01
煌帝国の第六皇子、練紅覇と会うのはそのときが初めてだった。眠たげに垂れた目といい、膨らんだ頬といい、艶やかな髪といい、皇子はまるで少女のようだった。男のように髪を短くし、身体中に痣と傷を作った私に比べて、なんと可愛らしいことだろう。


「はじめまして、皇子様。私は」
「おまえ、女?」


私が名乗りさえしないうちに、紅覇様は間延びした声を上げた。柔らかな顔つきに似合わず、その声にはどこか冷たい響きがあった。私はおずおずと紅覇様の顔を見上げて、気づく。

柔らかな顔、なんて、してない。


「はい。でも、男に劣るつもりはありません。紅覇様の従者として、精一杯のはたらきをいたします」


私はかさついた舌を動かした。少し震えてしまって、情けなかった。紅覇様は私の心の動きになど興味はないようで、つまらなそうに目を逸らした。


「ふうん、そう。で、おまえはいつまで仕えてくれるの?」
「……いつまで?」
「いつまで僕のところにいるつもりなのかって聞いてんの」


もはや私を見ようとさえしない第六皇子を前に、頭が熱くなってきつくきつく拳を握りしめていた。一歩二歩と紅覇様に歩み寄り、その目の前で膝を折る。両手を胸の前で重ね、散々教え込まれた煌独特の敬礼姿勢をとって、私は声を搾り出した。


「この命が、尽きるまで」



□□□



私は廊下を歩いていた。苛立ちが足を急がせ、歩くというより走るに近い。周りの目が気になってしょうがなかった。私に向いた全ての目が、私を嘲笑しているように思える。廊下で幅をとっている邪魔な男たちの隣を通り抜けたとき、ついに大嫌いな言葉が囁かれるのが聞こえた。


「飾り物従者だ」


ぎり、と歯を食いしばった。振り向きもせずに彼らから離れ、さっさと角を曲がる。誰もいない場所に行きたかった。自分の部屋に戻りたかった。

だが、私が目指している場所はそこではない。私は紅覇様を探していた。幾つもの角を曲がり、幾つもの廊下を駆けるが、紅覇様の姿は見つからない。はあ、と息をついて立ち止まった。さっき男が発した言葉が、また耳元で囁かれたような気がした。頭の中をぐるぐると回るそれは、私を意味していた。私につけられた蔑称だった。

煌帝国第三皇子、練紅覇の"飾り物従者"とは、私のことだ。






「紅覇様!」


ようやく、中庭から屋敷に入るところの紅覇様を見つけ、私はその背中に向かって叫んだ。紅覇様は足を止めたが、振り向いてはくれなかった。私がその前に回って頭を下げると、面倒臭そうに「なに」と言った。


「次の戦の、軍の編成案に目を通されましたか」
「通したっていうか、あれ僕も口出したしぃ」
「……私は今回も、漏れてしまったのですが」
「知ってるよ。城でおとなしく待ってなさい」
「私はもう、十六です」
「年齢で選んでるわけじゃないから。おまえじゃ死ぬのが目に見えてるから、選ばなかったんだよ」


私を見下ろす紅覇様の目は、初めて会ったあの日と同じく冷たかった。私は唇を噛む。さっさと歩き出そうとする紅覇様を引き止め、もう一度頭を下げた。


「お願いします。私も行かせてください」
「行ってどうするのさ。前々から思ってたけど、おまえ、戦に行って何がしたいの?」
「戦いたいです」
「……甘いよ、灯杏」


紅覇様は目を細め、私と距離を取った。わざとらしく微笑んで、私の腰に刺さる剣を指差す。


「抜きなよ」
「……え?」
「僕に一太刀でも浴びせることができたら、認めてあげてもいいよ」
「紅覇様の武器は」
「これをこんなところで振り回せると思う〜?素手で相手してあげるから、かかっておいで」


紅覇様は背中の如意練刀を抜かず、ごく自然にそこに立っていた。私は首を振る。皇子に剣など抜けるものか。それを言うと、紅覇様は笑みを消して不機嫌な顔になった。


「じゃあ知らな〜い。せっかく機会をやったのにさあ」
「でも、」
「安心しなよ。別におまえのせいで怪我したって、おまえを罰したりしないから」
「罰が怖いわけではありません。紅覇様に傷をつけるなんて、そんな」
「実際につけてから心配しなよ。無理だと思うけどねえ?」


私はしばらく躊躇った末に、剣を抜いて構えた。どこから切りかかろうかと考える。右…、と視線を走らせると、紅覇様の眼球がそっちに動いた。それなら、と左を見れば、同じように左へと動く眼球。試しに、じり、と右のつま先を動かしてみると、紅覇様は何の反応もしなかった。

……完全に、読まれている。本気で動く気がなかったことまで。


「ね〜え、いつかかってくるの?」
「今考えているんです」
「戦の最中に、考えてる暇なんてないんだよ?」


音もなく紅覇様が動いた。顔面へと飛んできたその拳を、紙一重でかわす。かわした勢いを利用して体を一回転させ、足を叩き込もうとした。しかし足の先にすでに紅覇様はおらず、一歩後ろでにやりと笑っていた。その笑みを見た私の心に焦りが生じる。逃げなきゃ、と思ったが、回転するままの体は止まらなかった。なんとか足をついて体勢を整えたその瞬間、紅覇様の蹴りが迫ってきた。咄嗟に腕を交差させて迎えうったものの、予想以上の威力に押し負けて吹っ飛ばされる。背中から柱に叩きつけられ、息が詰まった。


「回し蹴りは時間を浪費するからやめなさいって言わなかった?」
「……言われました、しかし」


ただ蹴っただけでは、威力が足りないのです。そう言い訳しかかった口をはっとして閉じた。紅覇様は不思議そうに続きを待っていたが、私は「何でもありません」とそれ以上は言わなかった。また言い訳だ。私は言い訳ばかりだ。


「そんなんで、よく戦に出て僕を守ろうって気になるよね」


紅覇様が、床で呻く私に手を差し伸べてくれた。その手を取りながら、私はよろよろと立ち上がった。紅覇様の言葉を、訂正したかった。しかし今の私には、それを発する気力も、実力も、ない。

部屋に戻る紅覇様の後ろに付き添いながら、私は惨めな気持ちを抱えていた。紅覇様の暮らすこの屋敷には、私をあの蔑称で罵る者はいない。それでも、弱い自分が情けなくて、ここにいるのはおかしいような気がして。結局のところ、私が落ち着いて息ができる場所なんてこの世界のどこにもないのだ。


14.03.27