▲13▽

「送る」
「嫌です」
「嫌です!?せめて"いいです"って言って!」
「じゃあ、いいです」
「ダメ。もうこんなに暗いんだよ!?」


いつも通りのやりとりを重ねた挙句、及川は私の断りを無視してあとをついてきた。ストーカーですか、と悪態をつくと、「彼氏ですが何か」と返された。それはそうだけど、そうじゃないでしょ。

私は黙りこくっていたが、及川の饒舌さはいつも通りだ。ねえ、と相槌を促され、そうですねと頷く。体育祭の話だった。及川は大道具係らしい。正直驚いた。


「先輩は幹部をやるんだと思ってました。幹部どころか、連合長かなって」
「そりゃやりたかったけどねえ。部活優先させたいから、ちょっと無理かな。でも連合長より目立ってみせるよ!」
「……頑張ってください」


隣を歩く及川の歩幅は相変わらず小さい。それを意識すると及川の時間を奪っているという意識も強くなるので、なるべく足元を見ないようにしていた。


「ねえ、交代で話そう」
「はい?」
「駅でなまえちゃんの話聞いて、実はなまえちゃんはよく喋る子だってわかった」
「そんなことないです。話すの苦手です」
「テンポよく話すのがだめなんじゃない?返す言葉がすぐには思いつかないんでしょ」
「それです!」


思わず声を大きくしてしまい、恥ずかしくなって黙り込んだ。ちらりと及川の顔を窺うと、にやにや笑っている。


「それに、短い時間じゃ考えがまとまらない。違う?」
「……そうです」
「典型的な口下手だね。別にこのままでもいいけど、俺はなまえちゃんの話も聞きたい。というわけで、時間をたっぷりとって交代で話そう!」
「なんですかそれ…」
「さっき俺が喋ったから、次はなまえちゃんのターンね。はいどうぞ!」


急展開すぎて頭がついていかない。どうぞと促されたって、すぐに話題なんて見つからない。話題がないから口下手なのに、と内心で文句を言いながら、しばらく考え込んだ。


「……あ」
「なになに?」
「先週先輩にもらったストラップの猫の、背中に描いてある花、」
「うん」
「バレー部のジャージと同じ色ですよね」


え、と及川は呟いた。「ちょっと見せて」と私の背後に回るが、道が暗いので見えないだろう。案の定すぐに隣に並び直し、「うろ覚えだけど、そうかも」とはにかんだ。


「きっと無意識に選んじゃったんだ。あの色好きなんだよねえ、二年間着てると愛着沸くっていうか」
「私も好きです。爽やかで、綺麗で」
「ほんと?やったねー」


明るく笑う及川に、目配せしてバトンタッチ。次は及川が話す番だ。聞きに徹していいというだけで、随分気が楽になった。


「んー何話そっかなあ。お手本になるような、素敵な話をしなきゃね」
「はあ」
「……よし、決まった」
「どうぞ」
「今日の昼休み、友達とバスケをしたんだけどさ。パスが来ると、ついトスしそうになっちゃうんだよね。ワンタッチで」
「突き指しませんか?」
「それそれ。バスケットボールって硬いじゃん。危ないのなんのって」
「ほんとですよ。気をつけてください」
「……なんか厳しいね?」
「だって大会近いんでしょう?」


随分心配そうな声が出た。及川の前では、どうも気持ちがそのまま声に表れてしまう。こんなだから嘘を見破られるんだ、と思う一方で、このままでいいような気もし始めていた。信じられないことに私は、及川に心情を悟られることに、苛立ちだけでなく喜びも感じているらしかった。

嘘をつくのは疲れませんか、と及川に聞いたことがある。私は嘘をつくと疲れるたちだし、本当はなるべくつきたくない。それなのに口を突いて出るのは大抵思ってもいない言葉で、自分で自分を追い込んでしまう。疲れる、けれど、やめられない。それをやめたとき、周りの人が離れていってしまうのが怖い。当たり障りのないことを言ってにこにこ笑っているばかりのみょうじなまえと関係を結んでくれた人は、本当の私を知ったときどうなるの?その答えを知るのが、怖いのだ。

及川は、私の本性を知っている。隠している本性を引きずり出して、その上で認めてくれる。それが嬉しかった。自然な私でいられた。そうやって不器用な私を受け入れてくれる及川だったから、私はさっき、あんなに素直に飛雄の話ができたのだのだと思う。


「先輩、ポジションは…」
「セッター。知らなかった?」
「はい。でも、そうじゃないかと思ってました。体育館に練習を見に行ったとき、先輩、みんなにトスを上げていたから」


試合前のアップ時間に、飛雄が同じようなことをしていたのを覚えている。明らかに飛雄の影響だが、私はバレーのポジションではセッターが一番好きだ。それを言おうか言うまいか迷って、結局口を閉ざした。まだ、及川のターンだ。


「なまえちゃん、バレー好きなの?」
「……たぶん、他のスポーツよりは」
「たぶんって」
「ルールあんまりわかってないし、プロの試合見に行ったこともないし、オリンピックでやってたって見ないから、バレー好き!って堂々と言えはしないんです。でも、飛雄がバレーしてるのを見るのは好きです。あと、」


先輩のサーブも、好きです。そう言いそうになって、はっと口を止めた。好き、という単語を及川に向かって発するのがためらわれる。黙り込んだ私を及川が見下ろしていることに気づいて、首を横に振った。


「なんでもないです」
「なんでもなくないでしょ。あと、何?」
「なんでもないです、本当に」


及川はしばらく口をつぐんでいたが、「あっそ」と素っ気なく言って話を打ち切った。その声の冷たさに驚いて顔を上げる。及川はもう前を向いていた。歩くうちに街灯に近づいて、徐々に表情が見えるようになる。突然その口角が上がった。一見爽やかな笑顔で、及川は私を見下ろす。


「怒ったと思った?」
「……はい」
「何に怒ったと思う?」
「続きを言わなかったこと」
「ばーか」


私は目を見開いた。及川の声は、本気で私を馬鹿にしているように聞こえた。爽やかな笑顔とその唇が発した言葉が全く重ならず、困惑で頭が埋まる。ちょうど横断歩道にさしかかって、赤信号を前に私たちは立ち止まった。及川の手が私の額に伸びてくる。デコピンを察知した私は額を押さえて下を向いた。一秒、二秒、三秒。何の痛みもない。不思議に思ってそっと顔を上げると、なんと及川は私を見ていなかった。手はだらりと下がり、視線は私を通り越して何処か遠くに向いている。


「……あの」
「なまえちゃん、手、繋がない?」
「え」
「それで許してあげる」


はい、と笑って、及川は手を差し出した。今度こそ間近に迫る、自然に開かれたそれを前に、私は目を泳がせる。


「嫌です、って言ったら」
「許さないよ?」
「許されないとどうなるんですか」
「うーん、家までついてく」
「手を繋いだらどこまで来るんですか?」
「家まで」
「変わらないじゃないですか。じゃあ繋ぎません」
「じゃあ許してあげない。てかなまえちゃん酷くない?俺の心をえぐっておいて放置なんて」
「……えぐりました?」
「えぐりました」


信号が青に変わる。私は前に向き直って歩き出そうとしたのに、及川は止まったままだった。街灯に真上から照らされて、及川の顔には濃い影ができる。

信号が再び赤になるまで、無言で我慢比べをした。置いて帰れば良いのかもしれないし、実際その考えは何度も私の頭をかすめた。だけど、だんだん無に近づいていく及川の表情や、「心をえぐっておいて」の言葉に引き止められて、そろりそろりと手を伸ばす。及川の目が私の手の動きを追っていることに途中で気づいた。時間がとても長く感じる。

ぱっと信号が青色を灯した。同時に及川の手へ辿り着く私の手。及川の手は相変わらず硬く、かさかさと乾燥していた。そしてとても、温かい。この前はひんやりしているように感じたそれが、こんな温度をしているのが不思議だった。変わったのは及川の手か、それとも私の手か。

私はゆっくりと視線を動かす。私の手が邪魔で、及川の手がよく見えない。できることなら右手の人差し指で、この手のあちこちをなぞってみたいと思った。節くれだったこの指の、形を知りたい。厚みのある手のひらを押してみたい。この手がどんな風にボールに触れるのか想像しながら、この手に手を包まれてみたい。

乗せただけの私の手を、及川はゆるく握った。私は驚き、吸い寄せられるように及川を見上げる。しかしもちろん及川は私の心を読んだわけでもなんでもなくて、ただこの手を引きたいだけなのだった。子供のように手を引かれて足を動かす私に想像を膨らませる余裕はなく、代わりにぼんやりした虚無感とほんの少しの焦燥感が胸で混ざりあった。


14.07.20