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自分が出るわけじゃないのに、心臓が煩いくらいに鳴っている。
決勝戦が始まったことで切り替わった照明の明るさが、どんどん遠退いていくような感覚に陥りそうだ。
自分は今、しっかりと両足で立てているだろうか。
頬骨の辺りが、ひくりと痙攣した。


「名前」


手首を捕まれて、思わず肩が跳ねる。
視線を落とせば椅子に座った兵藤くんがこちらを見上げていて、空いている椅子を引いて顎をしゃくった。
そんなに危なそうに見えたのだろうか。

兵藤くんの指示に大人しく従った私は、それでも浅い位置で椅子に座る。
自分の力でどうにかできる状況と、ただ見ることしかできない状況とではわけが違う。
それも相手が大事な幼馴染みともなれば尚更で、深々と座って落ち着ける筈がなかった。


「本年度のソロ競技種目は、兵藤マリサ先生の希望によりワルツとなりました」
「アイツ、試してんのか」
「え?」


会場アナウンスの発表に続いて紡がれた兵藤くんの呟きに、思わず反応してしまう。
兵藤くんの目が少しだけこちらを向いて、私の瞬きを一度を見届けてから口を開いた。


天平杯この試合、いつもならクイック・ステップがソロ種目に選ばれてる。仙石さんもそれを見越して富士田に何かアドバイスをしていたはずだぜ」
「え…じゃあ、今日は」
「ああ。恐らくワルツはノーマーク。それに富士田は準決勝でスタミナ切れを起こしてる。下手に俺の振り付けバリエーションにも手を出せねぇだろうな」


兵藤くんの言葉を言い換えれば、今の多々良くんと真子ちゃんは基本の動きを淡々とこなすことしかできない、ということになる。

頭の中で、準決勝のダンスが蘇る。
小休憩にも満たない時間を挟みながら、連続で、それぞれがヒートアップして踊る光景。
準決勝とは違い、これからは決勝戦だ。
当然、準決勝のようなダンスでは厳しいことくらい、私でも理解できた。


「ソロ競技は個別審査だ。名前ならこの意味、解るだろ」
「……うん、よく解る」


一体、どうするつもりなんだろう。
ここから見ても判るくらいに、あんなに顔が真っ青なのに。

今日の試合には、真子ちゃんのダンス人生が懸かっていると言っても過言ではない。

真子ちゃんは今日、何が何でも勝たなければならない。

花岡さんがすごいダンサーだということは、素人の私でも解る。
あの日の夜、仙石さんや花岡さん自身の言葉を通して、花岡さんの気持ちや立場も理解はした。

だけどそれ以上に、今の私は多々良くんと真子ちゃんを応援したくて堪らない。

自らの道を自らの足で歩み始めた大切な幼馴染み。
そして、自分の相方リーダーを失いそうになっている、私のファンだと言ってくれた初めての同年代の女の子。

誰よりも勝ってほしいと、心から願わずにはいられない。


「2組目。富士田多々良、赤城真子組」


23番のゼッケンが、フロアに漂う。

多々良くんの緊張が、こちらにまで伝わってくるようだ。


「───多々良!真子!」


周りの歓声の間を掻い潜って、勢いで発した声が高く強く響く。
多々良くんと真子ちゃんの表情が、とても柔らかくなった。

皮膚を振るわせるように、スピーカーから音が溢れ出す。

多々良くんたちが踊り出したのを見届けてから椅子に崩れ落ちれば、兵藤くんがにやりと笑っていた。


「やるじゃん」
「き……緊張した…!」
「は?今?」
「お、思い出し緊張…?とにかく心臓バクバクしてる…」
「なんだよ思い出し緊張って」


声援なんて初めて出した。
準決勝の試合の時に、周りの人が賀寿くんや花岡さんの名前やゼッケン番号を叫んでいたことを思い出して、咄嗟に取った精一杯の行動だった。

「あれロティのモデル?」「その隣って兵藤組の?」なんて言葉が聞こえてくるけど、私は目の前の2人に集中する。

競技ダンスのことなんて、何一つ詳しくない。
ルールも知らないし、踊り方なんてもってのほか。
ただ見てることしかできないけど、多々良くんと真子ちゃんのダンスは、そんな私の中にもスッと入り込んでくるような何かがあった。

胸を打たれる。
心に響く。
琴線に触れる。
魂が震える。

そんな言葉が次々に溢れ出してはフロアの熱と混ざり合っていく。

カナリアイエローの花弁が、2人だけのフロアで揺れて舞う。
回って、揺蕩って、翻る。
間違いなく、今この瞬間で最も美しい光景だった。


「競技ダンスって、ダンス・・・の上手さを楽しむスポーツなんだと思ってた」
「……今は?」


カナリアイエローが爆ぜれば爆ぜるほど、瞳の上に水膜が張る。
一度でも瞬きをすれば、大粒の涙が零れるに違いない。


「───言葉にできないくらい綺麗」


多々良くんが、こんなにも素敵な空間を作り上げているんだ。
真子ちゃんが、こんなにも綺麗な景色を見せてくれているんだ。

ここにいる人みんなが2人に注目して、気持ちを揺さぶられている。
誰も目が離せない。
2人の力だけで、会場の空気を生み出している。

兵藤くんの問いかけに対する答えにはなっていないけど、私の言葉を聞いた兵藤くんが微笑んだような気がした。


「富士田は今、真子の額縁・・になることしか頭にない」


多々良くんと真子ちゃんが、同じ一点を見つめてフロアを滑る。

曲が終わる。

2人の辿り着いた先は、賀寿くんと花岡さんの目の前だった。


「23番ー」
「よかったぞー!」
「まこぉーっ!」


さっきは上がらなかった声援が、会場中から沸き起こる。

会場に響く拍手は心臓を振るわせて、その振動に遊ばれた涙が遂に両の目から溢れた。
慌てて下を向いてハンカチの角で下まぶたを押さえる。
それを見た兵藤くんが「やっぱり泣いてたんだな」なんて言葉を投げかけてきたので、「すごく綺麗だったから」と涙声で返しておいた。

ソロ競技が終われば、またすぐに出突っ張りの時間が続く。
多々良くんもだいぶ大きく動いていたみたいだったし、今の間にしっかり休憩を取ってほしい。
仙石さんの元で会話する姿を一瞥して、おつかれさま、とだけ口パクで投げておくことにした。


「3組目───背番号エントリーナンバー15番、赤城賀寿、花岡雫組」


続けて始まった賀寿くんと花岡さんの競技に、会場の空気が変わる。

2人は上手い。
だから、会場からの期待値も高いのだ。

うっとりするようなホールドに、安定感のあるリードとフォロー。
シンデレラや眠りの森の美女みたいな舞踏会が、目の前で始まったような感覚だった。


「ワルツで最も美しいとされるのは、大きなスイング」
「大きなスイング……」


ウルトラマリンのドレスが、大きく波打つ。
跳ね上がった裾がまるで波のように見えて、水飛沫さえ見えてきそうだった。

多々良くんと真子ちゃんには、なかった振り幅だ。

まだ踊り始めて数秒も経っていないのに、会場には拍手の音や手拍子が鳴り響いている。
これも、多々良くんや真子ちゃんにはなかった。

賀寿くんと花岡さん。
どちらにも高い技術が備わっているからこそ、どんな動きをしても代えがたい安定感がある。
ダンスをしたことのない私だけど、きっと、真子ちゃんとの身長差が賀寿くんの動きに制限をかける場面が何度もあったのだろうと推測できた。
そんな様子が、賀寿くんの動きから伝わってくるようだった。

2人の大胆で繊細な動きに目を奪われていると、ふと、目の前のリズムに違和感を覚える。


「兵藤くん、今なにかおかしくなかった?」
「ああ、賀寿がミスった。しかも立て直しが利かねぇくらいに」
「……確かに、言われてみればずっと違和感が残ってるかも」
「よく気付いたな。職業柄、動作や仕草には敏感ってところか」


モデルの仕事をしている時、カメラマンであるこのみさんの呼吸と自分のポージングが、パズルのようにぴったりと当て嵌まる時がある。
むしろ、その状況を意識して仕事を行っている。

そのせいか、競技ダンスという男女の息の合った動きも、パズルのピースに見えてくるのだ。

完成間近だったのに、はまっていたパズルが少しずつ剥がれていく。
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