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「結構いったな」
「痛そう…賀寿くん大丈夫かな…」


遠くに見える多々良くんたちを眺めながら、賀寿くんの身を案じる。
人から殴られるならまだしも、自分で自分を殴るのにあそこまで躊躇のない人は初めて見た。
ダンサーなのに、顔を傷つけても大丈夫なのだろうか。

結局崩れたタイミングが戻せないまま、賀寿くんと花岡さんのソロ競技は終わってしまった。

残す3種目に備えて、会場の隅では花岡さんが賀寿くんに動きを教えている。
多々良くんと真子ちゃんも、仙石さんの前に座って真剣に話を聞いていた。

その後ろ姿に、次で最後なのだと思い知らされる。


「本当、すごいな」
「なにが」


私の独り言を聞き逃さない人は、今ここには兵藤くんしかいない。
澄んだ瞳がこちらを見つめていて、改めて整った容姿をしているんだなと心の中で溜息を吐く。


「みんながだよ。こんな長時間、ずっと集中力を保ったまま踊り続けるんだもん」
「普通だろ」
「私からしたら普通じゃないよ」


モデルの仕事にも集中力は必要不可欠だ。
長時間の撮影になることも普通だし、写真や商品を映えさせるために、本来なら意識しないと絶対にならないような体勢になることだってある。
その後に感じる疲労感や体の痛みは決して否定できないが、ずっと踊り続ける彼らとでは運動量や消費するエネルギーが違う。

だけど、少しだけ楽しそうだと思った。

職業柄、人の目を集めることに抵抗がなくて、むしろ、集めたいとすら思ってしまう。
競技ダンスは、そんな欲望が叶うスポーツなのだ。

今日の私のように、ダンスを通して誰かの心を揺さぶるかもしれない。
音楽と、相方とひとつになる快感。
フロアを滑り出してしまえば、もう誰の手も届かない。

多々良くんは、そんな世界に足を踏み入れているのだ。


「ダンス、やってみれば?」


まるで私の心の内を読んだみたいな言葉に、私は目を丸くして兵藤くんを凝視する。


「やりたそうな顔してる」
「まあ…実は少しだけ」
「やればいいだろ。富士田もいるし」
「うーん、そうだね。モデルを辞めたら始めようかな」
「いつなんだよそれ」


珍しくつっこみ役に徹している兵藤くんに、自然と笑いが零れる。

モデルでいられる間は、それ以外のことに時間を割く暇はない。
もっともっと自分を磨いて、認めてもらわなければいけないのだから。

だから今の私は、多々良くんを応援することに全力を出したかった。

夢の一歩を踏み出した、多々良くんを。


「これより、決勝戦全員競技に移ります。
 2種目め───タンゴ」


音が鳴り、選手の表情が変わる。
地鳴りが聞こえてきそうなくらいに踏みしめられるシューズに、多々良くんや賀寿くんに力が入っているのがよく判った。

準決勝の時のタンゴとはまったく違う。

多々良くんも賀寿くんも、痛いくらいの気持ちをこの曲にぶつけている。


「───三笠宮杯の時の兵藤くんも、タンゴがすごかったって聞いたよ」
「……まあ」


替え玉の多々良くんから衣装を剥ぎ取った兵藤くんは、その後のタンゴで珍しく燃えていたと聞いた。

なんとなくだけど、今の賀寿くんはその時の兵藤くんと同じなような気がした。
多々良くんが与える影響力が、多少なりとも働いている。

そして多々良くん自身も、感情のままに踊っているみたいに見えた。


「すごい熱気」


まだ2種目めが終わったところなのに、フロアの盛り上がりはまるで最高潮とでも言うように興奮に包まれていた。
ここで賀寿くんと花岡さんに気づいた人たちが、別の意味でも盛り上がっている。

多々良くんたちが、肩で息をしているのが見えた。
あの賀寿くんや花岡さんですら息を乱している。
やっぱり、さっきのタンゴは相当なものだったらしい。

そんなことを考えながら賀寿くんたちを眺めていると、不意に、花岡さんがこちらへと振り返る。
だけど、目が合ったような感覚はない。
花岡さんはすぐに明後日の方向を向いてしまったけど、確実に、兵藤くんと目が合っていた。

鳩尾の辺りが微かに痛む。
これは、花岡さんが感じている痛みなのだろうか。

私は痛む箇所をさすりながら、テーブルクロスの折り筋へと視線を落とした。


「なあ、あの子ホットバックじゃね?」


賀寿くんや花岡さんの名前の隙間から、以前、三笠宮杯の更衣室で言われた私の別称が聞こえてきた。

反射的に振り返りそうになったところで、次に耳に飛び込んできた言葉がそれを制する。


「なんだよ、今日は背中あいてないのかよ」
「惜しい!ズリネタ生で拝めるチャンスだったのに」


膝の上で握りしめた手が、一瞬にして冷たくなる。

焦点が定まらない。
こんなにも賑やかな会場なのに、自分の周りだけ音がなくなったみたいだ。
耳鳴りがする。
早くなる心音が、体の内側から聞こえてくる。

気持ち悪い。

自分が何なのか、解らない。


「名前」


兵藤くんの声が聞こえる。
ガガッ、と荒い振動が走った。
視線を落とすと、兵藤くんの片腕が椅子ごと私を引き寄せているところだった。
いつもなら、すごい力だ、ぐらいに考えるのに今はそんなことにも頭が回らない。

すぐ隣に、兵藤くんの肩が並ぶ。


「聞くな」
「っ───」


カーディガンに覆われた腕が、一瞬だけ私の頭にまわる。
それはすぐに離れていったのに、兵藤くんの香りだけはいつまでも漂っていた。

フロアでは3種目めが始まろうとしている。
なのに、まだあの人たちの声が聞こえるような気がしてならない。
兵藤くんは再び食い入るようにフロアを注視していて、当たり前のことだけど、みんなのダンスへの関心の高さが見て取れた。

私なんかが、それを邪魔しちゃだめだ。

私は込み上げる吐き気を抑え込んで、兵藤くんの妨げにならないように息を殺すことに集中する。

ああ、なんて動きの遅いダンスなんだろう。
勢いのある種目だったら、こんなにも別のことに気を取られなかっただろうに。

会場の空気が変わるなか、たった一人───私だけは、目の前のダンスを見ているようで見ていなかった。

早く終わってほしい。

そんななんとも場違いな願いが浮かびかけて、それを戒めるようにかぶりを振る。

ふと、会場の空気が変わった。


「っ───」


つられるようにそちらへと目を向けて、ハッと息をのむ。

時が止まる。
そんな表現がぴったりで、私の混雑した思考回路も一掃されてしまった。
なんて情緒的なんだろう。

一つの花束みたいになった賀寿くんと花岡さんの姿に、喉の奥から勝手に吐息が漏れ出ていく。

2人に向けられた拍手は、音楽が止まるもっと前から沸き上がっていた。
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