15
仙石さんの言葉を聞いて、当時の記憶が一瞬にしてフラッシュバックした。
閉じていた花弁が、一枚一枚ゆっくりと花開くように。
思い出が綻んでいった。
どんなダンサーになりたいのか、どんなダンスをやりたいのか。
お兄ちゃんに何度も何度も訊ねられた。
そのたびに私は漠然と「お兄ちゃんと踊れたらそれでいい」と思っていた。
私とは違ってダンスでも持ち前の運動能力の高さで才能を開花させたお兄ちゃんは、すぐに目立つ選手へとなっていた。
そんなお兄ちゃんと一緒に踊れるなら、私はただお兄ちゃんの邪魔にならないようにフォローを入れられるダンサーでありたかった。
一緒に踊りたかった。
お兄ちゃんと、一緒に。
私が一緒に踊りたいのは、お兄ちゃんだけ。
だけどお兄ちゃんはそんな私を良しとはせず、いつも怒ってばかりだった。
背の高さも違う。
体が小さい私はお兄ちゃんにとってお荷物以外のなにものでもなくて、フォローを入れられるどころかいつも助けてもらってばかりだった。
そんなお兄ちゃんに、しずくさんと組む機会が巡ってきてしまった。
私がしずくさんよりも優れたダンサーになれなかったら、組解消だと言われた。
そんなの嫌だ。
だって、私が一緒に踊りたいのはお兄ちゃんだけなのに、お兄ちゃんが行ってしまったら私はどうなってしまうの?
そんな不安がずっと付きまとう2ヶ月をたたらさんと過ごし、ただお兄ちゃんと元の組に戻るために猛特訓した。
「僕は何をすればいい!?まこちゃんの邪魔にならないようにするよ!」
ああ。
お兄ちゃんはこんな気持ちだったんだね。
一心同体でありたい相方に言われると、こんなにも歯痒い言葉だったんだ。
「私を花にしてください!」
ダンスをはじめて10年の中で、どんなふうに踊りたいのかを初めて人に伝えた気がする。
お兄ちゃんと元の組に戻るには、私はたたらさんに伝えなければならなかった。
体中に思いが流れている。
私は、この会場で誰よりも輝く花で───ダンサーでいなければならない。
そんな思いをたたらさんに託した。
「2組目。富士田多々良、赤城真子組」
「多々良!真子!」
名前さんの声が真っ直ぐに届く。
誰からの声援も上がらないなかで、名前さんの芯のある澄んだ声援が私の気持ちを昂ぶらせた。
名前さんは私の憧れの人だ。
同性の私でもドキドキしてしまうくらいに艶のある風貌。
これと決めたら決して諦めない意志の強さが、その写真1つで感じられる人だった。
そんな憧れの名前さんが、私とたたらさんのダンスを見て泣いている。
大きな目を潤ませて、頬を濡らしていた。
嬉しかった。
今の私は、きっと花だ。
たたらさんが私を花にしてくれている。
名前さんの表情から、お兄ちゃんの表情から、そんな確信を抱いてやまなかった。
だけど、やっぱりしずくさんはすごい人だと思い知らされた。
たたらさんが私を花にしてくれようと動いてくれたのに、それさえも通用しないくらいに、しずくさんは一瞬にして会場の視線を奪い去ってしまう。
息をのむくらいに美しくて、会場のどよめきがしずくさんの成し遂げたことを物語っている。
あのお兄ちゃんですら、しずくさんという花に埋もれかけていた。
たぶん今のしずくさんの中に、組とか組解消はない。
ただ、1人のダンサーとして、己の実力を見せつけるだけ。
そんな空気が漂っていた。
そんなしずくさんのプライドに完全にあてられていたのは、たたらさんだった。
「最後の種目くらいは…もう私の"額縁役"はいいですから。
思いっきり踊りましょう」
だから、私はそう言わずにはいられなかった。
この試合に、しずくさんに勝って、お兄ちゃんと元のカップルに戻れるように、たたらさんはずっと"額縁役"に徹してくれていた。
私の願いを聞き入れて、ずっと。
ずっと、私を花にしてくれていた。
最後の試合くらいは、思いっきり踊ってほしかった。
たたらさんが、ダンサーとしてとして踊りたがっているのだから。
だから、仙石さんからバリエーションを踊る許可が降りたたたらさんは、憑き物が落ちたような表情を浮かべていた。
「まこちゃん、そのドレス似合ってるね」
更衣室では言ってもらえなかったその言葉が、すんなりとたたらさんの口から紡がれる。
「…たたらさんが選んだんですよ」
これが本来のたたらさんなんだ。
笑みを浮かべずにはいられなかった。
仙石さんに特訓してもらったことが、頭の中に浮かんではそれの通りに体が動く。
たたらさんが、その通りに導いてくれる。
それ通りに───それ以上に、私がフォローを入れる。
私は今、相方と踊っている。
お兄ちゃんとしずくさんの突拍子もない振り付けが出るたびに、たたらさんが感化されていくのがわかった。
触れあったところを通して、呼吸を通して、たたらさんの気持ちが伝わってくる。
たくさん練習した。
たくさん作った靴擦れも、今は少し硬い皮膚になって負担から私の足を守ってくれている。
練習の時よりも、大きく、軽快に動けている。
こんなに楽しいクイックは、初めてかもしれない。
荒くなる呼吸のなかでそんなことを考えていると、突然、たたらさんの体が重たくなった。
同時に崩れていくのがわかるホールド。
ペース配分なんて、考えてる余裕なかったんだ。
だってたたらさんは、全部、全力で踊ってきたんだから。
今の私たちは、間違いなく悪目立ちしてしまっている。
決勝まで上ってこられなかった選手の人から、非難の声も聞こえる。
でも今は、そんなことはおいておく。
大事なのは───見てもらうこと。
フロアを蹴って跳ねれば、会場にざわめきが舞い戻る。
集めた視線のなかで、仙石さんの振り付けを披露する。
拍手が聞こえてきた。
私の気持ちが、たたらさんの気持ちが高揚する。
体の先いっぱいに溜めたその高揚感を、ステップとともに解き放つ。
技術も、姿勢も、きっと崩れてしまっている。
だけど、こんなにも楽しくて素晴らしい振り付けを、私たちのダンスを、とにかく見てほしい。
私たちだけを見てほしい。
今の私たちにあるのは、それだけだった。
視界の端に、名前さんの姿を捉える。
今日見たなかでもいちばん楽しそうな表情で、私たちに手拍子を送ってくれていた。
無邪気な名前さんの笑顔につられて、私もまた、笑みが深まる。
もう一方で、お兄ちゃんが大きく跳ねた。
長い足をこれでもかと伸ばして、空を蹴り上げている。
お兄ちゃんから溢れ出た感情が、会場の空気を伝って体に流れ込んでくる。
ダンサーの感情が、ぶつかり合う。
体温も、汗も、呼吸も、靴音も、手拍子も。
すべてがひとつになって、ここにいる人たちを魅了する。
生きている。
まるでひとつの生き物のように、会場が踊っている。
フロアを照らすライトが、点滅しているように見えた。
まるで、私たちのダンスに合わせて揺れるように。
なんて幻想的なんだろう。
体中が熱い。
呼吸のリズムが整わない。
だけどこの瞬間が、何よりも楽しい。
こんなにも楽しいダンスを、また、お兄ちゃんと一緒に───。
音楽が鳴りやんだ瞬間、どうしようもなく涙が出そうになった。