▲03▽ 差出人:及川徹 件名:なまえちゃーん! ―――――――――――――――― 明日一緒に帰ろうね(*∂ω∂*`) 何これ……。一時間前に受信していたメールを見て、しばらく呆然とした。いくらなんでも、可愛すぎない?先輩はかなりモテると国見に聞いたけど、世の中の女子はこんなメールを欲しているのだろうか。 ぽんぽんと画面をタップして返事を打つ。『はい、よろしくお願いします(*^ω^*)』、と一行、そして送信。あっちも私もスマートフォンなんだから、ラインをすればいいのかもしれない。しかし付き合ったその日に「俺ラインよりメール派なんだよね」と微笑まれたので、私たちの連絡手段はメールとなっている。実はこのメールが初のやりとりだ。 及川が本当にメール派かはわからない。気にする必要もないと思うが、あえて言うならラインの方が相手に縛られる時間が長くなるからメールを強制したのではないかと思う。私自身、偽の交際に家でまで時間を取られたくない。 水曜日、突然の告白に対して「よろしくお願いします」と答えた私に、あの人は一瞬戸惑いを見せた。 「君、俺のこと好きなの?」 「はい」 笑いながらうそぶく。及川は真顔になり、無言のまま二回ほど頷いて、ぱちんとわざとらしく指を鳴らした。 「さては君、俺の顔がいいから付き合ってもいいって思ってるね?」 大胆なこの問いにはどう答えようか迷ったが、図星だったので結局「はい」と言った。少し甘えるように、頭上にある及川の顔を見上げる。 「だめですか?」 「いいよいいよそれで!はじめはそうでも、君は絶対に俺のことを好きになるから」 ちょっと歩こうか、と促されて足を踏み出す。玄関に向かっていることを認識しつつ、頭は疑問でいっぱいだった。 この人が私に恋愛感情を持っていないことは明らかだ。もし好きなら、あんな冷静な顔で告白なんてできない。何かしらの目的があって、私と付き合いたいんだろう。それが何なのか、わからない。"君は絶対に俺のことを好きになるから"?これはただ単に、自分がそれほどの魅力を持つ男だと言っているだけなの? 「ねえ、部活入ってる?」 「いいえ」 「そっかあ。じゃあ毎日帰るの早いよね」 「はい。真っ直ぐ帰宅です」 「俺月曜オフだから、月曜は一緒に帰ろ」 「はい」 にっこりと笑う及川に、にっこりを返した。この人の笑みはとても爽やかだ。及川が目を離してから、私も前を向き直した。 「どのへんに住んでる?」 「北川です」 「あ、北川なんだ。てことは北一出身?」 「はい」 「俺もだよ。凄い偶然」 ね、と同意を求めるように及川はまた私を見た。それに合わせて私も上を見る。"嬉しそう"な表情がそこにあった。 その後、互いに電車通学であることを確認し、メアドを交換し、部活に向かう及川と生徒玄関で別れた。あれから数日経って今日は日曜日だが、この期間及川とは顔も合わせていなければメールもしていなかった。正直なところ及川の存在を忘れかけていたところで、このメールが送られてきたのだ。 私は件名の"なまえちゃーん!"をじっと見つめて考え込んだ。あの日彼は、一度も私の名前を呼ばなかった。そもそも彼は私の名前を知っていたのだろうか。メアドを交換したときに表示された"みょうじなまえ"の文字を見て、私をそう認識したんじゃないだろうか。事実、私が及川の名前を徹だと知ったのは画面にそう表示されたからだ。 わからない。色々、わからない。 結局国見は及川の目的を知らないようだった。無理もないかもしれない。再会したばかりの先輩の諸事情なんて、知らないのが普通だ。 考え込んでいられたのはそこまでだった。壁に寄りかかる私の前に誰かが立ったことに気づき、私は顔を上げる。案の定、それは飛雄だった。 「なまえ、お待たせ」 「ううん。行こ」 床に置いていた二袋をガサッと持ち上げ、私は飛雄と並んで歩き始めた。飛雄の両手にも、重そうなレジ袋が二つ。おつかいで近所のスーパーに足を運んだら、たまたま飛雄に出くわしたのだ。私の方が早く買い物を終え、後から来る飛雄を待っていた。 そういえば、私の烏野の知り合いが飛雄だってこと、あの人に言ってなかったな。ふとそれを思い出した。及川も北一出身だから、飛雄とは知り合いなはずだ。一緒にバレーをしていた時期もあるのだろう。 「それ、貸せ」 「え。飛雄も両手塞がってるじゃん」 「でも持てる」 「いいよ、重いでしょ」 「腕のトレーニングになる」 「あ、そう」 二人で立ち止まり、私は飛雄にエコバッグを一つ渡す。飛雄は無表情でそれを受け取った。飛雄の無表情は口のとんがりが基本だ。 「そっちも」 「これはいいよ」 「腕のトレーニングに」 「はいはい」 結局どちらも飛雄に預けてしまい、手ぶらの私はふらふらとその隣を歩き出した。飛雄はむっつりと黙り込んでいる。いつものことだ。飛雄の話すことといえば、無いか、バレーかの二択。暇になって、ねえ、と呼びかけた。 「今日うちカレーだって」 「温玉乗せろよ」 「やだよ、甘くなんじゃん」 月曜日。生徒玄関で靴を履き替えて待っていると、ぽん、と肩を叩かれた。さりげない触れ方。振り向いて、それが及川であることを確認した。 「待った?」 「いいえ、全然」 私は軽く口角を上げる。カツカツとローファーで地面を踏む及川の後ろに続いた。 駅まで歩く間、及川はぺらぺらと口を回し続けた。よく話題に尽きないな、と感心してしまう。及川は話を振るのも上手くて、私も自然に会話をすることができた。特に楽しいわけでもなかったが、笑みは絶やさない。 駅に着いて、ホームで電車を待つ。周りには帰宅組の生徒がちらほらいた。及川の隣に立つ私を好奇の目で見て行く人たちもいる。中学時代に向けられていた視線に比べると、全く気にならなかった。 「ごめんねえ、俺有名人だから」 「大丈夫です、気にしません」 有名人、って自分で言っちゃうんだ。話のところどころに混ぜ込まれる自賛には内心呆れていたが、それを隠して微笑んだ。及川の笑顔は相変わらずだ。相変わらずの笑顔のまま、及川の唇がうごめいた。 「なまえちゃん、作り笑い下手だね」 ぴし、と空気のひび割れる音を聞いたような気分になった。言葉に詰まって、私は目を瞬く。隣に立つ及川を見つめたまま、下がりかけた口角を上げ直した。 「別に作ってませんよ」 「うそうそ。なまえちゃん、もともと良く笑う方じゃないでしょ」 「そんなことないです」 「はじめて話しかけたとき、顔強張ってたしね。いきなり来られると素が出るんじゃない?」 「素って、これが素ですよ」 「そう?今なまえちゃん、俺の話つまんないって思ってたよね」 「思ってません」 電車がホームに入ってきた。私は目を逸らし、スピードを落とす電車を見つめる。及川の視線が突き刺さるのを感じた。 「好きでもない人のつまらない話に笑うのは、作り笑いだよ!」 「つまらない話の自覚があったんですか」 「おっ。本日初の本音だねー」 「いえ…」 「いいんだよ、俺には本当の自分を見せても」 「はあ」 だめだ、どんどん口数が減っていく。笑みも固くなってきた。本当の自分、それは、口下手で、無表情で、面白味のない人間。 電車が止まり、真正面のガラスに自分が映る。そこにいる私は、ぎこちない笑みを貼り付けていた。 乗ろう、と足を踏み出した及川の後ろに続く。視線が外れた瞬間、彼の背中しか見えなくなった瞬間に、私は小さく呟いた。 「本当の自分じゃ、捨てられてしまいますから」 『ドアが閉まります、ご注意ください』のアナウンスに、私の声はかき消された。ドアが閉まるのと同時に及川は近くの席に腰を下ろし、私の方を向いてぽんと隣のシートを叩いた。私はそこに座る。車内はがらがらだった。 ガタンゴトンと、毎日耳にする音が届く。単調なこの音を聞いていると、いつも思考がぼんやりして、嫌なことばかりを思い出すのだ。彼と電車に乗ったことはない。それなのに、いつもこの時間に考えるのは、彼の言葉と彼の手のことだけだった。忘れたいのに忘れられなくて、同時に"忘れてはならない"あの思い出。 「本当の自分を好きになってくれない人と、付き合う必要なんてないよ」 ガタンゴトンを割り裂いて、及川の言葉が耳に届いた。ぼんやり動いていた脳が一旦止まり、及川の声で染まり始める。私は及川の顔を見なかった。及川が私を見ていないことも、わかっていた。 私は返事をしなかった。そうですねとも、それは違うと思いますとも言わない。及川の告白の文句を思い出していたのだ。「一目惚れしました」と彼は言った。一目惚れ、つまり、外見しか見ていない。本当の私なんて知らないはずだ。私からすれば及川だって、"本当の自分を好きになってくれない人"に過ぎない。 とっても汚い綺麗事に聞こえた。何のフォローにもなっていない。そもそも私に好意なんて持ってないくせに、ぬけぬけとそれを言ってくる神経が知れない。 私は何も言わず、また、何も言えなかった。及川の言葉は、今や完全に私の脳を侵していた。三つ先の駅に着き、私たちの前に座っていた集団が降りていく。向かい側のガラスに、並んで座る二人が映っていた。 私の顔に、笑みはなかった。 14.06.15 |