここは及川の出方に任せようと考え、口をつぐんで及川を見上げた。


「そんなに見つめられると照れるなあ」
「えっ」
「何、見に来たい?」
「いえ」
「仕方ないなあ、特別に見学を許そう」
「はあ……」


ご機嫌な顔をして体育館の方へ体を向けた及川の動きが、私の視線を避けるためのものに見えたのは気のせいだろうか。



▲▽




「正式な練習じゃないからどこにいてもいいけど、どうする?下にいる?」
「邪魔じゃないですか?」
「うん、平気平気」


及川は私の前に立ち、ガラガラと体育館の扉を開いた。その瞬間ボールがこっちへ飛んできて、及川の顔面に見事ヒットした。あっという間の展開に、私は目を白黒させる。


「いったあああ!」
「おーわりわり。ってなんだ、テメーか」
「俺だったらなんなのさ岩ちゃん!」


床を転がったボールを拾いに駆け寄ってきたのは、短髪の男子生徒だった。半袖短パンに着替え、早くも体中に汗を光らせている。その顔がひょいっと及川の右側から飛び出て、私に目を留めた。


「誰?」
「彼女のなまえちゃん」
「…ああ」
「なまえちゃん、これ幼馴染の岩ちゃん」
「はじめまして」
「これってなんだ。指差すなオイ」


私はぺこりと頭を下げた。そして及川を見上げ、やっぱりギャラリーで見てますと言って足早にその場を去る。彼女、と及川が言った瞬間に雰囲気を変えた"岩ちゃん"の目から隠れたかった。

及川の幼馴染。ということは、及川とは相当親しい仲なはずだ。及川が私と付き合う目的を、知っているのだろうか。

烏野をーーというより飛雄を見るために先々週上った階段に、今日もまた一段一段足を乗せる。ギャラリーに出ると視界が開けた。私はなるべく目立たないように隅の隅に移動し、柵ではなく壁に寄りかかる。そこからでも十分、及川の姿は見えた。

体育館が空いたのは突然のことなはずなのに、随分多くの人がいる。さすが強豪、と感心した。私は飛雄の"試合"は何度も見に行ったが、体育館で練習するところは一度も見たことがない。はじめて目にする練習風景は、試合とはまた別の面白さがあった。

ボールが床に叩きつけられる激しい音が、あちこちから聞こえてくる。バチン、という音は手がボールに触れた音だろうか。見ているうちに、人によってその音が違うことに気づいた。静かな人もいれば、盛大な音を立てる人もいる。そういえば、烏野のリベロの先輩がとても静かなレシーブをすると飛雄が言っていた。静かなレシーブの方が、良いのだろうか。今度飛雄に聞いてみよう、とぼんやり考えた直後に、"彼氏"に聞けばいいんじゃと思い至ってハッとした。

残念ながら、面白さを感じていられたのは初めだけだった。次第に退屈さを覚え、帰ってもいいかなあという考えが頭をもたげ始める。及川は確か、「見に来たい?」と聞いてきた。「待ってて」とは言わなかった。ため息をつき、あと三十分のうちに終わらないなら先に帰ろうと決めた。

試合と違って、知らない人を見ていてもそんなに楽しくない。私は及川と国見を中心に、ぐるぐると目を動かしていた。中1のときに同じクラスだった金田一がいるのも見つける。他にも数人、北一で見たことがある人がいた。みんな汗をぽたぽた垂らしながら、必死に体を動かしていた。

誰も彼も、飛雄より下手だなと素人ながらに感じた。国見の言う通り、飛雄は天才なのかもしれない。だが、天才だから勝利を掴めるかといえば、それは違う。バレーはピアノとは違うのだ。何度も飛雄の試合に足を運ぶうちに、私はそれを学んでいた。天才でありながらベンチに下げられたあの日の飛雄が、頭をよぎった。

及川はたびたび周りに声をかけ、また声をかけられていた。何を話しているのかはわからないが、きっとバレーのことだろう。身振り手振りで手本を示したり、その部員が練習していたスペースに足を運んでトスを上げたり。及川は一際眩しい笑顔でコートに立っていた。部員達に向けるそれを見て、ああ、なんだ、と胸の奥が声を上げる。

先輩だって、作り笑いしてたんじゃないですか。

その笑顔は、私に向けられたものとはまるで違っていた。そして、ファンの女の子たちに対するものとも違う。心からの、笑み。飾り気のないその表現がぴったりなほどに、及川の笑顔は明るかった。ここが及川の本来の居場所なんだろうなと、ぼんやり考えた。

時間とともに一人減り、二人減り。国見が出て行って、その十分後には金田一が出て行って。"岩ちゃん"が及川と何やら叫びあいながら体育館を出ると、そこには及川一人が残された。ボールは一つも転がっていないし、ネットだって出ていない。まっさらなコートでたった一人、及川はそこに立っていた。

脇にあったボールカゴをゴロゴロと引きずってきた彼は、エンドラインのすぐそばに止まる。ボールを一つ取って、少し下がり、軽く斜め上に放り投げた。

次の瞬間。及川は、飛んだ。鳥のように手を広げ、その勢いを前に向かって流しながら、地を蹴って、羽ばたくように、コートへと飛び上がったのだ。

高く高く跳んだ及川の手が、流れるようにボールを叩く。彼の手がボールに触れた瞬間、それまでふわりと宙を舞っていたそれはすさまじいスピードで空を切った。気づいたときには逆コートの床に叩きつけられており、私の耳はボールと床との衝突音をはっきりと聞き取っていた。

無意識に足が動き出した。鉄柵に駆け寄り、爪先をがつんとぶつける。痛みを感じる余裕はなく、手はいつの間にか柵を握っていた。もっと前に行きたい。もっと近くに行きたい。そう思うのに、固い鉄柵がそれを阻む。大袈裟な反応かもしれない。第一、彼のサーブは烏野との練習試合でも見ているのに、今更衝撃を受けるのはおかしい。それを理屈でわかっていても、今の私は、大きすぎるほどの衝撃を受けていた。

私の目は、及川の顔に釘付けだった。及川は、笑っていなかった。誰もいない体育館で笑っていたらそっちのほうが不自然だが、そういう話ではないのだ。満足そうな顔を、しなかった。悔しそうな顔も、しなかった。何を考えているのか全く読めない無表情で、及川は二つ目のボールを取った。

一つ、また一つと、床を転がるボールが増えていく。私はバレーをよく知らない。どんなフォームが綺麗か、どんな風にボールが飛べばいいのか。及川のサーブがどれほどのものなのかも、私にはわからない。それでも、そんなことには関係なく、ただ、心を揺さぶられた。淡々とボールを打つ及川の姿に。息の詰まりそうなこの空間に。

息が、詰まる。そう、それだ。

気づけば私は呼吸を止めていた。私のものではない苦しさが、私の中にあった。及川は、苦しんでいる。苦しみながら、投げて、跳んで、打っている。少しずつ崩れていく無表情が、全身から溢れ出す焦燥が、もっと、もっとと叫んでいる。

及川と、熱と、鮮やかな三色の球だけが舞うこの空間。私も、時間も、そこには存在していなかったのだ。


14.06.16