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第2ヒートのクイック・ステップが終わって、花岡さんと賀寿くんが戻ってくる。
花岡さん表情は、やっぱり暗いままだった。


「兵藤ぉ……」


怒りで口元を痙攣させた賀寿くんが、その眉間に皺を刻んで兵藤くんに迫り寄る。
兵藤くんも言葉なく椅子から立ち上がったかと思うと、私の腕を掴んでそのまま後ろへと引っ張った。
一瞬にして、賀寿くんとの間に兵藤くんの体が挟まった。


「おめぇには言いてえ事、山程あんで」


花岡さんとカップルを組むためにこの試合を引き受けた賀寿くんに、花岡さんの正式なリーダーである兵藤くん。
そんな兵藤くんの先ほどの言葉は当然、賀寿くんの火に油を注ぐ物でしかなかった。
思っていた以上に、カップル問題が泥沼のように思えてくる。

とにかく、兵藤くんが手を離してくれないと私はここから動けない。
花岡さんが主語だと言うのに、関係のない私がずっとここにいるのは気まずくて堪らない。
そんな気持ちで軽く身を捩ってみれば、今まで兵藤くんを見据えていた鋭い双眸が私をギロッと睨み付けてきた。


「っ!」
「名前も名前だっぺ!これでも兵藤コイツん肩持つん!?」
「名前は関係ないだろ。女子に声荒げるなよ」
「ハァ!?お前なに偉そうに名前呼びなんさぁ!」


誰が聞いても主旨が変わってきている。
私も急に矛先を向けられたものなので、正しいこの場をおさめかたが判らない。

バチバチと激しさを増す火花をどうしたものかと辟易していると、不意に聞き覚えのある声が仙石さんの名前を呼んだ。


「マリサさん!」


その姿を見た途端に、自分の表情がパッと明るくなるのを感じる。
マリサさんと初めて会った日から何度か顔を合わせるうちに、私はすっかりマリサさんに懐いてしまっていた。

時に厳しく、時に優しく。
中学3年生だからと言って容赦はしてくれない。
ちゃんと私のことをプロとして見てくれて、対等に扱ってくれるのだ。

これ幸いとばかりに兵藤くんの腕を抜け出して、マリサさんの隣に並ぶ。


「ハァイ名前ちゃん。今日のお仕事ドタキャンしちゃってごめんねぇ」
「いえ!そのおかげと言うのも変な話ですけど、こうして初めて大会でダンスを見られたので」
「三笠宮杯はお仕事だったものね。ウチの清春を初めてにしてほしかったわ」


マリサさんは時折こうして誤解を招く言い方をする時がある。
兵藤くんは慣れているのかどうでもよさそうな表情を浮かべているし、仙石さんですら「義務教育中のガキにヘンなこと言うな」と言っていた───仙石さんが言える立場ではないと思うけど───。
どう返事をすればいいのかわからなかったので、私は曖昧に苦笑いを浮かべた。

それに対して艶やかな笑みを返してくれたマリサさんは、多々良くんを一瞥して口角を持ち上げた後、仙石さんに首を傾げた。


「ねぇ、仙石くん。踊りから仙石くんの匂いがしたから『もしかしてー』って思ってたけど……どういう風の吹き回し?仙石くんが生徒を持つなんて」
「うるせぇ。頭の悪い服着てんじゃねぇ」


すごい言い様だ、となぜか私が動揺してしまう。
けれどマリサさんは少しも動じることなく、仙石さんとの距離を詰めていった。


「他人をちゃんとコーチするなんて初めてじゃない?誰のためかしらー?
 ───ねっ、しずくちゃん、頑張ってね。先生ひいきしないから」


なぜか、漂う空気が冷たくなったような気がした。
マリサさんの妙な白々しさも気になるし、ずっと表情が硬いままの花岡さんも気になってしかたがない。

そんなもどかしい気持ちと歪な空気だけを残して、マリサさんはダンスホールから出て行ってしまった。


「あの、ロティの名前さんですよね?」


椅子に座って肩を落とした多々良くんを見つめていると、不意に声をかけられる。
見れば燕尾服とドレスを纏った男女が立っていて、この試合の参加選手だとすぐにわかった。


「はい、そうですけど」
「やっぱり!あの、今日はプライベートですか…?よかったら一緒に写真撮ってもらえないかなって……」
「わっありがとうございます!えっと、SNSへの掲載だけNGで大丈夫でしたら」


いつ、どんな時、誰に声をかけられても、今のうちは極力ファンサービスに応じろとこのみさんに言い聞かされている。
無名の頃に声をかけてくれる人は貴重だと。
必ずSNSへの掲載を回避しつつ、写真撮影には対応しろ、と。

そんな格言のような口癖が脳裏を過ぎり、私は満面の笑みと一緒に椅子から立ち上がる。
急に姿を消すのは憚られたので、会場の隅で真子ちゃんにアドバイスを伝えていた仙石さんの腕を突いた。


「仙石さん、少し席を外しますね」
「おっ名前も少しずつ声をかけてもらえるようになったか」
「プ、プロチャンプ!?」


携帯を握りしめていた選手が、仙石さんの姿を見るなり目を丸くする。
そう言えば、仙石さんは競技ダンスの世界ではすごいダンサーだったことを思い出す。
普段のセクハラ発言や報連相の欠けた態度を見ていると、そんなことはすっかり忘れそうになるのだ。

「どうしよう本物だ」と興奮する2人を眺めていると、ふと、仙石さんが壁に寄りかかっていた体を起こした。


「俺も一緒に入るか」
「え?い、いいんですか!?」
「せっかくだしな」


まさか仙石さんの方から一緒にファンサービスに応じるなんて。
今度は私が目を丸くする番だ。

ホールから出たすぐのところで選手の2人を仙石さんと私で挟んで、手前にいる私がシャッターを押す係を申し出る。


「撮りますねー……って、あれ?うん……?」


自分で言うのもあれだけど、私は平均より腕が長い───のだけど、さすがに大人3人と私をフレームにおさめた状態を維持するのは難しかったらしい。
めいいっぱい腕を伸ばしても、仙石さんの頭が見切れてしまう。
なんて背の高い人だ。


「しょうがねぇな」


仙石さんの逞しい腕が、背後から伸びてくる。
携帯を掴む私の手の上にその大きくて厚い手の平が重なって、ぎゅっと力が込められる。
女性選手の方に少し身を乗り出しながら、4人まとめてコンパクトになったところで仙石さんの親指がシャッターを押した。

撮った写真を確認すれば、仙石さんが3人まとめてバックハグをしているように見えて思わず吹き出してしまう。


「う、うわあ……やだ、この写真ヤバ……」
「今日来てよかったな……」


女性選手は顔を真っ赤にしながらも写真を拡大して食い入るように見ているし、男性選手も上の空な様子だ。
まさかここに仙石さんがいるなんて想像すらしていないだろうし、感動もひとしおに違いない。

「ありがとうございました」と何度もペコペコしながらその場を去っていく選手を見送っていると、廊下の掲示板前に人集りができているのが見えた。


「お、準決勝の結果出たみたいだな」


たたら呼んでくる、と言って仙石さんはホールへ戻っていったけど、私の足は仙石さんを追わずに掲示板の方へと進んでいく。
人の頭の隙間から掲示板を眺めてみるけど、紙面に並んでいるのは選手の名前とアスタリスク。
そう言えば私は、競技ダンスの得点の読み方を知らなかった。

とりあえず多々良くんの名前を見つけてはみたものの、判定の欄に書かれている"P"が何なのか解らない。
パーフェクトのP───とは思い難いし、パッションがありました、であれば納得がいくような気もするけど絶対に違う。
何のPだろう。


「フジ田くんたちも通過パスしたんだ」


喧噪の中から、淡々としたその声だけがやけにはっきりと聞こえた。

体ごと振り向くと、口を真一文字に結んだ花岡さんが掲示板を見つめていた。


「これ、通過って意味のPだったんだ。じゃあ花岡さんもだね。決勝、頑張ってね!」
「…………」


パッと笑ってエールを贈ると、どこかぼんやりとしていたその瞳が丸くなる。
次第に、彼女の強さを象徴するみたいに描かれた眉山が、僅かに震えたのを私は見逃さなかった。
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