04
煌の軍内では、四ヶ月に一度、軍事訓練と称した武道大会が行われる。

"煌帝国軍"は、北方征伐軍、南方征伐軍など、様々な軍隊に分かれていて、その各軍隊の中から代表者を出して戦わせるのだ。戦わせると言っても、使える武器は木剣や木槍などと定められており、命を懸けるわけではない。

しかし、選ばれた者は命を懸けるほどの気迫でこれに挑む。その者の成績によって、軍隊の今後の立ち位置が変わってくるからだ。そもそも、数多の兵士の中から代表に選ばれること自体が名誉であり、皇帝陛下をはじめとする皇族の方々が見守る公式の場で、陳腐な戦いは見せられないのだ。

ここで戦う代表者は、各団体から選ばれた者に加えて、軍に関与している皇族の従者も含まれる。つまり、紅炎様の眷族である四人や、紅明様の眷族である忠雲殿、白瑛様の眷族である青舜、紅玉様の眷族である夏黄文殿も出場するということだ。

軍に関わる皇族が、もう一人。当然、紅覇様だ。紅覇様は前線で戦う金属器使いでありながら、未だに眷族を得ていない。私や、紅覇様の部隊の者がまったく目覚めないからだ。しかし、皇族の従者を少なくとも一人出すという決まりに変わりはない。そこで毎回、第一従者である私が出場することになる。

私はこれまで幾度となく、紅覇様や、紅覇様の部隊の名を落としてきた。この大会で勝てたことがないのだ。それも当然、同い年の男にさえ敵わない私が、選りすぐりの強者に敵うわけがない。

誰もがこの大会への参加を目指して、日々稽古に励んでいる。選ばれた者は誇りを持って戦い、選ばれなかった者は次回の出場を目指してまた奮起する。そんな活気に溢れた大会に、実力に関係なく無条件の出場が決められている"飾り物従者"。無様な負けっぷりを晒し、観衆のため息を誘う弱い女。それが私だ。これまでの私だ。

……だけど、今日の私は。今日こそは。


「朱灯杏。呂斎」


名を呼ばれ、私は立ち上がった。手のひらに汗が滲んでいる。後ろにいた鳴鳳が、「頑張れ」と囁いた。私はこくりと頷き、大きく一歩踏み出した。砂の敷かれた地面を、ゆっくりと踏みしめて歩くだけでも、心臓がどくどくと鳴って痛かった。

白線で作られた正方形の中に入ると、聞こえよがしな罵声と悪態が襲いかかってきた。私は何も聞こえていないように振舞って、懸命に心を落ち着ける。右に目を走らせると、ずらりと並んだ皇族の列の中に紅覇様がいるのが見えた。椅子に深く腰かけ、相変わらずの気だるそうな顔をしている。その目は私を見ているようで、私を見てはいなかった。交わらない、視線。自分の従者が試合に臨むというのに、その態度はあまりにも不自然だった。

しかし私は"飾り物"だ。主君が従者の視線を避けたって、何もおかしくなんかない。

紅覇様と視線を合わせるのを諦め、私は相手に向き直った。目の前の呂斎殿が、私を見て不服そうに眉を上げた。相手が私では、勝ったところで良い評価は得られないといったところだろう。ごめんなさい、と胸の中で呟く。私は、対戦相手にまで迷惑をかけている。


「構え」


審判のかけ声で、私と呂斎殿は剣を抜いた。私が即座にそれを構えたのに対して、呂斎殿は悠々とそれを弄んでから、嘲笑うように私に向けた。頭の奥が震えた。

ああ、と声を漏らしたかった。ああ、ついに、ここまで舐められるようになってしまった。そんなふざけた構えをして、本当に戦う気があるの?私はこんなふざけた相手にまで負けてしまうの?ただ、女だというだけで。ただ、男よりも背が低く、手足が細く、筋肉が足りないというだけで。

周りの雑音がうるさかった。侮蔑と嘲笑の目が痛かった。紅覇様が私と目を合わせてくれないことが悲しかった。でも、それは、今……どうでもいい。

『戦の最中に、考えてる暇なんてないんだよ?』

紅覇様が耳元でそう囁くのが聞こえた。私はすーっと息を吸い込む。


どん、と太鼓が鳴った。


その瞬間、私は右足を踏み出して左足で跳んだ。相手の顔面を狙って剣を突き出す。呂斎殿はそれをかわし、同じように剣で突いてきた。私の攻撃よりも速い。体勢を低くしてよけ、立ち上がる勢いでもう一度剣を叩き込もうとした。しかし呂斎殿は一歩下がって悠々とそれを避ける。足が、長い。どうしてたった一歩でそこまで下がれるの。当然、踏み出す一歩も私より大きい。

カン、カン、と剣がぶつかる音が響く。木剣ならではのその音はしばらく鳴り続けた。呂斎殿は笑みを浮かべていて、余裕のない私で遊んでいることは明らかだ。右、左、と自在に動く剣を捌き切れない。

ついにある一撃が私の左肩を捕らえた。肉を叩く鈍い音と同時に、パッと広がる痛み。歯を食いしばって堪え、反動をつけて回し蹴りをしようとする。

片足を地面から離したその瞬間、頭を紅覇様の言葉がよぎった。

……だめだ。

なんとか踏みとどまって剣を握り直した。一撃でもその巨体に叩き込もうと挑んだものの、左肩の痛みのせいで両手で剣を持っていると動きが鈍った。仕方なく左手を放し、右手だけで剣を操る。しかし案の定、威力が足りなかった。両手でも足りないのに、片手で押せるわけがない。

ついにそのときは訪れる。呂斎殿の痛烈な一撃が私の剣に叩き込まれ、私の剣は宙へと吹き飛ばされた。それだけでは飽き足らず、攻撃の反動で私の体までくるりと回転する。呂斎殿のにやりと笑う顔が尻目に見えたその瞬間、すっと頭が冷え、次に取るべき行動が明確に浮かび上がった。

ーー回し蹴りは時間を無駄にする、と紅覇様は言った。でも、今なら?相手によって体を回され、相手が油断しているこの絶好の機会にならーー?

すっかり力の抜けたその体に、回転の勢いのまま思いきり足を叩き込んだ。

呂斎殿の目が見開かれた。本来なら私の蹴りなどでは動くはずのないその巨体が、ぐらりと傾く。私は即座に体勢を整え、その胸に強く強く蹴りを入れた。

呂斎殿はついに倒れ、地面を滑る。砂埃の中で、彼が目を閉じているのが見えた。馬鹿め、どんなときにでも目は開いておくものでしょう。わずかに緩んだ彼の拳から剣を引き抜き、同時にその鳩尾に右膝を突き込む。左足を伸ばして下半身を抑え、左手で彼の右腕を押さえつけた。ようやく開いたその目のすぐ横に、彼自身の剣を勢い良く突き刺したそのとき。


どん、とまた太鼓が鳴った。


剣は指の関節一つ分ほど地面に埋まっていた。目を瞬く呂斎殿の上で、私はようやく息を吐く。戦っている間いつ息をしていたのか、自覚がなかった。呼吸と同時に、聴覚も戻ってきた。一切聞こえなかった周囲の雑音が、堰を切ったように耳に流れ込んでくる。それは、始まる前とは少し違うように思えた。私は荒い息を整えながら、呂斎殿の上から身を起こした。


「第三皇子練紅覇特別部隊所属、朱灯杏の勝利」


ワッと遠くで歓声が上がるのが聞こえた。紅覇様の部隊から上がった声だとすぐにわかった。憎々しげに私を睨む呂斎殿に一礼して、私は早々に正方形を出た。左肩の疼くような痛みが、時間の経過とともに酷くなる。

虐げられていることが一目でわかるその場所に、紅覇様の部隊は集まっていた。これだけ広い空間で、片隅に追い詰められて、静かに勝負を見守っていた。私たちはいつも、そうだった。私を囲んだ彼らが口にしたような品のない罵声や悪態を、この部隊の者が口にしたことは一度も無い。蔑みの声にも無言で堪え、大広場の奥の奥で、仲間の勝利をただひたすらに祈っているのだ。

その彼らが、今、声を上げている。歓声を。そして、私に拍手を送っている。早くそこに帰りたかった。息苦しいと感じていたはずのその場所に、早く飛び込みたかった。私は、初めて勝ったのだ。私は勝った。たった一人にだけど、相手が油断していたからだけど。私は確かに、今、勝った。

最後にもう一度皇族の列を見やって、紅覇様の目を求める。私は思わず、息を飲んだ。紅覇様が、私を見ている。目が、合った。複雑そうに唇を尖らせたその表情が気にかかりはしたが、それ以上に喜びが大きくて舞い上がってしまった。紅覇様が、私の勝利を見届けてくださった。私の視線に応えてくださった!


「頑張ったわね、灯杏」


ようやく部隊に帰り着いたとき、麗々のたくさんの指が、私の手を包み込んだ。その一本一本が温かくて、緊張で冷え切った私の指に熱を伝えた。胸が詰まって、うん、と頷くことしかできない。ぽんと横から頭を叩かれ、誰かと思えば鳴鳳がそこで微笑んでいた。


「やったじゃないか」
「……ありがとう」


私は小さく呟いた。周りのみんなが口々に声をかけてくれるのが嬉しかった。一年間負け続けて、この部隊の名を落とし続けた私を、みんながどう思っているかがずっと怖かった。今の今まで、ずっと。


「頑張りましたねえ、灯杏!私ずっとあなたを応援していたから、とっても嬉しいです!」
「ありがとう、純々」


ずっと、応援、していたから。その言葉があまりにも温かくて、嬉しくて、幸せで、どうすればいいかわからなかった。そして、自然に息をしている自分に気づく。たった一度の勝利を収めただけで、こんなにも得るものが大きいなんて。


「ありがとう、みんな」


笑みが沸き起こってくるような感覚を覚え、私は心の底から微笑んだ。


14.04.01