02



「そこ!何してる!」


不意に路地裏が一筋の光に照らされる。
真っ直ぐに浮かび上がったシルエットを警察と勘違いしたのか、多々良くんを取り囲んでいた男の子たちは蜘蛛の子を散らすように去って行った。

まるでスポットライトのように照らしてくるその光を頼りに、私も多々良くんへと振り返る。


「大丈夫!?」
「えっ…あ…は、はい…大丈夫、です…」


大丈夫という言葉を確認したものの、赤く腫れ上がった頬や垂れた鼻血を見てしまえばどうにも大丈夫とは思いがたい。
けれどその表情はどこかすっきりとしていて、彼が本心から大丈夫だと告げたのだと汲み取られる。


「……あ、あの」
「キミ達、大丈夫か?」


多々良くんが何かを言いかけたところで、私たちを助けてくれた人が声をかけてくれた。
大丈夫だと伝えるために2人で顔を上げたところで、すっかり暗くなった路地裏に2人分の悲鳴を響かせてしまった。

振り向いた先に立っていたのが、不気味に歯を見せながら大きく微笑んだ顔を懐中電灯のライトで照らした大男だったからだ。


「せ、仙石さん!?」


恐怖で思わず多々良くんにしがみついていた腕を解いてもう一度大男を見上げれば、最近漸く馴染みに感じるようになった人───仙石さんのこちらを見下ろす双眸とぶつかった。


「よう、名前までお揃いじゃねぇの」


地面に散らばった私の荷物を持ち上げた仙石さんだったけど、その際に何かを見つけたのか視線をチラチラと泳がせていた。
次いで多々良くんの怪我の具合を横目で確認したかと思うと、軽い身のこなしでくるりと翻る。


「ロゼから連絡があったかと思えば来るの遅ぇし、ちょーっと様子見に来てやったら男の喧嘩に首突っ込んでるしよ。お前も怪我の手当してやるから一緒に来い」
「す、すみません仙石さん。ほら多々良くん、手当してもらおう」


手を引いて私だけ立ち上がらせた仙石さんは、そのまま1人で路地裏を抜けて行ってしまった。

いまだ座り込んでいる多々良くんに振り返ってそっと手を伸ばせば、大きく見開かれた丸い目がこちらを捉えていた。


「どうしたの?怪我したとこ痛い?」


切れた唇が、震えながらも懸命に音を紡ごうとしている。
私はその場に再びしゃがみ込んで、多々良くんの声を拾おうと耳の裏に手の平を添えた。


「き……きみ、名前ちゃんなの!?」


───ん?


肌質が自然に見えるよう、今日はパウダータイプのファンデーションを叩いてきた。
アイシャドウは、最近愛用している大粒のグリッターのやつ。
ブラウンカラーのアイラインとマスカラをつけて、アイブロウもトレンド感を意識してナチュラルさをそのままに。
赤いティントを唇の真ん中に落として、グラデーションを意識して全体に広げていった。

今日は自分でヘアメイクをしたから、普段と大して変わりがないと思っていた。
だけど、多々良くんは私に気づかなかった。


「これが名前ちゃん!?」
「なんだお前、友達なのに知らなかったのか」
「いや、モデルということは知っていたんですが…見たことはなかったと言いますか…」
「ロゼ・ティコって言ってね、最近競技ダンス用品で人気が出始めたメーカーがあるんだけど、名前ちゃんはそこの専属モデルもやってるのよ」


そう言いながら環さん───ここ小笠原ダンススタジオのスタッフさん───が指さした先には、ロゼ・ティコのポスターが1枚貼られていた。
それは私が初めてロゼ・ティコでモデルの仕事をした時のもので、記念にと環さんが飾ってくれたやつだ。
その時は衣装ではなくて新色リップのモデルだったので、表情がよく見えるフレーミングで撮影されている。


「こうして見たら、名前ちゃんって本当に中3?ってくらい大人っぽいというか、色気があるというか」
「あと5年早く生まれてりゃあな」
「仙石くんアウト」


小笠原ダンススタジオに来るのは、今日が6回目だ。
私がロゼ・ティコのモデルになって挨拶のために初めてここに伺った時、なぜか仙石さんにとても気に入られて以来何かと用事がある時は私が赴くことになっている。

今日もロゼ・ティコが出す冬ドレスカタログを置いてもらうという約束で、私1人がロゼ・ティコの采配によって派遣されたのだ。

仙石さん直々に怪我の手当をされた多々良くんの視線は、まだ私のポスターに向いている。


「女の子って化粧だけでこんなに変わるんだ……」
「名前ちゃんって目鼻立ちはっきりしてるけど、アイシャドウ単色とかリップだけでもオーラがガラッと変わっちゃうのすごいわよね」
「え、えへへ」


憧れている年上のお姉さんに褒められたのが嬉しくて、思わず力のない照れ笑いが零れる。

そんな私に漸く向き直った多々良くんが数秒黙り込んで、そして力なく笑った。


「バナナ2本の成果が出てるんだね」
「は?バナナがなんだって?」
「名前ちゃんのお昼ご飯が月曜からずっとバナナ2本で、晩ご飯もプロテインシェイク1杯だって言ってたので、その成果がちゃんと生きてるならよかったなーと」


まずい。

多々良くんが言い終わる前にそっとソファから立ち上がったけど、彼の口からダイエットのダの字が出た途端に仙石さんの大きな両手が襲いかかってきた。


「ひゃッ!?」
「お前…名前!あれほどそれはやめろって言っただろ!どうせ朝飯はリンゴ1個だろ!」
「だ、だって!再来週大きな撮影があるからそれに向けて絞らないと…そ、それに5日間だけだし!」
「生理止まっても知らねぇぞ!というかもう止まってんじゃねぇのか!?予定日を言え!」


酷いセクハラとも取れる言葉と一緒に、仙石さんの手が胴を鷲掴んでくる。
分厚い指がぐいぐいと皮膚を押して、私の体内にある骨や筋肉の存在を確かめているのが判った。

一度このダイエット法を仙石さんに話したところ、10代半ばの未熟な体でそんな無茶をするなと怒られたことがあった。
確かに危険なダイエット法だということはよく理解しているし、実際、ここに来る途中に感じた体調不良も嘘ではない。
だからこそこの手段は5日間だけと期限を決めているし、それ以外は運動と適度なグルテンフリーで頑張っている。

それくらい、次の撮影にかける思いは熱いのだ。

私の幼く未熟なプロ意識を多少なりとも汲んでくれているのか、環さんにいい加減やめなさいと叱られた仙石さんはそれ以上何も言ってこなかった。
代わりに、私が仙石さんに叱られた空気が気まずかったのか、少しだけ芝居がかった多々良くんの「そう言えば」という言葉が響いた。


「これ、お返しします」


多々良くんのスクール鞄から出てきたのは薄いDVD-Rで、それを目にした途端に環さんがパッと顔を綻ばせた。

そう言えば、多々良くんはどうして仙石さんたちと顔見知りなんだろう。


「DVD見てくれた?」
「はい!何度も見返しちゃいました!」


トロフィーだとか二冠王者だとか、そのどれもに"仙石さん"という主語がついている。
そのうちそれが"入会"の話に繋がったところで、私はなんとなく話の流れを察した。
何かしらのタイミング───昼間の多々良くんの落ち着かない様子を思い出したので、それが昨日の話だと仮説を立てる───で多々良くんが小笠原ダンススタジオに足を踏み入れて、その時に入会の勧誘を受けて今に至る、といったところだろう。

そのまま黙って話を聞いていると、仙石さんのダンスに感化されて、自分も仙石さんのようなダンサープロになりたいと多々良くんが教えを請い始めた。

そんな多々良くんの姿に、私はこれでもかと瞠目した。

これまでの9年間のなかで、多々良くんが何かに熱中したり、興味を示したことがあっただろうか。
私は「なかった」と断言できる。
言い方はよくないけど、彼はいつも長いものに巻かれて生きていた。
だからこの時期になっても進路が決まらなくて職員室に呼び出されたり、高校の冊子を眺めながら就職もありだなーと呟いていた姿も覚えている。

そんな多々良くんが仙石さんのダンスに感化され、これほどまでに大きく出たのかと思うと感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。


「僕は変わらなきゃ」
「───っ!」


いつもの猫背をピンッと伸ばして仙石さんと環さんを真っ直ぐに見据えるその姿に、私はハッと息を呑んだ。
思わず目頭が熱くなった。

多々良くんの姿にではない。

私自身の弱さを見せつけられたからだ。
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