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まさかこんなに短期間で群馬に2度も降り立つなんて、思ってもみなかった。

お兄さんによく似た色の髪が、暖房の風でふわふわと揺れている。


「わざわざ群馬こっちに来てもらってすみません…」
「ううん、真子ちゃんずっと東京に通い詰めだったし、先週はゆっくり群馬って感じでもなかったしね」


とは言っても特に観光地を巡るようなこともせず、駅前のカフェで2人して腰を落ち着けた。

多々良くんを通して、真子ちゃんからデートのお誘いが来たのはつい数日前のこと。
これだけダンサーと交流を持つようになっても未だに連絡先を知っているのは多々良くんと雫ちゃん───先日の天平杯後に交換した───だけで、多々良くんから「一緒に出かけないか」と言われた日には思わず目が点になってしまった。
話をよく聞けば多々良くん本人からではなく真子ちゃんからの要望だと言うことが判り、私は二つ返事でOKを出した。
ずっと多々良くんに伝書鳩をお願いするのも可笑しい話だったので、多々良くんから真子ちゃんの連絡先を教えてもらいこちらからやり取りの手段を開通し、今に至る。


「真子ちゃん、好きなもの頼んでいいよ」
「え、で、でも…」
「いいのいいの、ボールルームクイーン賞のお祝いだから」


一応これでもプロモデルの端くれだ。
ロゼはきちんと報酬を渡してくれるので、高校生のバイト代くらいの稼ぎはある。

ふふん、とどや顔をしながら真子ちゃんにメニュー表を差し出せば、ちょっとだけ躊躇った後、おずおずとそれを手に取った。
彼女にとって、今回獲得したボールルームクイーン賞は特別なものだ。
どんな形であれ、お祝いされるに相応しい。

観念したらしい真子ちゃんはしばらくメニューの上で目線を泳がせた後、フルーツがたくさん散りばめられたパンケーキを指さした。


「名前さん、カロリーとか大丈夫なんですか?」


2人揃ってパンケーキを頼み、先に運ばれてきたドリンクを楽しんでいると、不意に小さな声がそう訊ねてきた。
なるほど、遠慮をしていた部分はそこにもあったんだ。


「うん、平気だよ。真子ちゃんのお祝いだから、気にしないでたくさん食べよ」


そう言って笑えば、やっと真子ちゃんの顔にも笑顔が浮かんだ。

真子ちゃんとは歳がひとつしか違わないけど、妹がいたらこんな感じなんだろうかと思わせてくれる。
そんな愛らしさがあって、真子ちゃんの笑顔を見ていると落ち着く自分がいた。
賀寿くんが羨ましいな。


「名前さん、ソロ競技の時に声援くれたじゃないですか。あれ、すごく嬉しかったんです。名前さん、私の憧れの人だから」
「憧れ?」


それは初耳だ、と少しだけ背中が反る。
確かに、ファンだと一口に言っても色々な感情がそこにはある。
見た目が好き、中身が好き、どちらも好き、なりたい容姿をしている、なんとなく好感が持てる、エトセトラ。

真子ちゃんが私のファンになったきっかけについてまだ知らないということを、その"憧れの人"という言葉で思い出す。


「最初は、教室の先生に"似てるね"って言われたことがはじまりだったんです」
「私と真子ちゃんが?」
「あ!髪の毛の色とか目の大きさとかそういうとこだけでっ…私はぜんぜん似てないって思うので!あの、気を悪くしないでほしいんですけど…!」


必死でそう捲し立てながら両手を振る真子ちゃんを眺めて、もしも真子ちゃんと少しでも似てるならそれは嬉しいな、と口元が緩んだ。
真子ちゃんのことをよく知る人がそう言うなら、きっと似ているのだろう。

パーツひとつの正確な類似じゃなくても、それこそ彼女の持つひまわりのような雰囲気だったり穏やかな印象が似ていると思わせるのなら、なおのこと。


「私、ロティのカタログで初めて名前さんを見たとき、自分の意志を曲げない強い心を持った人なのかなって思ったんです」


なんて観察眼の優れた子なんだろう。

ロティのカタログ撮影を行った時、私は友達だった人たちにモデルとしての自分を認めてもらいたいという一心で撮影に臨んでいた。
撮影前に「ロティの名前を轟かせるよ」とこのみさんに言われたこともあるけど、自分でも特に気合いが入っていたことを覚えている。

仕事のことに関してだけは頑固になる私を、あの写真から見抜いただなんて。


「だから私、そんな名前さんみたいになりたかったんです。自分の兄にすら意見が言えないくらい引っ込み思案だったので」
「真子ちゃん……」
「でも」


銀色に輝くフォークの先が赤いラズベリーに突き刺さり、果汁が弾ける。


「今はちょっとだけ、そんな名前さんに近づけた気がするんです」


そう言って笑みを浮かべた真子ちゃんは、フォークの先にあるラズベリーを小さな口に招き入れた。

思えば今日の真子ちゃんは、前よりも少し饒舌な気がする。
ちょっと前なら吐き出したい言葉の7割くらいは口の中に残されていたのに、はじめから最後まですべて紡がれているような気がした。

汗を掻き始めたグラスを傾けて、夏が恋しくなるようなオレンジ色を含む。


「ところで名前さんはどうやって胸が大きくなったんですか」
「ッ───!」


グラスの中に勢いよく空気を送ってしまったことで、中のオレンジ色がゴフッと音を立てて大きく波打った。
喉まで流れたドリンクはなんとか飲み込み、まだそれよりも先に届かなかったドリンクは零れないように必死で堰き止める。

まさか真子ちゃんからこんな質問が飛び出てくるなんて思いもしなかったので、予想外の出来事に心臓がバクバクと加速していくのがわかった。


「きゅ、急にどうしたの?」
「ずっと思ってたんです。私とひとつしか違わないのに、どうしてそんなに大きいんだろうって───何か秘策があるんでしょうか!?」
「ひ、秘策って……」
「天平杯の時、マリサ先生と同じくらいに見えました!」
「マリサさんはほとんど自前ノーブラでアレだし…!」


私は下着で形を整えた上でこれなので、マリサさんと比べられるとそれはそれでまた話が変わってくる。

女の子と胸のサイズについて話したことなんてなかったので、ぐいぐいと切り込んでくる真子ちゃんの姿勢に圧倒されっぱなしだ。
本当に、とても饒舌になったことで。

そもそも真子ちゃんはどうしてこんなにも胸を気にしているのだろうか。
誰かに何かを言われたとは思いがたい───そんなことがあろうものなら賀寿くんが許さないだろうから───。
私は気にしたことがないだけで、この年齢の女の子は胸のサイズが気になるものなのだろうか。


「特にこれと言った秘策は思い当たらないんだけど」
「はいっ」
「下着には気をつかった、かな?」
「下着…ですか?」
「うん。私、大きくなるのが周りより少し早かったのね。だからファーストブラをつけ始めるタイミングとか、ソフトワイヤーへの切り替えのタイミングはいとこのお姉さんが煩くて」
「……切り替え、ですか?」


うん?


「……真子ちゃんって、さ」
「はい」
「もしかしてなんだけど」
「はい」


「ノーブラ?」と、音もなく口の形だけで伝えると、その丸い頭がコクンと一度だけ頷いた。

驚いた。
真子ちゃんはその歳にすれば小柄な方ではあるけど、まさかブラの概念がなかったとは。

もしかすると、ダンス関係においてそのことで何かあったのかもしれない。
真子ちゃんは兄弟が賀寿くんだけと聞くし、そうなれば必然的に相談相手も限られてくる。
本来であれば同性の家族が気にかけて声をかけるべきなんだろうけど、人には人の事情があるから一概にそうだとも言えない。
それで真子ちゃんが断ったかもしれないし。

とにかく私が知る由もない過去について、今ここで振り返ったところでどうにかなるものでもない。


「真子ちゃん」
「はい」


最後の一口のパンケーキを飲み込んで、私は真子ちゃんの両目を見つめた。


「一緒に下着、買いに行く?」


小さな小さな声でそう訊ねれば、真子ちゃんの大きな目が今日いちばんの輝きを見せた。
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