04


咎められているわけではない。
ただ、好奇の色が確かに灯っていた。

名前は慌ててマリサの傍に寄る。
距離が近付いて漸く意識できたが、彼女は随分と背が高いらしく、ヒールを履いた状態の名前でも視線が上がった。
失礼にならない程度にマリサを見つめ、手に用意していた名刺を1枚差し出す。


「ロゼスターライト事務所モデルの名前と申します。本日はロゼ・ティコのメンバーとしてお伺いさせていただきました。よろしくお願いいたします」


撮影用ネイルのオフが、今日の夜で良かったと名前は心底安堵した。
名刺を挟んだマリサの爪が綺麗に整えられていたので、普段の無防備な爪を晒していた可能性を考えると恐ろしい。

マリサは受け取った名刺に一度目を通し、次いでそのまま名前の全身を舐めるように確認する。
彼女の視線が向かう方向に、姿勢が正されるような感覚が走った。


「身長は?」
「165pです」
「驚いた。前に貴女の写真を見せてもらった時はもっと小柄な子だと思ってたのよ。バストアップだったっていうこともあるけど、首から上が小さいのね。それに目鼻立ちも派手だしVラインEラインも完璧。手足も長くて首回りも申し分なし。ちゃんと出るところは出てるし引っ込むところは引っ込んでる───ねえ、貴女本当に中学3年生?このみちゃん、誇らしい従妹モデルね」
「ありがとうございます、マリサさん」


このみの嬉しそうな声を聞きながら、名前は自分の頬がじわりと温かくなるのが解った。

車の中で読んだ資料によると、兵藤マリサは元プロのダンサー。
現役を引退した今でも指導者として名高く、彼女に指導してもらえるならと授業料の金額すら顧みない生徒が後を絶たないらしい。
そんなカリスマ的存在であるマリサに、これ程までに褒められているのだ。
嬉しくないわけがない。

そして何よりも歓喜に打ち震えそうになる理由は、名前がモデルとして本格的に活動を開始してから、身内以外に褒められたことが一度もなかったことが大きい。

顔や骨格は生まれた時に与えられた恵まれたものだ。
ただ、所詮それだけだと言われたくなくて、名前は後付けができるところへの努力を惜しまなかった。
体型にメリハリがついているのも運動や食事の調整で得たものであるし、表情や姿勢についてもたくさん勉強した。

元から持っているもので威張っても、何も格好良くない。

そんなモデルとしての努力をマリサに賞賛されれば、それだけで今までの経験が報われるような気がした。


「ますます名前ちゃんにお願いしたくなったわ」
「っ、ありがとうございます」


このみの声が上擦る。
マリサの後ろで胸に手をあててホッと息を吐くこのみに、名前は視線だけでよかったねと微笑んだ。

今日の名前たちの来訪目的は、兵藤マリサとのコラボドレス製作企画の最終決議を伺うこと。
いくつかのメーカーでコンペを行い、ロゼ・ティコで通すか、残るもう一社で進めるかという瀬戸際だった。

兵藤マリサはロゼ・ティコの手を取ったのだ。

ここ最近のこのみはこの件で特に多忙を極めていたので、これで少しは安眠できることだろう。


「保守的に伝統を守るのも良いけど、若い世代が頑張ってるのを見ると応援したくなっちゃうのよね」


最後のコンペの相手が老舗メーカーで良かった。
そんなことを考えながら、名前とこのみは人知れず拳を握る。


「ただし」


そこで一旦言葉を止めたマリサの指が、名前の顎に触れた。


「モデルとしてはとても綺麗な姿勢だけど、私の名前が連なるドレスを着るにはまだ少し甘いの。
 撮影までにダンサーの姿勢・・・・・・・と同じに調整できるかしら?」


このみは自分の記憶にあるプロのダンサーの姿を思い浮かべていった。
目の前の彼女も当然ながら、彼らはとても綺麗な姿勢をしている。
それこそ、一般人から見ると辛くないのだろうかと疑問に思うほど、真っ直ぐに伸びた背中と首。
まるで一枚板のような背筋なのだ。

契約を結んでからドレスデザインの打ち合わせや製作期間、その他諸々を含めて撮影まで早くて3ヶ月程度。
この期間に他の仕事と学業を両立させながら、名前の姿勢がマリサの望むダンサーの姿勢・・・・・・・になれるかどうかにかかっている。

元より名前は姿勢が良い。
ゼロからスタートする人と比べれば、習得期間も多少は短縮されるのではないだろうか。

一か八かではあるが、このみは努力家である名前を信じることにした。


「できます。問題ありません」


名前自身も即答だった。
それこそ、このみが目で合図を送るよりも早くマリサを見据えて頷いていた。

真っ直ぐな視線を受け取ったマリサは、気に入ったと言わんばかりに名前の小さな頭を撫で、このみをテーブルに案内して契約書を急かす。
スタジオと居住スペースは内階段で繋がっており、改めて通されたリビングは海外ドラマで見るような豪華さで名前たちを出迎えた。


「そうそう、私のことはマリサって呼んでね」
「はい、マリサさん」
「マリサさん、こちらが契約内容と契約書です」
「どうも」


頭上にぶら下がるシャンデリアだとか、陶器が飾られた食器棚だとか、分厚い額縁に収まる絵だとか。
あまりジロジロ眺めるのも失礼だと弁えているので、とりあえず最初に目に付いたティーカップについて褒めることにした。
名前の目線の先を一瞥だけして「ヘレンドよ」と簡単に紡がれたブランド名に、思わず前のめりになってしまった。
このみも興味があるのか、名前と肩がくっつきそうなほどに上体が傾いている。


「貴女たち2人を見てるとまるで姉妹ね。やっぱり女の子も産めば良かったかしら」
「マリサさんのお子さんは清春くんお1人でしたっけ」
「そうよ、つれない1人息子。もう少し愛嬌がほしいところだわ」
「悪かったな」


びっくりした!と零れそうになった声を抑え、名前は落ち着いた所作で後ろを振り返った。


「あら清春、おかえり」
「…………」


総やかな睫毛が一度だけ揺れ、その下のガラス玉がゆっくりと動く。
少し長めの前髪の隙間からマリサと同じ色をした虹彩が光った。
それはマリサから始まり、その向かいのこのみ、そして最後に名前を映していく。
目が合ったタイミングで軽く会釈をすれば、名前を眺めた本人が僅かに身動いだ。


「ついでだから紹介しちゃうわね。つれない1人息子の清春。名前ちゃんと同い年よ。
 清春、2人は私のビジネスパートナーのこのみちゃんと名前ちゃん」
「はじめまして。ロゼ・ティコの石竹せきちくこのみと申します」


立ち上がってお辞儀をするこのみの傍らで、名前は石のように動けずにいた。

彼───清春から目が離せないのだ。

彼の体型がよく作り込まれていることが、ゆったりとしたカデットブルーのシャツ1枚越しでもよく解った。
頭も真っ直ぐで、背筋も天井に向かって伸びている。
マリサが言うダンサーの姿勢とは、こういうもののことを言うのだろうか。


「名前」
「───あ……名前です」
「……どうも」


このみから二の腕を突かれ漸く口を開いた名前の姿を、清春もまた、食い入るように見つめていた。
穴があきそうな程に眺めていた名前が動いたことで清春の意識も動き出したのか、何事もなかったみたいに軽く頭を下げた。


「明日の準備はできてる?」
「たぶん」


そのやり取りを最後に、清春は踵を返して別室へと消えていった。


「清春ったらいつもあんな感じで」
「まあ、男の子ですからね」


そんな他愛もない話が、右から左に抜けていく。

座り心地の良いチェアの上で、名前は人知れず彼の見よう見まねで背筋を伸ばしてみた。
それが正しい姿勢になっているのかどうか判らなかった。
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